第1話:天界
「なぁセレンちゃん?さっき話した段取りと随分違うんだが?」
「はえ?絵理華さんを『トラ食う』で殺すんですよね?」
「……何も分かっちゃいねぇな」
呆れたような声が聞こえる。
「トラックだよトラック!そのために俺がいることを忘れてるんじゃねぇだろうな?!」
「え゛っ?!トラック?!!『トラ食う』じゃなかったんですか?!!」
「呆れてものも言えんわい……」
しゃがれた声の男も溜息を吐きながら肩を竦める。
「よいかセレンよ。そそっかしいお主のせいで、たいが君は人食い虎となってしまった。人食い虎となったたいが君がこの後どうなるか分かるかの?」
「……分かりません」
「熊などの肉食動物はな、一度人間の味を覚えたら何度も人間を襲うようになるんじゃ。そうなると、いつ飼育員を襲うか分からなくて危険じゃから、止むなく殺処分することになるじゃろうな」
「殺処分?!!」
聞き捨てならなかった。
驚いて身体を素早く起こすと、純白のトーガを身に纏った三人に向き直る。
「おぉ、聞いておったか」
白い顎鬚を生やした老人がこちらの様子に気づく。
「迷惑を掛けてしまってすまないのう。ワシの名前はゼロスト。……まぁ、ざっくりと言ってしまえば、ちょっと偉い神様とでも思っておいてくれい」
前後左右が柔らかい光に包まれた空間に杖を突きながら、こちらに向かって歩く。
「そいで、後ろにいる筋骨隆々の男がイスガワで、金髪の少女がセレンじゃ」
「よ、よろしくお願いします」
社交辞令的に絵理華が頭を下げると、イスガワは軽く頭を下げたが、セレンは顔面蒼白のまま動かない。
「早速だが本題に入らせてもらおう。お主をワシが管理する異世界へと転生させることが天界で決定したのじゃが、如何せん、この女神がトチっての。異世界転生を担当するイスガワが運転するトラックを使ってお主を殺すはずが、間違えて虎に襲わせて殺害してしまったんじゃよ」
「……申し訳ないです」
死刑宣告をされた罪人のように顔色を悪くしながら、蚊の鳴くような声で答える金髪の少女。
「え、えっと。殺し方を間違えたのに何か問題があるんでしょうか?」
事情はよく分からないが、彼らは自分のことを殺すのが目的だったらしい。
形はどうであれ、殺すこと自体は達成できているのだから何も問題はないのでは?素朴な疑問をぶつけてみる。
「実は、一年間で地上で死ぬ生き物の数には明確な決まりがあっての。天界の住民であるイスガワがトラックで殺すのであれば、お主一人が死ぬだけでよいが、動物園の虎が食い殺したとなると、お主と人食い虎の二名が死ぬことになるじゃろ?本来殺さなくてもいいはずの生き物を殺さなければならなくなって、天界全体の計画が丸っと狂ってしまうから、再び計画を練り直さねばならんのじゃよ」
「天界もいろいろと大変なんですね……」
どうやら、天界には異世界転移・転生部門とか生殺与奪管理部署みたいな、細かい部署分けがあるらしい。
――咄嗟に絵理華が名付けただけなので、本当にそういう名前の部門や部署があるのかは分からないが。
「話を戻すぞ。本当はただ単にワシが管理する異世界に転生させるだけのはずだったんじゃが、セレンの手違いでお主に懐いていたたいが君も殺す羽目になってしまった。そのお詫びとして、お主が異世界で何不自由ないセカンドライフを満喫できるように、ワシがいろいろなことをサポートしていきたいと思う」
「具体的には、どんな感じになるんですか?」
「……随分と前向きじゃのう?」
「さっきゼロスト様が言っていましたよね?地上で死ぬ生き物の数が決まっているって。それってつまり、私を生き返らせることもできないってことですよね?なら、自分の境遇を受け入れるしかないのかなあ、と思ったんですよ」
「賢しいのう。では、みんな大好きスキルの話をするぞい」
スキルと言えば、ゲームやアニメなどで見られる特殊能力のことだ。その異能力を与えてくれるということか。
「どんなスキルをくれるんですか?」
「まず、火・水・土・風・光・闇の六つの属性の全ての魔法が使えるスキル【マジックマスター】。どんな動物でも手懐けることができる【テイム】。……後は何かあるかの?」
隣に立つ筋骨隆々の神に視線を向ける。
「確か、スキルを持てるのが二つまで、という制約がある世界観でしたよね?だったら、三つ以上持たせるのはまずいのでは?」
「おぉ、そうじゃった。あまり目立ちすぎても大変じゃからのう。これくらいがいい塩梅じゃろう」
ごそごそと懐に手を突っ込むと、小指の爪くらいの大きさをした、青いビー玉のような宝石を取り出す。
「これは……?」
「魔証石じゃ。お主がこれから向かう世界では、この魔証石を装着していることが冒険者の証となり、この石を肌身離さず装着していないとスキルが使えないようになっておる。イアリング・ピアス・ブレスレット・ネックレス・指輪・チョーカーあたりに加工するのが一般的じゃな。今から加工してやるが、どれがいいかの?」
動物と触れ合う関係上、食い千切られる可能性があるためにイヤリングなどの装飾を身に着けたことがなかった。転舜の間考えた末、
「ブレスレットでお願いします」
腕時計をする習慣はあったため、一番感覚が近い腕輪に決定した。
「あい分かった」
ゼロストが青い宝石を両手で包み込んで何やら念のようなものを込めると、開かれた手の上では既に宝石が嵌め込まれた腕輪が完成していた。
「凄い……っ!手品みたいですね!」
「ほほほ。カミサマパワーを使えば、これくらいのことは造作もないよ」
ふわふわと空中を移動する腕輪を掴むと、早速装着する。
「うむ。それでは使い方も説明しておこう。魔証石の表面を優しく撫でるように触ってみてくれないかの?」
言われた通りに動物の頭を撫でるように青い宝石に触れてみる。
と、絵理華のステータスが光の空間に映し出された。
●名前……エリカ
●性別……女
●年齢……25歳
●種族……人間
●所属……なし
●役職……なし
●スキル……【マジックマスター】(LSランク)、【テイム・神】(LSランク)
●レベル……100(LSランク)
●最大HP……13,875(LSランク)
●最大MP……5,616(LSランク)
●物理攻撃力……2,933(LSランク)
●魔法攻撃力……2,881(LSランク)
●物理防御力……2,892(LSランク)
●魔法防御力……2,916(LSランク)
●敏捷……1,755(LSランク)
●幸運……714(LSランク)
◇OP――――――――――――
なし
◇バフ―――――――――――
なし
◇デバフ――――――――――
なし
◇状態異常―――――――――
なし
OPにLSランク。
動物との豊かなスローライフをするゲームくらいしかやったことがない絵理華には、聞き馴染みのない単語だ。
「これが、お主が異世界に行った時のステータスじゃ。……不満な部分があるのなら今なら変更できるが、何かあるかのう?」
「あ、いえ。特にないというか、何が何だかさっぱり分からないというか……」
「まぁ、ここら辺のステータスや分からないことについては、必要になった時にセレンが教えてくれるはずじゃから、今はそんなに気にする必要はないじゃろう」
「……はい?」
セレンと呼ばれている金髪の少女が緑色の目を丸くする。
「どういうことですかそれ?わたしは天界にいるんだから、絵理華さんにはレクチャーできませんよ??」
「お主の方こそ何を言っているんじゃ?お主はこれからガイド役として絵理華と一緒に異世界に行くんじゃぞ?」
「はいい?!!」
驚いたような表情を浮かべる。
「何ですかそれ?!全く聞いていないんですけど?!!」
「そりゃそうじゃ。言ってないんじゃからな」
「何でわたしが一緒に行かなきゃならないのですか?!」
「虎のたいが君を殺さねばならなくなった罰じゃ」
「ぐっ!!」
今度は胸に剣が刺さったかのような苦しそうな表情に変わる。
「嫌ですよ!わたしはゼロスト様に仕える忠実な女神セレン!!これからも天界でバリバリ仕事しますよ!!」
「……そうか。一緒に行ってくれないのか。残念じゃのう」
ゼロストは顔を俯けると、
「ならば、先に現地入りしてもらおうかのう!!」
悪戯を仕掛ける童のように口角を歪ませながら、雲の上のような見た目をした床を杖で一回だけ突く。
途端、セレンが立っていた場所にぽっかりと穴が開き、眩しいほどの青空が広がった。
「ちょ、え、あ゛あ゛っ?!!うぉぇあああああぁぁああああぁぁぁぁぁああああああああああぁぁああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁあああああぁーーーーーーーーーーーーーっっっっっっっっっっっっっ!!!!!!!!!」
神様であるはずなので、カミサマパワーとやらを使えば簡単に浮かんで来られるはずなのだが、どうやらゼロストが事前にカミサマパワーを没収して使えなくしているらしい。奇声を挙げながら翼を射抜かれた鳥のように、重力に抑えつけられて眼下へと落下していく。
「安心せい。お主はちゃんとした方法で安全に送ってやるからのう」
純白のトーガに白い髭という、身体のほとんどが白に覆われた老人は朗らかに笑う。