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第17話 赤面

日も沈み、すっかり人通りの少なくなった大通りを、2つの影が肩を並べて歩く。


「──さん?涼花さん?」

「ああ、ごめん。ちょっと考えごと」


ギルドを出てから言葉少なに考え込む涼花の肩を、陽菜が揺する。


「……エレナさんのことですか?」

「まあ、うん」

「確かに先ほどは、少し様子がいつもとは違いましたね」


涼花の脳裏に過るのは、神妙な顔を見せた姉の姿。

数ヶ月前、地下鉄での出来事を報告したときも、同じ表情をしていたように思う。


──やはり、姉は何かを隠している。

異常な魔素と魔物の活発化に砂漠の出現、そして角の生えた魔物。

ここ最近の魔物の動きは常軌を逸していた。

けれど、分かってくれと、そう告げる姉が、何故か泣きそうに見えて。


姉がどう思っているかは知る由もないが、これでも育ててもらった恩は感じているのだ。

砂漠だろうと樹海だろうと、しばらくは付き合うつもりだった。


「まあでも、あの人が胡散臭いのは今に始まったことじゃないからね」

「あはは………胡散臭いとは言いませんが、何か抱え込んでいるような、そんな気がします」

「まったく、陽菜は優しすぎるの」


皮肉を飛ばす自分とは対照的に、純粋に心配を口にする陽菜。

口の悪さは姉譲りだと、都合よく責任を押しつけることにした。


そうして、二人で会話を続けながら、ゆっくりと歩く。

ふと、涼花が足を止めた。

進行方向、通りの中央に、見知った人影が立っていたからだった。

宵闇に浮かぶ、鮮やかな桃色の髪。


「桃華……」

「涼花さん、あの……!」


駆け寄ってくる少女。あの日の光景が嫌でも想起された。

目の前で死んでいく仲間。魔物を殺し嗤う自分。

そして、自分に怯えた目を向ける少女。


記憶の中の彼女の唇が──化物、そう動いた気がした。


唇を噛み切る痛みで、現実に引き戻される。

口の中に広がる血の味。あの日咀嚼した鬼のそれも、同じ味だったのではないか。

酸っぱいものがこみ上げ、思わず口元を抑える。


私は──


「今更、何の用ですか」


小さな背中が、涼花を庇うように立ちはだかった。その後ろ姿に呑む息が震えた。

急に両足が地面についたような、そんな錯覚にすら陥る。


「あんた、あの時の……」

「私のバディに、何か用ですか」

「え、バディって……」


心臓の鼓動がようやく落ち着きを取り戻していく。

自分に代わって、桃華と会話をする陽菜の姿を眺めた。

相変わらず年下の少女に気遣われる己を情けなく思うが、それ以上に安堵が胸を満たした。


「涼花さんの同居人の、陽菜です」

「同居人……」


珍しく刺々しい態度を見せる陽菜に、涼花は内心で首を傾げた。

知る限りでは、二人に面識はないはずだった。


「涼花さんはお疲れなので、用事ならまた今度にしてもらえますか?」

「……」

「行きましょう、涼花さん」


気づけば話は終わっていたらしい。

陽菜は涼花の手を引き、足早にその場を離れる。つんのめるようにして後に続く。


「あ、ちょ、陽菜……」


状況を理解できず声を上げるが、陽菜は振り返らない。

そのまま涼花を引き摺るように進んでいくのだった。


§


玄関をくぐった途端、一斉に疲れが押し寄せてきた。

このまま倒れ込んで眠りたいが、汗と砂で身体がざらついて気持ち悪かった。


「まずはお風呂、入っちゃおうか」

「……」

「陽菜、先入っていいよ」


反応を窺うが、陽菜は不貞腐れたようにそっぽを向いた。

桃華と別れたあとから、ずっとこの調子だった。


「先、入っちゃうよ」

「だめです。一緒に入ります」

「……え?」


顔を背けたままの陽菜が告げる。

ようやく返ってきた反応。しかし、その予想外の言葉に驚く。

陽菜とは長い付き合い──ここ数ヶ月はひとつ屋根の下で過ごしていたが、一緒に入浴したことはなかった。


「だめですか?」

「いや、だめじゃないけど……」


陽菜がこちらを振り向き、念を押すように見つめてくる。

その力強い視線に、頷くことしかできなかった。


大浴場とまではいかないが、2人並んでも十分な余裕があるゆったりとした浴槽。

燃料が限られているコロニーの生活で、風呂は贅沢品だ。

一般的には、普段は冷水で身体を拭くにとどめ、定期的に公衆浴場を利用する者が多い。

だが、風呂好きの姉の元で育ったこともあり、今ではすっかり毎日の風呂が習慣になっていた。


「いやぁ、やっぱりお風呂はやめられないねぇ……」


湯に肩まで沈むと、自然と深い溜息が溢れた。

汚れと共に疲れまで洗い流されていくような、そんな感覚。

だが隣に座る陽菜は、やはり黙り込んだままだ。


桃華との間に起きた出来事を知っているのだろうか。

陽菜の前で名前を出した覚えはないが、あの日の記憶は曖昧だった。


「……桃華もね。悪気があったわけじゃないよ」

「悪気がないからって……」


陽菜の表情が一層拗ねたものになる。やはり、桃華の事を気にしていたらしい。

あまり思い出したい出来事ではなかったが、ここは誤魔化さずに説明するべきだろう。


言葉を探しながら、あの日の出来事を振り返っていく。

地下鉄で遭難していた桃華を助けたこと、バディを組んで欲しいと頼まれたこと。そして、あの日の地下鉄で起きたこと。


「──それでね。やっぱり、遭難した時の恐怖は消えてなかったみたいで……魔素ってね、人の一番強い衝動を増幅するの」


陽菜は瞼を閉じ、黙ってその言葉を聞いている。


「桃華にとってそれは、恐怖の感情だった。だから、あの地下鉄にいきなり連れて行った私が悪いの。あんまりあの子のこと、怒らないであげて」


一通り語り終えると、陽菜は瞼を閉じたまま、深く息を吐いた。


「別に、桃華さんに怒っているわけではありません。もちろん、思うところがないと言えば嘘になりますが……」


陽菜は言葉を切り、涼花を見据える。翡翠の瞳が、真っ直ぐに涼花を捉えた。


「もっと早く、私がバディを組んでいればと、そう思っただけです。そんなに私は、頼りないですか」

「……ごめんね。私も、陽菜には危ないことして欲しくなかったっていうか……」


本当はそれだけではない。ただ、この子にまで見限られるのが怖かったのだ。

言い訳じみた言葉を吐く己に嫌気がさす。

だが陽菜は、そんな涼花を見て、ふっと笑った。


「もっと、私を信用してください。あなたの居場所になると、そう言ったじゃないですか」


柔らかいその言葉と眼差しに、胸が詰まる。

──ああ、この子はどうして、こんなにも私が欲しい言葉をくれるのだろう。


「ありがと、陽菜。これからは私のこと、見といてね。私も、絶対に陽菜を守るから」

「はい。絶対、目を離しません」


隣で柔らかく微笑む陽菜。年下のはずの彼女の姿が大きく見えた。


「これじゃあ、どっちが年上か分かんないね」

「っ……」


陽菜を抱き寄せ、膝の間に座らせる。

抱きしめた白い身体はとても細くて、何故ここまで安心感を覚えるのか分からなかった。

それに、どうして陽菜は、ここまで気遣ってくれるのだろう。


淡い白光を纏った、透き通るような亜麻色の髪。

つむじに鼻を埋めると、石鹸の香りに混じり、ほのかに甘い香りが胸を満たした。

一回り小さいその手に、自分のそれを重ねる。


「こんなに手も小さいのに……ほら、見て」

「……」


重ねた手を掲げて見せるが、陽菜の反応はない。

不思議に思って覗き込むと、その横顔は林檎のように赤く染まっていた。


「……陽菜?」


長湯でのぼせてしまったかと思い、その肩を揺さぶる。

すると突然、少女は勢いよく立ち上がった。


「わ、私、もう上がります!お先ですっ……!」


慌てて浴室を飛び出していく陽菜を見送り、涼花は小さく首を傾げた。

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