第2話:初めての仲間
「絵理華さん」
鈴を転がすような声で名前を呼ばれた。
「起きてください絵理華さんっ!」
混濁する意識の中で眼を開き、目の前にいる女性の顔を見る。
何処か幼い印象を持つ面立ちに、さらさらとした金色の美しい髪。「この世のものとは思えない美しさ」という形容が唯一許される少女である。
何故なら彼女はこの世界の住人ではなく、女神なのだから。
「ここは……?」
「ゼロスト様が管理する異世界です」
身体を起こして周囲を見渡してみる。
人通りの少ない草原なのか、周囲には背の低い草花以外には何もない。澄んだ青空を泳ぐように鳥たちが飛んでいく。
「ここが異世界……?」
ゼロストと話したのも。
目の前にいるセレンや異世界の風景も。
そして、虎に頭を齧られて死んでしまったのも。
夢だったのではないか?
全部夢だったのではないか?
短い時間のうちに浮世離れした経験ばかりをしてきた絵理華の頭に、そんな疑問符が泡沫のように浮かんできたが、右腕にある違和感によってすぐに消失する。
それは、右腕に装着された魔証石だった。
「気になりますか?それ?」
そんな疑問を読み取ったかのように、金色の髪を揺らしながらセレンが話し掛けてくる。
「絵理華さんがいた世界ではステータスを出すことなんてできませんからね。記念にもう一回やってみますか?」
「記念写真じゃないんだからさ、無駄にステータスをオープンする意味はないよね?」
「ははは。そうですね」
肩を揺らして笑うと、10代後半くらいの見た目をした少女が手を伸ばす。
「わたしの名前はセレン。ゼロスト様の命で、あなたが異世界で生きていくための補助を任された女神です。よろしくお願いしますっ!」
無論、この手を無慈悲に拒む必要などない。
「とっくに知っていると思うけど、私の名前は山城絵理華。これからよろしくね」
伸ばされた手をしっかりと握り返す。
「わたしたちのゼロからの異世界生活が始まったわけですね!それでは早速行きましょう!!」
威勢よく腕を振り上げ、女神が第一歩を踏みしめようとした矢先、
くううぅうう――。
腹がかわいらしい音を鳴らす。
「……お腹空きましたあ。とりあえず街道に出ましょうか」
こんなところで時間を潰しても仕方がない。
背中を包む草花の感触に名残惜しさを感じながらも立ち上がり、二人並んで草原を歩く。
「絵理華さんは、この世界でどんなことがしたいですか?」
「うーん……。何だろ?」
動物園で勤務していた時は展示スペースの清掃・餌やり・芸の仕込み・健康診断のための体温測定・動物の説明が書かれたポップや張り紙の作成など、ある程度やらなければいけないことが決まっていて、それに沿って行動すればよかったのだが、いきなり広い空間に放り込まれて「自由にやっていいですよ」と言われると、かえって何をしていいか分からなくなるものだ。発売されたばかりのオープンワールドゲームをとりあえず起動した時の感覚に近いかもしれない。
「絵理華さんって動物が好きなんですよね?だったら【テイム】のスキルを使って、いろいろな生き物を仲間にしてみたらどうですか?」
「【テイム】って、何にでも使えるの?」
「さすがに人間を奴隷に!みたいなドSチックな使い方は無理ですけど、モンスターとかだったらいけると思います。例えば……、ほら、あそこにいるアルミラージ」
女神が指をさした方向を見ると、額に一本の角が生えた黄色い毛並みの兎が一羽、こちらの様子を窺うように草原から顔を出していた。
「絵理華さんの【テイム】を使えば簡単に仲間にできると思いますよ。やってみてください」
「……って、どうやってやるの?」
「スキルは魔法と違って無詠唱で何度でも使うことができるので、「あの子と仲良くしたい!」と念じながら「【テイム】!!」と叫ぶだけでオッケーだと思います」
セレンの指示通り、じっとアルミラージを見つめて眉間に皺を寄せながら念を送り、「【テイム】」と唱えてみる。当たり前だが生まれて以来魔法やスキルなんて使ったことがないため、完全に見様見真似だったが、
「プーッ!プーッ!!」
どうやら【テイム】に成功したらしい。兎は声を発するのに必要な器官である声帯がないため、代わりに空気が抜けるような音を小さく鳴らしながら足元に擦り寄ってくる。
「よしよーし」
腰を落として腕を伸ばしてやると、腕を伝って這い上がり、左肩の上へと鎮座する。
「こうやって近くで見るとかわいいですね!名前は何にするんですか?」
「んと……」
アルミラージというのはあくまで種族名なので、ちゃんと名前を付けてやらないと、犬に対して「犬」と名前を付けるようなものだ。少しの間時間を要して考える。
「……ルミ子。ルミ子にしよう!」
「売れっ子漫画家みたいな名前ですね?!」
まだ寝床も活動拠点も決まっておらず、今日のご飯ですら食っていけるか見通しがついていない状況で仲間モンスターを増やすのも危険なのでは?という考えのもと、ひとまずルミ子だけに留めて草原をひたすらに歩くと、日が傾き始めた頃に細い街道に到達した。
「ゼ……、ゼロスト様め…………。どうせ異世界に送り出すんだったら、もっとアクセスのいい場所に落とせばいいのにっ!!」
「いいんじゃない?別に。ルミ子にも会えたし結果オーライでしょ?」
さすがLSランクの冒険者といったところか。一日中歩いていたにもかかわらず、息は全く切れていない。
「にしても、何処ですかねここ?随分と片田舎っぽい場所に来てしまったっぽいですよ?」
細い街道に出たとは言っていたが、その道は舗装がボロボロになって手入れの行き届いていない一本道。経年劣化によって罅割れた石畳の隙間からは道を覆い隠すように雑草が生えていた。
東側に向かって道が伸びているようだが、光源が一切ないためそれ以上の道が分からず、西方に鬱蒼と茂る森に背中を向けるようにして閑静な宿屋が一軒あるだけだった。人間が住んでいると思しき建物は周囲にこの一軒しかないことになる。
「どん詰まりってやつですかね。どうしてこんなにも立地条件が悪い場所に宿屋があるんでしょう?」
「とりあえず入ってみようか」
「【マジックマスター】を持つLSランクの冒険者ともなると、やっぱり風格が違いますねぇ」
腹は減るし、夜になって右も左も分からない。他に泊まれそうな場所は見当たらないし、もしモンスターとかの罠だったら撃退すればいい。
両開きの扉に手を添えて体重を預けると、店の中へと入っていく。