6話 近付く距離。
無事にライアンの服を仕立てる権利を手に入れたソフィーは、早速作業にとりかかることにした。
ここからがいよいよ本番である。
ライアンが認める服を仕立てられなければ、彼との結婚話はなかったことにされてしまう。
お父様ったら、心配しなくてもまだ第二関門が残っているのに……。
まぁ、ライアン様の妻の座は絶対勝ち取ってみせるけれど!
ソフィーの父は、すでに娘が嫁に行くことが決まってしまったかのように肩を落として落ち込んでいる。
お嫁に行くかどうかはソフィーの服の出来次第なのだが、娘の腕を誰よりも理解している父は、可愛い娘を近い将来手放すことを察しているかのようだった。
うってかわってライアンの父、ローゼン伯爵は、顔合わせ以降も初めてお見合いが継続したことで、まるで息子の結婚が決まったかのようにはしゃいでいた。
その喜びようはすさまじく、伯爵らの住まいである屋敷内に、ソフィーが服を仕立てる為の部屋を用意すると申し出るほどだった。
伯爵の亡くなった妻は裁縫を嗜んでいたらしく、旧型のミシンがあるから活用して欲しいとも言われた。
旧型とはいえ、ミシンは超高級品。
ソフィーの目は輝いた。
それだけ伯爵は本気でソフィーをライアンの妻として囲い込みたいと思っているらしい。
ソフィーも歓喜し、すぐさま話に飛びつきたくなったが、なけなしの理性が辛うじて彼女をとどめた。
果たして年頃の娘が、同じく未婚の男性の住む屋敷へ入り浸ってもいいものかしら……?
すると、今度は伯爵が自分の服や、使用人達の制服もこれを機に一新すると言い出した。
大がかりな仕事になるから、伯爵家からソフィーに正式に依頼をし、部屋を提供されたことにするという。
至れり尽くせりである。
これも全ては使用人との結び付きを強くし、なんとかして二人を結婚させたいという伯爵の思惑だったのだが、ソフィーにとっては願ったり叶ったり。
ソフィーは、ローゼン家現当主と言う最強の味方に感謝した。
◆◆◆
作業初日、ソフィーは使い慣れた道具を持って伯爵家を訪れた。
外出している伯爵とライアンの代わりに、メイドのジェーンがすべて一任されているのか、スムーズに部屋へと案内された。
「どうぞこちらのお部屋をお使い下さい。足りないものはおっしゃっていただければ、なるべくご用意致しますので」
ニコニコとジェーンが部屋の中を説明してくれるが、想像以上に……いや、あまりの豪華な部屋にソフィーは戸惑ってしまった。
「あの、作業部屋なのに、こんな素敵な部屋をお借りしていいのでしょうか? ミシンも旧型と聞いていたのに、これって結構最近の型のような……」
日の当たらない、隅っこの使用人部屋のつもりで来てみたら、なんて広くて明るい部屋なのかしら。
ミシンも多機能だし、その他の道具もありとあらゆるものが揃っているわ。
足りないものを探す方が大変なくらい。
「もちろんよろしいのですよ。旦那様は、奥様の使ってらした道具がまた日の目を見ることになって喜んでいらっしゃいます。ライアン様への試着などを行うのでしたら、広い部屋の方がいいですし」
それもそうかもしれないわね。
ライアン様がいらっしゃる機会があるのなら、使用人の方々も行き来する可能性があるし。
「では、ありがたく使わせていただきますね。今日は伯爵様とライアン様のお帰りは何時頃でしょうか? とりあえずは採寸をしたいのですが」
「それが、もしかして遅くなるかもと……」
申し訳なさそうにジェーンが答えるが、彼女のせいではないし、だったら他のことから始めるだけである。
「では、使用人さん達の新しい制服のデザインから進めましょう。皆さん、個々に要望などもありますよね。あ! 手の空いている方々と一緒にお茶とかしたらまずいですか?」
さすがに他家の使用人とお茶会を開くのは行き過ぎかと思ったソフィーだったが、実に呆気なく要望は通った。
ソフィーと使用人を仲良くさせて、お嫁に来てもらおうと伯爵が画策しているのだから、それも当然である。
こうして、数名の使用人とテーブルを囲むという珍しいスタイルのお茶の時間が始まった。
最初は緊張をして黙りがちだった者も、ソフィーの令嬢らしからぬ話しやすさにつられ、徐々に意見を出してくれるようになった。
「我が儘だとは思うんですけど、脱ぎ着が大変で」
「もう少ししゃがみやすい方がありがたいのですが」
「今のはデザインが古めなので、お洒落になったら嬉しいです」
男女それぞれ様々な意見が出たのを細かくメモしていく。
生の声を聞くと、思っていたより改善点があるものだなとソフィーは驚いていた。
◆◆◆
ライアンは予定より帰宅が遅くなり、疲れていた。
今日からソフィーが来ることはわかっていたが、予想外のトラブルに巻き込まれ、切り上げて帰ることが出来なかったのである。
屋敷に着くと、ジェーンが玄関で待っていた。
「おかえりなさいませ」
「戻った。……ソフィー嬢はどうした?」
「ソフィー様でしたら、夕方には帰られました。ライアン様のお時間が取れる時に、採寸だけしたいとのことです。今日は私達もお茶を同席しながら、新しい制服についてお話を致しました」
嬉しそうに報告をするジェーンに、ライアンは驚いた。
「は? うちの使用人とお茶?」
視線をジェーンから他の使用人に移すと、皆笑顔で頷いている。
正気か?
使用人の服など、普通は雇用主に必要最低限の意見だけ求めて作るものではないか。
実際に着用する現場の者の声を聞いて作るつもりなのか?
ライアンはソフィーのやり方に驚き、しかしそれでは労力をかけ過ぎだと非難めいた気持ちが芽生えた。
気持ちに寄り添い過ぎれば、ビジネスは立ち行かなくなることも多い。
自分も事業に携わる者として、ライアンはソフィーの今後に不安と興味を感じていた。
翌日は早めに帰宅し、採寸の時間を作った。
ソフィーはメジャーを手に満面の笑顔だが、ライアンは反対に怪訝そうな表情を浮かべる。
「ソフィー嬢? 以前と随分印象が変わったな。なんというか……地味だな」
ソフィーは髪をお団子にひっつめ、黒い飾り気のないワンピース姿をしている。
これではまるでメイドだ。
「あ、これは私の作業スタイルなんです。動きやすいので。今日からはずっとこんな格好ですけど、よろしくお願い致します」
貴族の令嬢が好んで着る服には思えず、最初違和感を感じたライアンだったが、すぐに意見は変わった。
随分と身軽に動くんだな。
このスタイルが一番動きやすいというのは事実なのだろう。
何より驚いたのは、使用人との連携だな。
もうこんなに親しくなったのか?
クルクルと楽しそうに使用人と時に笑い合いながら働くソフィーは、今まで見た令嬢の中で一番輝いて見えた。
地味な格好の彼女が、着飾っていた時より魅力的に見えるとはどういうことだ?
ライアンが自分の気持ちの変化に狼狽え、一生懸命平常を装っているのを、ジェーンだけが見抜いて笑っていた。