第7話:アジ=ダハーカ
「アジ=ダハーカが目覚めた?!世界の終末じゃないと目覚めないんじゃなかったんですか?!!」
冗談でも言っているのかと思ってガルシャを見るが、戦棍を握った筋肉質な腕には力が籠められ、太い血管が浮き出ている。
「だけど嬢ちゃん。この地底から身体を揺さぶるような振動は、それ以外には考え難いぜ?」
アジ=ダハーカは英雄フェリドゥーンによって地底深くに封印されているため、その封印から目覚めたというのであれば、先ほどの規模の地震であれば何ら違和感はない。
「今は世界の終わりじゃあありませんよ?!なのに、どうして目覚めちゃったんですか?!!」
「とりあえず、外に出てみようよ!」
明らかな変化が起きているのだとしたら何か分かるはずだ。慌てて外に出てみる。
と、
「ねぇセレン。異世界の空って赤色だったっけ?」
朝の早い時間であるため一面青空が広がっているはずだったのだが、そこにあったのは絵具で塗り潰したかのような赤い空だった。真っ白なはずの雲も赤く染まり、何処までも赤一面の空が広がる。
「な、何ですかこれ?何が起きているんですか?!!」
女神の反応を見ていれば、これが異常事態であるということは聞かなくても分かった。
「オレにも分からん。だが、並々ならん事態だということには違いないだろうな」
絵理華が異世界に来てから今日で二日目。
草原と宿屋『アルミラージの集会所』しか訪れていないため、世界が終わりそうだったかどうかなど判断がつかなかったが、少なくともそんな雰囲気はないように感じられた。
では、この異世界では何が起こっているというのだ。
「実は、この異世界特有の気象現象で、空が赤く見えるだけという可能性はないんですか?」
いきなり「今から世界が終わります。備えてください」と言われて、すんなり受け入れられる者がどれほどいるというのか。目を回しそうなほどにセレンが焦っていると、文字で表現できないような正体不明の鳴き声が森の奥深くから木霊する。
「この声って?!」
「ペリュトンやサンダーバードみたいな鳥系モンスターの鳴き声にも聞こえたが、この辺りにはそんな危なっかしいモンスターは住んでいねぇからな!!アジ=ダハーカとみて間違いねぇぞ!!」
ふわり、と身体を浮かせると、戦棍を握って森の上を飛んでいった。
「私たちも追い駆けよ!!」
「はいっ!!」
「……で、魔法ってどうやって使うの?」
「そういえば教えていませんでしたね……」
折角恰好付けたのに台無しだ。がっくりと肩を落とすセレン。
「わたしに続いて詠唱してください。遍く世界に満ちる見えない力よ。絵理華に力を貸して!」
「遍く世界に満ちる見えない力よ。絵理華に力を貸して!」
風属性の魔法を使う際に必要となる文言を唱える。
すると、身体が緑色の光を帯びて淡く光り、周囲を緑色の光球が漂う。
「わわっ!何これ?!」
「準備魔法と言って、空気中を漂う風属性の精霊・シルフから力を借りるのに必要となる魔法です。万全に準備を整えるのであれば、本当はあと五属性分の魔法も唱えなければいけないんですが、急いでいるので今回は風属性のみで行ってもらいます!!」
笑声にも似たシルフたちの声が聞こえる中、セレンは次の言葉を紡ぐ。
「地に縫い留められた足を解き放て!フライ!」
言われた通りに言われた言葉を詠唱する。
直後、まるで風に持ち上げられたかのように絵理華の身体がふわりと浮き上がり、中空でふわふわと停滞する。
「凄い……っ!!飛んでる……っ!!」
泳ぐのとは違って特別な技術はいらないらしい。ふわふわと自由に空を飛び回り、飛んだことの爽快感を満喫していると、
「あのおぉ!!喜んでいるところを申し訳ないんですけどお!!わたしにも同じ魔法を掛けて、一緒に連れて行ってくれませんかあ!?ゼロスト様にカミサマパワーを没収されて、何もできないんですう!!」
空を見上げながら金髪の女神が叫ぶ。
相手に魔法を掛けるにはどうしたらいいのだろう。と一瞬迷ったが、魔法を唱えながらセレンに向けて手を翳してみると、純白のトーガを風に靡かせながらセレンの身体が宙を舞う。
「はぁ……。この久々の感覚。空を飛べるのってやっぱりいいですね…………」
何処か寂しそうな表情をしながら感傷に浸っているが、今はそれどころではない。急いでガルシャの元へと向かう。
「どうしてこう、悪い勘ってものは当たっちまうのかねぇ」
飛び始めて少ししたところで逞しい後ろ姿を発見。英雄が見つめるすぐ先に『それ』はいた。
『…………』
悪龍アジ=ダハーカ。
この世の三分の一の生物を滅ぼすことができるほどに強大な力を持ったブラックドラゴンだ。
森の一角にブラックホールが発生したかのように黒い図体を穴の中に埋め、三つの頭を擡げながらこちらを静観していた。
「確認するまでもねぇと思うが、あんたがアジ=ダハーカか?」
そのサイズは両翼を広げれば空を覆い隠すほどだと言われている。
森にあるほとんどの森林を捻り潰して鎮座する龍に英雄が話し掛けると、
『如何にも』
答えは是だった。
真ん中にある頭が口を動かす。
『我が名はアジ=ダハーカ。この世界の生きとし生ける者を淘汰する者なり』
『見たところ、貴様はただの人間ではないな?一体何者だ?』
間髪入れずに向かって右側の頭がガルシャを見て評した。
「オレの名前はガルシャースプ。天界からあんたを殺すためにやってきた英雄だ」
『ほう。天界の者か。それは興味深い』
「英雄」・「殺す」という単語に臆することもなく、向かって左の頭が呟いた。
「だが、オレはあんたを殺さん」
『つまり、我を殺さずして我の野望を止めようというのか?面白い』
「いいや違う」
殺すわけでも、殺さずして止めるわけでもない。どういうことか。
訝しがりながらも黒龍は返答を待つ。
「ここにいる女の子が、お前とお友達になりたいってさ!」
『『『ふははははははは!!!!!』』』
『苦悩』・『苦痛』・『死』を司るはずの三つの頭が一斉に笑い声を挙げる。
『そこにいる一介の人間、しかも小娘如きが、この我と肩を並べようというのか?!』
黒龍の背丈はどう見積もっても1,640フィート(約500m)以上。
そこから発せられる重量感のある声に、そのまま吹き飛ばされてしまいそうだ。
『ちょうど腹も減っていることだし、まずはその命知らずな生娘で腹を満たすとするか!』
血と空腹と恐怖に飢えた六つの瞳が一斉にこちらに向けられる。