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第13話 氷解

──頭が割れるように痛い。

コロニーの南東部にある繁華街。

その路地裏に、全身を血に染めた女が倒れ込んでいた。


どうやって己がここまで来たのか、それすら曖昧だった。

ただ、姉と顔を合わせる気にも、陽菜のいる家に帰る気にもなれず、人々の喧騒から逃れるように、気づけばこの薄汚れた路地裏に蹲っていた。


断続的な記憶を遡る。地下鉄、殺される仲間、かつてない強敵。

そして──怯える少女の瞳に映る、歪な化物。


急激に胃の中のものがこみ上げてくる。

側溝に吐き出すが、出てきたのは胃液だけであった。


腹が減った。それに、疲労と眠気で意識も朦朧としている。

しかし、やるべきことはまだまだあった。まずは姉に今日のことを報告する必要がある。一時的に塞いだとはいえ、負傷した足の治療もしなくては。

だが、起き上がる気力など微塵も沸かない。


ふと、全てが面倒に思えてくる。もう、いいのではないか。

今日は沢山"良いこと"をした。今死ねば、きっと天国にいける、そんな気がした。


ただ──自分が死んだら陽菜は悲しむだろうか。それだけが心残りだった。

彼女は、あの綺麗な翡翠色の瞳を、濡らしてくれるだろうか。


だが彼女は年齢の割に大人びている。

きっと、すぐに立ち直り、前を向いて生きていく。

その傍にいるのが自分である必要なんて、どこにも見つからなかった。


刀を手に取り、煌めく切っ先を自分の喉に突きつける。そのまま一思いに──


「涼花さん!」


路地の入り口から聞こえた叫び声に、顔を上げる。

霞がかった思考で、誰だろうか、と考え、すぐに思い当たる。

だが少女がここにいる理由は分からなかった。


そんな事をぼんやりと考えていると、少女が凄まじい剣幕で走り寄ってくる。

そして、少女はその勢いのまま、胸に飛び込んできた。


「……え、ちょ、ちょっと。血とか、泥とか、汚いよ」

「涼花さんの馬鹿!」


いきなり罵倒され、全身が痛むほどに強く抱きしめられる。

自分が何をしたというのだろうか。


「置いて行ったら、一生恨みますよ!」


その言葉に心臓が跳ねる。どうしてか呼吸が引きつって、喉が詰まる。

咄嗟に出たのは、下らない言い訳だけだった。


「置いて行ったらって……ほら、いつも通りちょっと道に迷っただけだよ」

「じゃあ、なんで……なんで、そんなに、泣きそうな顔をしてるんですか」

「泣きそうなんて……」


否定しようとするが、言葉にならない。

肩に冷たい物が落ちる。泣いているのは、少女のほうだった。


「陽菜……?」

「大丈夫ですよ、涼花さん」


陽菜はそのまま抱きしめる力を緩め、涼花の頭を撫で、大丈夫、大丈夫と、幼子にそうするように言い聞かせた。


「大丈夫です……私が、居ます」


その言葉に胸が詰まる。

年下の少女に抱きしめられ、頭を撫でられ、覚えるのはどうしようもない程の安心感だった。思えば、人に抱きしめられるのなんて、いつぶりだろうか。

視界が滲み、涙と一緒に、今まで抑えつけていたものが溢れ出していく。

そのまま、しばらく涙を流したまま抱きしめ合った。



やがて涼花はぽつり、ぽつり、と語り始める。


「私、また……魔物を見ると、頭ぐちゃぐちゃで。抑えきれない。自分の心が、自分の物じゃないみたいで、怖い」


嗚咽混じりで、ただ垂れ流すような言葉。

それでも陽菜は相槌を打ち、涼花の頭を撫で続けた。


「頑張ったんだよ……疎まれて、嫌われても、少しでも良いことができるようにって……でも、もう疲れた。姉さんもきっと、内心では、私のこと疎ましく思ってる。私の居場所なんて、どこにもない……」


幼子のような、ただ書き連ねるだけの、無様な泣き言。

軽蔑、されてしまっただろうか。そう思い、恐る恐る少女に視線を向ける。

少女はただ、涼花のことをじっと見つめていた。

視線が交差する。濁りひとつない、宝石のような翡翠色の瞳。


「知っていますよ。あなたがずっと頑張ってきたこと。大丈夫です。これからは私が、傍で見ています」


その温かな眼差しに見つめられ、凝り固まった氷が溶かされていく。

触れ合っている場所から温もりに包まれ、全身の痛み、荒んだ心や不安、そういった物が全て洗い流されていくようだった。


「陽菜……」

「大丈夫です、私はいなくなりませんから。今は、休んでください」


陽菜は再び涼花を抱き締める。

他に何もいらないと、そう思えるような、探し求めた温もり。


「おやすみなさい、涼花さん」


女はそのまま、少女の腕の中で眠りについた。

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