第8話 規格外スライムの脅威
2話目
# 第8話 規格外スライムの脅威
認定探索者の資格を取得してから三日後、紅蓮家に異変が起きた。
「お兄ちゃん、なんか変な音がする」
莉子が誠の部屋にやってきたのは、夕食の準備をしていた時だった。確かに、机の奥から低いうなり声のような音が聞こえてくる。
「おかしいな…」誠は慌ててダンジョンの監視モニターを確認した。「第1層は異常なし、スライムたちも普通に…あれ?」
モニターの第2層の映像に、見慣れない影が映っていた。真っ黒で、普通のスライムよりもはるかに大きい。そして、明らかに攻撃的な動きを見せている。
「これは…グラファイト?」
誠は政府の資料で見た危険モンスターの名前を思い出した。黒い粘獣グラファイト-通常のスライムが何らかの原因で変異した、極めて危険なモンスターだ。
「莉子、お父さんとお母さんを呼んで!急いで!」
「え?でも、ダンジョンのことは…」
「もう隠している場合じゃない!」
莉子が両親を呼びに行く間に、誠はダンジョンの状況を詳しく確認した。グラファイトは第2層で他のスライムたちを吸収しながら、どんどん巨大化している。このペースでは、ダンジョン全体が汚染されてしまう。
「誠、何事だ?」大悟が駆けつけた。
「お兄ちゃんの机から変な音が…」真弓も続いて現れた。
その時、机全体がガタガタと激しく振動した。そして、机の引き出しから黒い液体がじわじわと染み出してきた。
「これは一体…?」
両親が呆然としている間に、黒い液体はみるみる膨張し、誠の部屋の床に広がり始めた。
「お父さん、お母さん、説明は後です!今すぐ避難してください!」誠が叫んだ。
「避難って、何から?」大悟が困惑した。
その時、黒い液体が突然盛り上がり、人の背丈ほどの巨大なスライム状の生物に変化した。しかし、これまで見てきた愛らしいスライムとは全く違う。真っ黒な体表面には赤い筋が走り、中央には大きな口のような裂け目があった。
「ぐるるるる…」
グラファイトが低いうなり声を上げながら、部屋の中を見回した。その視線が家族に向けられた瞬間、明らかな敵意を感じ取れた。
「みんな、逃げて!」誠が身を張って家族を守ろうとした。
しかし、グラファイトは誠たちには目もくれず、部屋の壁に向かって移動し始めた。そして、壁に触れた瞬間、壁の一部を溶かし始めた。
「家が…溶けてる?」莉子が震え声で言った。
「これは酸性の粘液だ」真弓が化学者の知識で判断した。「このままでは家全体が…」
グラファイトは壁を溶かしながら、リビングへと侵入していく。その後を追うように、さらなる黒い液体が机から溢れ出してきた。
「誠、これは何なんだ?」大悟が息子に詰め寄った。
「実は…」誠は観念した。「僕の机の中に、小さなダンジョンがあるんです」
「ダンジョン?」
「説明は後で!今は何とかしないと、家が全部溶かされてしまいます!」
誠は必死に対策を考えた。政府の資料によると、グラファイトは酸性が強く、通常の攻撃では効果がない。しかし、弱点もある。アルカリ性の物質に触れると、一時的に活動が鈍くなるのだ。
「お母さん、研究室にキセス液(水酸化ナトリウム溶液)はありますか?」
「え?あるけれど…」
「大量に必要です!お父さんは散布装置を作れますか?」
大悟は混乱しながらも、息子の必死さを理解した。「庭の散水ホースを改造すれば何とかなるかもしれない」
「お願いします!」
真弓は地下の研究室からキセス液のボトルを運んできた。「これで足りるかしら?」
「とりあえずやってみましょう」
大悟が急いで散水ホースを改造している間に、グラファイトはリビングの家具を次々と溶かしていく。ソファ、テーブル、テレビ…家族の思い出が詰まった品々が黒い液体に飲み込まれていく。
「くそっ、間に合わない」大悟が歯噛みした。
その時、莉子が机の方から声を上げた。「お兄ちゃん、まだ他のスライムたちが出てくる!」
確かに、机からは普通のスライムたちも続々と脱出してきている。しかし、彼らはグラファイトから逃げるように、部屋の隅で震えていた。
「そうか…」誠は閃いた。「みんな、スライムたちを安全な場所に誘導してください。彼らはグラファイトを怖がっている」
「でも、どうやって?」莉子が尋ねた。
「スライムたちは僕たちを信頼してる。優しく声をかけて、キッチンの方に誘導して」
家族は戸惑いながらも、小さなスライムたちに声をかけ始めた。すると、スライムたちは本当に言うことを聞き、キッチンの方へ移動していく。
「本当に従うのね…」真弓が驚いた。
その間に、大悟が散布装置を完成させた。「できたぞ!」
「よし、僕が近づいてキセス液をかけます」誠が装置を受け取った。
「危険すぎる!」大悟が止めようとした。
「でも、僕がダンジョンマスターだから、僕の責任です」
誠はキセス液の入った改造散水ホースを手に、グラファイトに向き合った。グラファイトは既にリビングの半分を占領し、さらに拡大を続けている。
「うりゃあ!」
誠は全力でキセス液をグラファイトに浴びせた。シューシューという音を立てて、黒い体表面から白い煙が上がった。
「効いてる!」
グラファイトは苦しそうにうめき声を上げ、動きが鈍くなった。しかし、完全に倒れるには至らない。
「まだ足りない!」
真弓がさらなるキセス液を持ってきた。「こちらも使って!」
家族総出でキセス液をグラファイトに浴びせ続けた。やがて、グラファイトの体表面が白く変色し、動きが完全に止まった。
「やった…」
しかし、安心したのもつかの間、グラファイトの体が急速に縮小し始めた。そして最終的に、普通のスライムと同じサイズになって、ぴょんぴょんと跳ね回り始めた。
「え?」
黒かった体色も、いつの間にか普通のスライムと同じ透明に変化していた。
「浄化された…?」真弓が呟いた。
誠は恐る恐る、元グラファイトだったスライムに近づいた。スライムは他の仲間たちと同じように、誠を見ると嬉しそうに飛び跳ねた。
「本当に普通のスライムに戻ってる」
家族は呆然とその光景を見つめていた。リビングは半分溶かされてボロボロだが、とりあえず危機は去ったようだ。
「さて…」大悟が息子を見つめた。「詳しく説明してもらおうか」
誠は観念して、机の中のダンジョンについて全てを話した。最初にダンジョンを発見したこと、スライムたちとの交流、そして最近取得した認定探索者の資格についても。
「つまり」真弓が整理した。「あなたは政府公認のダンジョンマスターになったということ?」
「まだ養成課程の途中ですが…はい」
大悟は腕を組んで考え込んだ。「なぜ黙っていた?」
「心配をかけたくなくて…それに、信じてもらえないと思ったんです」
「確かに、今日のことがなければ信じられなかっただろうな」大悟が苦笑いした。
莉子がスライムたちと遊びながら言った。「でも、みんなとっても可愛いよ。危険なのは、さっきの黒いやつだけでしょ?」
「そうです。グラファイトは変異したスライムで、通常はとても稀な現象です」
真弓が化学者らしい興味を示した。「でも、なぜ変異が起きたの?」
誠は考えた。「最近、ダンジョンの魔力バランスが少し不安定だったんです。養成課程が始まったら、専門家に相談するつもりでした」
「今後、こういうことは起こらないの?」大悟が心配した。
「適切な管理をしていれば大丈夫なはずです。それに、今日みたいに家族みんなで対処すれば…」
「家族みんなで?」
「実は」誠は照れながら言った。「お父さんとお母さんも、認定探索者の資格を取ってもらえたらと思っていたんです」
両親は顔を見合わせた。
「面白そうね」真弓が最初に答えた。「化学の知識が活かせそうだし」
「俺も…まあ、息子のサポートなら」大悟も渋々同意した。
「本当ですか?」誠が嬉しそうに飛び上がった。
「ただし」大悟が条件を出した。「今後は何でも報告すること。一人で抱え込むな」
「はい!」
「それと」真弓が付け加えた。「リビングの修理代は、あなたのお小遣いから天引きよ」
「え…」誠の顔が青ざめた。
その夜、家族は溶けかけたリビングで、今後の方針を話し合った。スライムたちは元の机ダンジョンに帰り、平和が戻っていた。
「明日、アメジストさんに連絡して、今日のことを報告しましょう」誠が提案した。
「そうね。グラファイトの出現は、政府にとって重要な情報だと思う」真弓が同意した。
「それと、お父さんとお母さんの認定探索者試験の件も相談してみます」
大悟が笑った。「まさか息子のダンジョンで家族会議をすることになるとは思わなかった」
「でも」莉子が楽しそうに言った。「これで家族みんなでダンジョンを冒険できるね!」
誠は家族の理解と協力を得られたことに、心から感謝していた。今日の危機は大変だったが、結果的に家族の絆がより深まった気がする。
「グラファイトが普通のスライムに戻ったのも不思議でしたね」真弓が呟いた。
「キセス液の効果だけじゃないと思います」誠が答えた。「みんなで協力したから、ダンジョン全体の魔力バランスが安定したのかもしれません」
「魔力バランス?」
「ダンジョンは、そこにいる人の感情や意識と共鳴するんです。家族の愛情や協力の気持ちが、グラファイトを浄化したのかも」
大悟が息子の成長を感じながら言った。「15歳でそんなことまで理解しているのか」
「まだまだ勉強中です。だからこそ、養成課程で学ぶことが大切なんです」
翌朝、誠はアメジストに電話で昨夜の出来事を報告した。
「グラファイトが出現したって?それは重大な事態ですね」
「でも、家族で協力して無事に対処できました。それと…両親にもダンジョンのことが知られてしまって」
「それは良いことです。家族の理解と協力があれば、ダンジョン管理はより安全になります」
「両親も認定探索者の資格を取りたがっているんですが…」
「素晴らしい!すぐに手続きを進めましょう。経験者の家族なら、特別枠での受験が可能です」
誠は安心した。家族全員でダンジョンマスターの道を歩めるなんて、想像もしていなかった。
「ただし」アメジストの声が少し厳しくなった。「グラファイトの発生原因を徹底的に調査する必要があります。今日の午後、現地調査に伺いますね」
「はい、お待ちしています」
電話を切った後、誠は机ダンジョンの詳しい状況を確認した。第2層で起きた異変の痕跡を調べると、確かに魔力の流れに不自然な部分があった。
「お兄ちゃん、大丈夫?」莉子が心配そうに覗き込んだ。
「うん、でも念のためもう一度点検しておく」
午後、アメジストが小型の魔力測定器を持って現れた。同行者として、白衣を着た中年男性も一緒だった。
「こちらは魔力分析の専門家、ドクター・クリスタルです」
「初めまして。紅蓮さんですね。若いダンジョンマスターとして有名になっていますよ」クリスタル博士が穏やかに挨拶した。
「有名って…」誠が照れた。
「15歳での認定試験最高得点は、業界では話題になっています」
家族が集まったリビングで、改めて昨夜の状況を詳しく説明した。溶けかけた家具を見て、博士は深刻な表情になった。
「確かにグラファイトの痕跡ですね。通常、これほど大型化することは稀なのですが…」
アメジストが机ダンジョンの入り口で測定器を作動させた。「魔力濃度は正常値…あれ?」
「何か問題が?」大悟が尋ねた。
「第2層の奥で、微弱ですが未知の魔力反応があります」
クリスタル博士が興味深そうに測定器を覗き込んだ。「これは…自然発生の魔力結晶かもしれません」
「魔力結晶?」
「ダンジョンの魔力が長期間蓄積されると、稀に結晶化することがあります。これが不安定になると、周囲のモンスターに異常な変異を引き起こすことがあるんです」
誠は驚いた。「それが、グラファイト発生の原因ですか?」
「可能性が高いですね。確認のため、第2層の調査をさせていただけますか?」
「もちろんです」
ただし、大人がダンジョンに入るには転送ルーターを調整する必要があった。大悟が機械をいじりながら、「大人用の設定に変更しているから、少し待ってくれ」と言った。
「お父さん、ダンジョンの機械も理解しているんですね」クリスタル博士が感心した。
「息子から基本的なことは教わりました。エンジニアとしての経験も活かせそうです」
真弓も化学者らしい質問をした。「魔力結晶の安定化には、どのような処理が必要ですか?」
「特殊な中和剤を使用します。ちょうど昨夜、キセス液でグラファイトを中和されたように」
「なるほど、化学の知識が役立つわけですね」
準備が整い、一行は第2層へと向かった。アメジストとクリスタル博士は、ダンジョンの構造に感心していた。
「個人制作のダンジョンとは思えない完成度ですね」
「ありがとうございます」誠が嬉しそうに答えた。
第2層の奥で、確かに小さな青い結晶が発見された。手のひらサイズだが、強力な魔力を放射している。
「これですね」クリスタル博士が慎重に結晶を採取した。「非常に純度の高い魔力結晶です。これが不安定化して、グラファイトを発生させたのでしょう」
「危険なものですか?」真弓が心配した。
「適切に処理すれば安全です。むしろ、これは貴重な発見ですよ」
アメジストが説明した。「自然発生の魔力結晶は、ダンジョン技術の研究に非常に有用なんです。政府としても、ぜひ研究に協力していただきたい」
「研究協力?」
「はい。もちろん、相応の対価もお支払いします。それに、研究データを共有することで、より安全なダンジョン管理技術の開発にも貢献できます」
家族は顔を見合わせた。
「どうする?」大悟が息子に尋ねた。
誠は少し考えてから答えた。「お役に立てるなら、協力したいと思います。ただし、スライムたちの安全が第一条件です」
「もちろんです。研究は非侵襲的な方法で行います」クリスタル博士が保証した。
「それなら、お願いします」
結晶の採取が完了すると、ダンジョン内の魔力バランスは明らかに安定した。スライムたちも、以前より活発に動き回っている。
「これで当分は安心ですね」アメジストが安堵した。
地上に戻ると、クリスタル博士が真弓に声をかけた。
「奥様は化学がご専門でしたね。よろしければ、魔力結晶の分析研究にも参加していただけませんか?」
「私が?」真弓が驚いた。
「魔力の化学的性質の研究には、優秀な化学者が必要なんです。在宅でできる分析もありますし」
大悟も興味を示した。「俺の技術も何かの役に立つか?」
「ダンジョンの機械設備の改良には、エンジニアの視点が不可欠です。ぜひお願いしたい」
莉子が手を上げた。「私は?私にもできることある?」
クリスタル博士が微笑んだ。「お嬢さんには、モンスターとのコミュニケーション研究を手伝っていただけたら。昨日の様子を見ると、特別な才能をお持ちのようですから」
「やった!私も研究者になれる!」
誠は家族が皆、それぞれの形でダンジョンに関わることになったのが嬉しかった。
「紅蓮家は、日本初の『ダンジョンマスター一家』になりそうですね」アメジストが笑った。
「一家?」
「ええ。通常、ダンジョン関連の仕事は個人か組織で行いますが、家族全員が専門分野を持って協力するケースは前例がありません」
その夜、家族は新しい役割分担について話し合った。
「誠はダンジョンマスターとして全体統括」大悟が整理した。
「私は魔力の化学分析担当」真弓が続けた。
「お父さんは設備の技術管理」
「私はモンスターコミュニケーション!」莉子が元気よく言った。
「すごいチームになりそうだね」誠が感慨深く言った。
「でも」大悟が釘を刺した。「今後は危険なことがあったら、必ず相談すること。今回みたいに一人で抱え込むな」
「はい、約束します」
真弓が付け加えた。「それと、リビングの修理は来週業者に頼みましょう。ダンジョン研究の報酬で支払えそうね」
「よかった…」誠がホッとした。
莉子がスライムたちを見ながら言った。「みんなも、私たちが家族だって分かってくれたかな?」
確かに、スライムたちは家族全員に懐いているようだった。昨夜の危機を乗り越えて、絆がより深まったのかもしれない。
「明日から」誠が決意を新たにした。「家族みんなで、最高のダンジョンを作ろう」
「おー!」家族全員が拳を突き上げた。
こうして、規格外スライムの脅威は、逆に紅蓮家をより結束させる結果となった。グラファイトの出現は確かに危険だったが、家族の協力によって乗り越えることができた。そして、それぞれが新しい役割を得て、本格的なダンジョンマスター一家としての第一歩を踏み出したのだった。
翌朝、誠が起きると、机の上に小さなメモが置かれていた。アメジストからの連絡で、「紅蓮家のダンジョン研究プロジェクト、正式承認。来週から本格始動」と書かれている。
「いよいよ始まるんだな」誠が呟いた。
机ダンジョンの中では、スライムたちが平和に過ごしている。昨夜の騒動など忘れたかのように、のんびりと跳ね回っていた。
「みんな、これからもよろしく」
誠の声に反応して、スライムたちがいっせいにぴょんぴょんと跳ねた。新しい冒険の始まりを祝福するかのように。
実はDジェネシスのスピンオフも作ってみている。世界感が同じで、登場人物は紅蓮誠なんの許可も取っていないのでUpするか?迷っています。アドバイスを受け付けます。
歌を作りました良かったら聞いて下さい。
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