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第15話 姉妹

見渡す限りの砂色の世界。

頭上には太陽が燦然と輝き、真夏の陽光が地面を容赦なく焼き焦がしている。

吹き荒れる砂嵐の中、刀を携えた一人の女が佇んでいた。


女の足元がわずかに震え、やがて低くうなる地鳴りへと変わる。

女が飛び退いた直後──妖しく光る巨体が地を突き破り、天を衝く勢いで現れた。


巨大化した芋虫のような魔物──ワームは頭部を高々と掲げそそり立つ。

ワームはその巨体を震わせた後、女に向かって頭を振り下ろし、濁った体液を吐き出した。

莫大な量の体液の奔流。女は後退しながらそれを最小限の動きで躱していく。


しかし、足場の悪い砂の上、その全てを躱しきることは至難の技であった。

消化液が女の足に跳ね、何かが焼ける音がなった。


女は顔を顰めながらも疾走し、巨体との距離を詰める。

──しかし、刃が届くより早く、巨体は砂の中へと姿を消した。


「もう!動きにくい!」

「大丈夫ですか!」


悪態をつく女に、心配そうな少女の声が飛ぶ。女は一度、少女のもとへ後退した。


「平気、かすっただけ」

「見せてください」


少女が女の脚部を確認すると、デニム生地のパンツは完全に溶けており、その下の皮膚も少し爛れてしまっていた。

少女は手早く体液のついたパンツを裁断し、爛れた皮膚を清潔な水で洗い流した。


「あいつ、ちょこまかと……!」

「涼花さん、ちょっと」

「むぐ……っ」


ワームが潜った場所を恨めしそうに睨みつける女。

少女は懐から取り出した飴玉をその口に押し込んだ。


「ちょ、陽菜──!」


突然のことに女は目を見開き、少女に食ってかかる。

しかし少女は有無を言わさず、女の頬を両手で包み、その瞳を覗き込んだ。


「落ち着いてください」

「……」


目を白黒させていた女も、次第に落ち着きを取り戻していく。


「落ち着きましたか?」

「う、うん。平気、もう大丈夫」


どこか対照的な2人組──涼花と陽菜。

2人は互いの背を守るようにあたりを見渡す。

周囲には吹き荒れる砂嵐の音だけが響いていた。


「あいつ、図体の割にすばしっこい」

「この足場が厄介ですね……」


ワームは地中を自在に潜航し襲い掛ってくる。

攻撃をしようにもすぐに地中に潜ってしまい、砂で足場の悪い中、反撃は至難であった。


「吐き出しの前を狙いたいんだけど……かなり警戒されてる」

「では、私が注意を引きます」


突然の提案に、涼花は目を見開き思案する。しかし、すぐに首を振った。


「……いや、流石になし。危険すぎる」

「平気です。ここ数か月でかなり鍛えましたから」


しかし、陽菜もまた食い下がる。

涼花は、ここしばらく行動を共にする中で、長い付き合いだと思っていた陽菜の意外な一面に何度も驚かされていた。これもそのひとつ。

陽菜は心優しい少女だが、意外と自分を曲げない。

こういう時は大抵、涼花が折れるのが常だった。


しかし今回はそれなりにリスクもある。涼花は瞳を閉じてしばし思案する。


「このままではジリ貧ですよ。大丈夫です。涼花さんを信じてますから」


目と目を合わせて、真っ直ぐな言葉。

そんな風に言われたら、期待に応えるしかない。

それに、陽菜の言の通り、このままでは手がないのも事実だった。


再び、地響きが砂原を震わせ始める。

そして轟音と共に、巨体が地面を食い破って躍り出た。

二人はその場から飛び退き、散開する。


ワームの注意を引くように、陽菜がその周りを疾走していく。

砂に足を取られることなく軽快に動くその身のこなしに、涼花は目を見張った。


確かに、ここしばらく陽菜は実戦で経験を積んできた。

しかし、それにしても成長が早い。

もう既に、そこらのハンターよりも動けるのではないだろうか。


陽菜が指笛を吹くと、ワームがゆっくりとそちらに狙いを定め、消化液を吐き出そうと頭を振りかぶる。


しかし、それは明確な隙であった。瞬間、その横合いから影が飛び出す。


「さっさとくたばれ──この芋虫!」


§


時は2000年。

世界は突如として魔の手に堕ちた。

無尽蔵に湧き出る魔物と、魔素と呼ばれる瘴気を前に、人類が磨き上げた技術は意味をなさなかった。

都心部は正気を失った人々の内乱により壊滅し、人口の少ない地域は魔物になす術なく蹂躙された。


しかし、希望も残されていた。

人類の中にも、魔素に適合し戦う力を得た者が現れ始める。

後にハンターと呼ばれる彼らと、魔物の生存競争は熾烈を極めた。

戦いは一年以上続き──この洛北コロニーは、散っていった数多のハンター達と、ある1人の英雄により築き上げられた、国内最大の人類生存権。


それから14年が経ち、現在。

四方を城壁と山々に囲まれた都市の中で、約3万人の人々が身を寄せ合って暮らしていた。

そんな救世主たる英雄が作り上げた武装組織──ギルドの代表室。

涼花と陽菜は、深緑のベルベット生地に覆われたソファへと腰を降ろし、部屋の主と対面していた。


「それで、どうだった?」

「角の生えた魔物はいなかったよ」


硬い表情をした姉の、簡潔な問いかけ。

涼花は、まず一番知りたがっているであろう情報を渡す。


「そうか……」

「魔素は濃かったけど、かなり間引いてきたからマシになると思う」

「これで、しばらくは保ちそうだな」


涼花の報告に、姉──エレナは安堵したようにソファに体を預けた。


「でも、めっちゃ大きい芋虫がいた」

「……どのぐらいだ?」

「うーん、うちの家ぐらい?」

「そりゃまた」


通常のワームといえば、大きくても成人男性ほど。

今回遭遇したそれは、通常の5倍ほどの巨躯であった。


「砂漠の出現に魔物の巨大化。最近何かと物騒ですね」


涼花の傍らに座る少女──陽菜が心配そうに声を上げる。


近頃頻発するコロニー周辺の異変。

エレナの命により調査に向かう涼花と、それに同行する陽菜。

ここしばらく、そんな日々が続いていた。


今回もその一環であり、突如として出現した砂漠地帯の調査。

元は緑豊かな公園があった場所だが、見る影もなかった。


陽菜の言葉に、涼花は皮肉げに笑った。


「陽菜、いい?この人は物騒なところに、あえて私たちを送り込んでるの」

「仕方ないだろ、他に適任がいないんだ。私だって大切な妹を、好き好んで危険に追いやってる訳じゃないさ」


エレナは否定せず、意地悪い笑みを浮かべる。

姉妹のような関係であるが血の繋がっていない二人──その似通った仕草に、陽菜は苦笑した。


「……はぁ、まあいいけどさ。それで、次はどこ?」

「察しがよくて助かるよ」


待ってましたといわんばかりに、卓上に地図を広げるエレナ。

指を滑らせ、コロニーから南に向けて地図をなぞっていく。

先日の地下鉄を超え、今日行って帰って来たばかりの砂漠地帯を超え──


「え、遠くない?」


その先は樹海──魔物が跋扈する領域であった。

エレナの指は樹海の中、川沿いをどんどんと南下していく。

樹海の中を進み続け、2つの川が合流したあたりでようやく指を止めた。


「樹海の……奥?」

「ああ、そうだ、正確には樹海を抜けた先、だな。ここらで樹海は途切れているはずだ」

「なんでこんなところに?」


確かに樹海には魔物が多く、魔素濃度も高い。

しかしそれは、今に始まった事ではない。

コロニーから距離があることもあり、特に問題視はされていなかったはずだ。


「ここ最近の異常事態。オークの大量発生、魔物の巨大化、砂漠の出現──」


エレナは勿体ぶって言葉を切る。濁った灰の瞳が、涼花を捉えた。


「その原因がいるとしたら、ここだ」


一瞬、姉の言葉の意味を理解できなかった。

最近頻発する周辺の異常事態。

確かに不思議に思っていたが、それらが全て同じ原因だとでも言うのだろうか。

それに──まるで誰か仕組んだ存在がいると言わんばかりではないか。


「なんで、エレナがそんなこと……それに、原因って」

「悪いが詳しくは話せない」

「なに、それ」


姉は涼花の疑問には答えず、目を伏せるだけだった。


「だが、お前も見たんだろう?知性を持つ魔物を」


数ヶ月前、地下鉄で遭遇した魔物──鬼。

魔素を摂取しすぎたせいか戦闘中の記憶は曖昧だが、会話ができる知能があったことは覚えている。

それと同じような、知性を持つ魔物が裏で糸を引いているということだろうか。

追求したい気持ちは、当然ある。

しかし、目を伏せる姉を見て、何も言えなくなってしまった。


姉が話さないということは、きっと自分は知らなくていいことだ。

いつも通り頭を空っぽにして、魔物を殺す事だけ考えていればいい。

それに、姉に隠し事が多いのなんて、今更だ。そう自分を納得させる。


「はぁ……まあいいよ。それで、いつ行けばいいの?」

「明日には行けるか?早ければ早い方がいい。すまないが、頼む」


姉はそう言って申し訳なさそうに頭を下げた。

そのしおらしい姿を見ていると、なんだか無性に落ち着かない気分になってくる。


「分かったって、別に謝らないていい。すぐ終わらせてくるから、ここで待ってなよ」

「そうだな……無事を祈っている」


──そうだ、それでいい。

姉なんて、自分に仕事を押し付けて、偉そうにここで待っていればいい。


話もまとまったので、文字通り重い腰を上げる。

1日中砂の上を走り回ったせいか、足腰が悲鳴をあげていた。


「じゃあ、今日はもう帰るよ、砂でベトベトだし、早くお風呂入りたい」

「ああ、ご苦労だった。陽菜ちゃんもすまないな、ゆっくり休んでくれ」

「いえ、私も好きでご一緒してますから」


立ち上がり荷物をまとめる涼花と陽菜。

エレナはどこかぼんやりした様子でそれを眺めていた。


「……涼花」

「なに?まだ何かある?」


振り返ると、腰掛けたまま虚空を見つめる姉の姿。

らしくないその様子を怪訝に思い、言葉を持つ。

しばしの逡巡ののち、エレナは静かに口を開いた。


「もし、今回の原因……また、角付きと遭遇したら」

「したら?」

「殺すかどうか、お前が決めろ」


いつになく神妙に言葉を紡ぐ姉。

その言葉の意味も、理由も、涼花には理解できなかった。


「なにそれ。そりゃ、どうしようもなかったら逃げるよ」

「そうだな、それでいい」


言いたいことは言い終わったといわんばかり。

エレナは再び深くソファにもたれ、視線を遠くに向ける。

思わせぶりな姉の態度を怪訝に思うが、今日はもう疲労が限界だった。

そうでなくても、きっと自分は追求しなかったと、涼花は分かっていた。


「じゃあおやすみ。帰ったらまた顔出すよ」

「ああ、おやすみ」


結局有耶無耶なまま、姉に別れを告げ、陽菜と共に部屋を後にする。


2人の姿が扉の向こうに消えるのを見送り、エレナは目を伏せた。

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