第10話 沈黙
小休止を終え、歩みを再開した一行。
先に進むほどに濃度を増していく魔素に反して、その歩みは順調であった。
それもそのはず、あれほど群れをなしていたオークが、一切姿を見せなくなったのだった。
「待て、何かあるぞ」
前方を歩いていた花田が立ち止まる。その視線の先には、倒れ込むような人影。
「オークの、死体か……?」
その死体は胸部から上が綺麗になくなっていた。
まるで空間ごと削り取られたような、鮮やかな切断面。
「誰が、こんな……」
「分からないが、とにかく警戒して進もう」
桃華が声を震わせ後退る。恐れを振り払うように、藤堂が先を睨みつけた。
周囲を警戒しながら慎重に進めば、オークの死体は次々とその数を増やしていった。
「なんだ、これは……」
密度を増した死体が地面を埋め尽くし、次第に足場が無くなっていく。
それら全てが綺麗に切断されており、これを成した現象の異常性が際立つ。
進むほどに行き場を無くした死体が縦に縦にと積み上がっていく。
それは山のような様相を呈していき、そしてその頂点。
君臨するように、何者かが腰掛けていた。
一見すれば人のような、その姿。
だが、その肌は赤黒く変色し、額からは一本の角が突き出ている。
「鬼……?」
まるで伝承に語られる“鬼”。
綾乃が思わず漏らした声に反応するように、それがゆっくりと顔を上げた。
「綾乃!」
次の瞬間、空間が揺れる。
綾乃の前に立ち塞がった花田の体が大きく横に吹き飛ぶ。
そして、壁に叩きつけられ動きを止めた。
──あたりに沈黙が落ちる。
誰もが今起きた現象を飲み込めていなかった。
「花田、さん……?」
綾乃が恐る恐るそちらに目を向ける。
崩れ落ちるように座り込み、頭を垂れた花田。
その重厚な鎧の胸部は、紙のように凹んでいた。
「花田さん!!」
「行くな!」
涼花の制止の声は届かない。
花田の元に駆け寄る綾乃に、鬼の視線が向けられる。
──その瞬間、風が弾け、綾乃の右半身が吹き飛んだ。
「な、にが……」
桃華が地面にへたり込む。
「死ね……!」
状況を悟った藤堂が踏み込み、剣を振り下ろす。
数多のオークを屠ってきた黄金の騎士剣。だがそれは、鬼の片腕に阻まれ動きを止めていた。
鬼が嗤った。
「っ……!」
藤堂は飛び退き、涼花たちの元まで距離を取った。
「一度体勢を──!」
藤堂が声を張り上げる。だが桃華は呆然と、藤堂の肩を見つめていた。
「藤堂さん、腕が…」
「え……?」
左肩から先が、なかった。
鎧ごと綺麗に斬り落とされ、まるで最初からそこには存在しなかったかのように。
「あ……ああああ……嘘だ!嫌だっ……!」
膝をついた藤堂が、半狂乱に叫び身を捩る。
そこに、道中の気高く振る舞っていた姿はもうない。
涼花は、その様子をただ見つめていた。
心臓は激しく脈打ち、本能が逃げろと警鐘を鳴らしている。だが頭脳は冷静に、状況を分析していた。
──藤堂と桃華は完全に呑まれている。
花田と綾乃は……残念だが、もう戻らない。
味方はいないが、敵も一体。攻撃手段は空間を切り裂く、未知の力。
だが、決して無敵ではない。
一撃目、綾乃の前に立ち塞がった花田が攻撃を受けた。
直線上に斬撃を飛ばしている可能性が高い。
驚異的な速度とリーチを持つ剣士と対峙していると仮定しろ。
視線と予備動作を見切れば、対処できるはずだ。いや、対処してみせる。
鬼が再び顔を上げる。
涼花は身構えるが、鬼の視線はその隣──桃華に向けられていた。
舌打ちと同時、桃華を蹴り飛ばす。瞬間、二人の間の空間が裂けた。
場所が悪かった。
遠隔攻撃を操る敵に対して、遮蔽物のないこの空間で戦うのは悪手だろう。
後方には、戦闘不能の仲間が二人。特に桃華は、自分が連れてきた少女だ。
死なせるわけにはいかなかった。
そばに落ちていた綾乃の荷物から煙幕を取り出し、鬼の前に叩きつける。
予想通り、鬼は警戒してその場を動かない。
へたり込む桃華を脇に抱え、藤堂を背負い、来た道を全力で引き返す。
──ふと背後でかすかな風切り音が聞こえた。
直感で身を伏せる。風が涼花の頭上を凪いだ。
あと少し伏せるのが遅れていれば、胴体と別れを告げていただろう。
二人を抱え直し、涼花は全力で駆け出した。
それは、生まれて初めて魔物に背を向けた瞬間。
だが、その唇には、歪な笑みが浮かんでいた。
あとで必ず──殺してやる。




