第18話 天国
鬱蒼とした森の中、蝉の鳴き声だけが五月蝿く木霊していた。
川辺を先導する涼花の背中を眺めながら、その少し後ろを陽菜が歩く。
天頂には真夏の太陽が登っているが、木々の作り出す影と、川から吹く風のおかげで、いくらか涼しかった。
「もっと魔物だらけなのかと思っていました」
「魔物は水を嫌うからね。川沿いだけは安全なの」
涼花の返答を聞き、陽菜は得心が行く。
確かに、コロニーの城壁の周りにも、水堀が設けられている。
ここ数ヶ月、涼花の後をついて学ばせて貰っているが、まだまだ知らないことばかりだった。
「昔よくエレナに連れられて、修行にきてたなぁ……」
懐かしむようにあたりを見回す涼花を、ぼんやりと眺める。
──いつものことながら不思議な人だ。
日常では少し抜けている所はあれど、可愛らしく優しい人。
でも、魔物を前にした彼女は雰囲気が一変する。
氷のような冷たいその在り方には、危うさと同時に美しさがあり、不思議と魅入られる。
「涼花さんは、どうして戦う道を選んだんですか?」
「また、いきなりだね」
「なんとなく、気になって」
歩みを止め、川辺の岩に腰をかけた涼花は、自分の隣をぽんぽんと叩いた。
「あ、服汚れちゃうか」
「ふふ。いえ、大丈夫ですよ、気にしません」
確かに寺院にいた頃は、そういったことも気にしていた。
しかし、今の自分は巫女服ではなく、身に纏うのは涼花とお揃いの外套だ。
ハンターになると決めた日から、汚れも危険も今更だった。
「ほら、私がエレナに拾われたって話はしたよね?」
「はい、前に何度か」
涼花は少し考え込み、ぽつりぽつりと語り始める。
「今はあんなだけどさ、昔のエレナって凄くて。そりゃもう絵本の中のヒーローみたいに見えてね」
昔を振り返りながら、エレナの話をする彼女はどこか誇らしげだった。
懐かしむように、言葉を紡いでいく。
エレナに拾われたこと、非力な自分に思い悩んだこと、周りの大人達からの視線と──そして、思い詰めるようになったエレナのこと。
「何となく察しはつくと思うけど、私は昔から不器用でさ」
そう言って自嘲気味に吐き捨てる涼花。
不器用とまでは言わないが、確かに日常の彼女は少し抜けている所がある。
陽菜に言わせれば、そんなのは彼女の魅力的な部分のひとつであったが、当時、余裕のない社会ではそうもいかなかったのだろう。
「でも、魔物退治だけは才能があったみたいで。当時はハンターも英雄視されてたからさ、みんな私のことを揃って良い子だって言うわけ」
宙空に視線を彷徨わせたまま、涼花の表情が皮肉げなものに変わる。
「可笑しいよね、あんなに私を育てることに反対してたのに」
「それは……」
まるで他人事のようにそう言って笑う。
けれど、その声には一片の楽しさも含まれていなかった。
「しかも当のエレナは私が魔物を殺してきても、全然嬉しそうにしなくてさ」
少し拗ねたような、どこか寂しそうな彼女の横顔に、胸が詰まる。
陽菜も孤児院で育ったが、大人達は揃って良い人ばかりであった。
周囲の大人の醜い部分を見せつけられながら育った彼女の苦しみを、陽菜には想像することしかできない。
「私はただ、エレナに……ってなんの話だっけね」
涼花がこちらに向き直り、寂しそうに笑う。
「まあ、そんな感じで、今は半分は趣味と、もう半分は惰性かなぁ。どうせ魔物を殺すことぐらいしか、できないしね」
趣味と、惰性。
本当にそれだけで、誰よりも危険な任務に、命をかけて臨んでいるのか。
それは、どこか寂しい生き方のように感じられて、言葉が出なかった。
「あ、でも最近はね。天国に行けたらいいなって、そう思ってる」
涼花の表情が明るいものに変わる。
何でもないことのように漏らした彼女の言葉。
しかし、そこに不穏な響きを感じてしまい、陽菜の心臓が跳ねた。
「天国……ですか?」
「生前の行いが良ければ天国にいけるってやつ。多分、陽菜の方が詳しいよね」
「まあ、多少は知っているつもりです。寺院で育ちましたから」
かつて大罪を犯し、天の国を追放された人類。
信仰と善行によってのみ、死後に天上に帰ることを許されると、そういう教え。
「悩みも苦しもない天上の楽園。行ってみたいなぁ……」
「それは……」
陽菜も元はと言え、寺院に仕えてきた身だ。普通の人よりは信心深い方だろう。
しかし、それはあくまでも社会規範や人々の精神的な支えを目的とした部分もあると理解した上であり、彼女ほど純粋には信じていなかった。
「それに、もし天国に行けたらさ。それは生前の行いが良かったって、神様が認めてくれた訳でしょ?」
涼花が天に手を翳し、眩しそうに目を細める。
「私は……私を育てたことは間違いじゃなかったって、そう証明したい」
太陽に向かって拳を握る彼女の姿。
やはり、どうしようもないほど危うく、そして美しい。
「まあ、それも半信半疑だけどね。あったら良いなって、それぐらい」
涼花は軽く言うが、見ていれば半信半疑では無いことぐらいわかる。
彼女のそれは強い願望であり、生き方そのものになってしまっているような。
涼花がどこか死に惹かれていることは、薄々気づいていた。
地下鉄から帰ったあの日、彼女は路地裏できっと──
「涼花さん」
「なぁに?」
きっと彼女の決意は固い。今の自分にできることは──
「2人で“良いこと”沢山しましょうね。きっと、神様も見てくれていますよ」
今はまだ、これが精一杯。
でも、いつかは彼女が、この世も悪くないと、そう思えるような。そんな何かが見つかって欲しい。
陽菜にとっての涼花がそうであったように。
「そうだね。陽菜と一緒なら、沢山できる気がするよ」
涼花が微笑んで立ち上がる。
その視線の先、木々の影から這い寄るのは、巨大な蜥蜴型の魔物──リザード。
「さ、休憩終わり。まずは蜥蜴退治から頑張ろう」
そう言って刀を構える涼花の目には、冷たい闘志が宿っていた。




