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第11話 高揚

桃華と藤堂を背負い、命からがら小休止に使ったふたつ目の駅まで撤退することに成功した涼花。

関係者以外立ち入り禁止と書かれた扉を蹴破り、小さな部屋に身を隠す。

埃が舞い上がり、かび臭い匂いが鼻につく。

壁掛けのカレンダーは2000年の1月のまま、その時を止めていた。

ひとまず撒くことはできたが、安心はできない。

いつ、あの鬼が背後から迫ってくるか分からなかった。


「なんですか、あの魔物は……」


桃華は部屋の隅に膝を抱えて座り込み、震える腕で自分の体を抱きしめていた。


「私も初めて見た。まるで御伽話に出てくる“鬼”だね」


昔、姉によく読み聞かせて貰っていた絵本を思い出す。

かつて人類は天の国で暮らしていた──という一節から始まる、よくある御伽話。

欲望に溺れた人々の中から鬼が生まれ、大罪を犯した人類は楽園を追放されるという結末だった。


悲劇的な話で、いつも最後には泣き出して、姉を困らせていたように思う。

しかし、悩みも苦しみもないとされる天上の楽園。

その儚くも美しい在り方から、何故か目を離せなかった。


ただしそれは、あくまで御伽噺の話。鬼なんて空想上の存在のはずだった。

けれど、確かにあの魔物には悪意というべき、意志があった。

衝動のままに動く普通の魔物とは違う。


「とにかく、動かなきゃ。藤堂は桃華を連れて帰還して」

「なっ……!」


怒気を帯びて、藤堂が顔を上げる。


「君だけ残るつもりか!」

「その腕で残ってもしょうがないでしょ」


涼花は藤堂の左腕を見やる。止血はしたが、放っておける傷ではなかった。


「一人であれに勝てるわけない!」

「やってみなきゃ分からない。それに、誰かがやらなきゃ」


藤堂がおし黙る。

事実、あれを誰かが殺す必要があった。野放しにすればコロニーが滅びかねない。


「君も一緒に撤退するべきだ……そうだ、エレナさんなら、きっと……!」


──またそれだ。何かあれば姉にすがるその態度に心底腹が立つ。


涼花と藤堂の衝突は白熱していく。

前回2人の諍いを治めた花田と綾乃の姿は、もうここにはなかった。


「私が任された。これは、私の役割だ」

「いい加減にしろ!そうやって周りを見下して!」


激情に駆られた藤堂が片腕で涼花に掴みかかる。その目に正気の光はない。


「お前なんかがいるから、エレナさんは……!」

「うるさい」


藤堂の言葉が止まる。涼花の細指が、藤堂の首を絞め上げていた。

その細腕からは想像もつかない凄まじい腕力。

涼花が何かを言っているが、藤堂に聞こえるのは耳鳴りと骨の軋む音だけだった。

視界が黒く染まっていく中、辛うじて藤堂の瞳に映る、涼花の表情。

それは、道中の表情の読みづらい彼女とは正反対。

執着に塗れた女の、悍ましい顔。その眼は黒く、妖しく、輝いていた。


意識を失う寸前で涼花が手を離す。

その場にへたり込んだ藤堂が呆然と顔を上げるが、涼花の表情はいつも通りに戻っていた。


「後でならいくらでも聞く。今は黙って従って」

「ふざけるな……僕は、僕はこんなところで……」


涙を滲ませながら言葉を絞り出す藤堂の姿は、まるで迷子の子どものよう。

突如、遠くで凄まじい破砕音が響いた。大きく震えた藤堂が後ずさる。


「きた……あいつがきてる……!」

「桃華、藤堂を見張りに預けるの、お願いできる?寺院まで連れて行ってくれると思う」

「涼花さん……」


心配そうに名を呼ぶ声に、涼花は笑みを浮かべて返す。


「大丈夫。私、負けたことないから」


そう言い残し、涼花は部屋を飛び出した。


§


柱に背をつけ、息を潜める。暗闇の向こうからは、鬼の足音が近づいてきていた。

正面からぶつかる気はない。至近距離から、確実に急所を突く。


心臓の音が五月蝿い。しかし不思議と悪い気分ではなかった。

摂取してしまった魔素はとっくに、許容量を超えているだろう。

冷静に考えれば、鎮静剤を飲んだ方がいい。

けれど今、薬に水を差されるのは御免だった。


足音はもう、すぐそこまで迫っていた。あと二歩、一歩。

──柱の影から鬼が姿を現したその瞬間、涼花は地を蹴った。

死角からの一撃に鬼の反応が遅れる。


涼花が突き出した刀は肋骨の隙間を抜いて、肝臓を貫いた。

すぐさま刀を引き抜き、後方へ跳ぶ。

確かに急所を貫いた。油断することなく鬼を見据える。


鬼はしばらく立ち尽くした後、自身の腹部へと目をやる。

夥しく流れる血を眺めた鬼の顔が憤怒に染まり、涼花を睨みつけた。


「……っ!」


咄嗟に真横に飛び退くが、鮮血が舞う。

数瞬前まで涼花が立っていた地面が切り裂かれていた。

思わず膝をつく。太腿には鮮やかな赤い筋が走り、焼けるような熱さを訴えていた。

致命傷は避けたが、決して浅い傷ではない。


あと少しでも避けるのが遅れていたら。

想像するだけで全身が震えた。きっと痛みを感じる暇もなく一瞬だ。

──私はまだ、生きている。


涼花が顔を上げると、鬼の動きが止まった。


「狂人ガ……」

「……へえ、喋れるんだ」


涼花は魔物が言葉を発したことにさして驚いた様子もなく、挑発的に鬼を見据える。

もはやその目に正気の色はなかった。


「ナゼ、ワラウ」


涼花は意外そうに、自分の頬に手を当てる。

笑みを浮かべている自分の口元に少し驚いた様子。

そして、立ち上がり、鬼の腹を見据えた。


「ねぇ、それ、痛くない?」

「忌マワシイ……奴ラニソックリダ」


噛み合わない会話。どちらも、相手の言葉を理解する気などなかった。


「いいから来なよ、ブス。殺してあげる」


一触即発の空気。しかし鬼は一歩引き、腕を振った。

散乱していたオークの死体に魔素が集っていく。

体を切断され事切れていたはずの彼らが、操り人形のように立ち上がった。


「逃げるの?」

「追ッテミロ」


それだけを言い残し、鬼は地下鉄の闇へと姿を消した。

残されたのは涼花と、オークの群れ。負傷した足を引きずりながら、涼花は刀を構えた。


§


どれほどのオークを殺しただろう。

拳を躱し、腹を貫く。血を浴びながら死体を盾に、首を切る。


負傷しているとはいえ、オークの緩慢な攻撃に当たってやるつもりなどなかった。

一匹殺すたびに、胸が高鳴っていく。

負傷した左足が痛むが、それすらも心地いい。


やはり一人は気楽だ。誰に気を遣うこともなく、好きなだけ魔物を殺せる。


ただ、この地から魔物を根絶やしにすることだけを思う。

あとどれだけ善行を積めば──


女は血の海で笑みを浮かべる。その姿は、狂気に塗れていた。

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