第14話:ヴィーザルの神性
『ヴィーザルとか言ったか?』
三つの首で睨めつけながら、アジ=ダハーカは口を開く。
『貴様にはあの大狼の口を引き裂くほどの怪力があるそうだな?』
「……如何にも」
兜の中で表情を隠したまま、ヴィーザルの言葉は続く。
「……貴様も天地に分けて二つに引き裂いてやろう。……フェンリルを仕留め損ねた代償にな!!」
もはや、これだけの巨大生物が同時多発的に暴れ回っていて地表が持ち堪えているのが不思議なくらいだ。
自慢の怪力を生かすべく、鉄のような硬さを持つ靴に包まれた足を踏み込み、黒いドラゴンへと一気に駆ける。
だが、そうと分かっていて捕まるほどアジ=ダハーカは享楽的で阿呆ではない。
優雅に翼を動かして飛ぶと、
『まずは小手調べだ!!』
真ん中の口から灼熱のファイアブレスを吐き出す。
「……ふんっ。……甘いな」
一方の英雄は龍の言葉を一笑に付すと、腕を交差させてこれを受け止めた。
『……ほう。なかなかやるではないか。結構本気で撃ったのだがな』
「……これしきの炎、涼風のようにしか感じぬ」
『言ってくれるではないか』
フェンリルは口から炎を吐くことができるモンスターだ。
では、そのフェンリルが何故ヴィーザルに上顎と下顎を縦に引き裂かれて絶命したのか。
答えは単純。
ヴィーザルに炎が効かないからだ。
炎が効かないうえに怪力を売りとする神と対峙して、フェンリルはどう勝てというのか。
いや、勝てないからこそフェンリルは敗れたのだ。
『ならば、これならばどうだ!!』
こちらが空を飛べる以上、徒手空拳で戦うヴィーザルには対抗手段はない。
左右の口から眩しい光の光線と、深淵の色を持つ光線を放つ。
光と闇。
悪しき者を滅する光と全てを飲み込む光。
プラスへと引き延ばそうとする力とマイナスへと押し込めようとする力が合わさった時、あらゆる物体はゼロへと圧縮される。
「ぐううっ!!」
同じように腕を交差して受け止める。
が、
「ぐああああああぁぁああああぁぁぁぁぁあぁぁああああぁぁぁあああぁぁぁぁぁああああああぁぁぁああっっっっっっっっっっっっ!!!!」
あれほどの大きさを持っていた身体は、いともあっさりと光と闇によって発生した渦に巻き込まれてぐにゃりと不可思議に歪み、消滅してしまった。断末魔だけが地平線の彼方へと木霊する。
『…………は?』
渦は黄色と黒が不気味に畝るような動きを見せながら収縮し、まるで何事もなかったかのように中空から姿を消した。あまりの拍子抜けに翼だけを動かしたままアジ=ダハーカは硬直し、何か裏があるのではないかと勘繰ってしまう。
ヴィーザルはオーディンの息子であり怪力。名前の由来は『森』という意味で、普段は森の中で穏やかに過ごす物静かな男だ。
人間の爪と踵の皮から作られた鉄のように硬い靴を履き、その靴でフェンリルの下顎を踏みつけられたからフェンリルを殺すことができたという。
だが、逆に言えばそれくらいしか逸話がない。
グングニルのような特別な武器を持っているわけではないし、スレイプニルという八本脚の馬を持っているわけでもない。また、ミスリルでできた特殊な鎧を身に纏っているわけでもなければ、魔法の心得があるわけでもない。本当に『怪力』ということ以外は目立つ伝承や逸話が存在しないのである。
『嘯いていた割には、随分とあっさり死んだものだな……』
そういえば、ついうっかりヴィーザルを殺してしまったものだが、果たしてよかったのだろうか。
この事実を知ったら「何で殺したの?!」と激高して(一応ペットなので)おやつ抜きになったりしないだろうか。
『…………』
世界の三分の一を滅ぼす悪龍がおやつの心配をするなど、随分と甘くなったものだ。
山を一つ吹き飛ばしてしまいそうなほどに大きな溜息を吐くと、生命蘇生魔法の詠唱に入る。
生物を生き返らせるのは倫理観的な問題や、天界が生命の数を管理している云々の理由で御法度なのだが、生き返らせる対象は神様だ。きっと問題はないだろう。
☆★☆★☆
『お……、おのれっ!!!』
顔一面を真っ赤な血に染めながら、巨大な蛇は恨みの籠った言葉を漏らす。
対する正面に立つ男は全身に雷を纏い、その両手には鉄製の手袋を装着している。
「すげぇなお前!オレがミョルニルでぶっ叩いて死ななかったのは、お前が初めてだよ!!」
巨大な男は肩にハンマーを担ぎながら飄々とした態度で答える。
目の前で相対するのはトールとヨルムンガルド。
まだ幼体だった頃のヨルムンガルドを釣り上げて殺そうとしたところを、ヨルムンガルドが逃げてトールが一勝。
ウートガルザ=ロキの屋敷に行った際に猫を持ち上げようとしたが、それがウートガルザ=ロキの幻覚効果によって変身したヨルムンガルドで、その重さ故に持ち上げることができずにヨルムンガルドが一勝。
そして、一勝一敗のまま訪れたラグナロク。
結論を言ってしまえば、一撃であらゆる相手を粉砕できるとされているミョルニルを一回打ち付けても死なず、三回打ち付けることでトールが勝利。しかし、今際のヨルムンガルドが噴出した毒を浴びて倒れ、引き分けのまま両者の戦いは幕切れとなる。
「ま、どれだけ頭が良くてもどれだけ強くてもどれだけ大きくても、蛇じゃ文字通り手も足も出ないだろ?だから、そのまま大人しく死んでくれねぇかな?」
鮮やかな血を豪雨のようにぼたぼたと垂らして湖を作っているが、今のは男から放たれた、たった一撃分のダメージだ。
もしこの攻撃を何度も受けたら、地球をまるごと締め上げることができるほどの大きさを持ったヨルムンガルドでも、耐えることは能わないだろう。
(どうしろと言うのだ…………)
そもそもの話、戦っているのは人間と蛇。どっしりと二本足で立った状態の人間と地面を這う蛇とでは、体格さでどちらが有利かなど言うまでもない。
さらに、相手はアース神族の全ての神を合わせても勝てない、と言われるほどに強い力を持った最強の軍神で、天気を操ることから雷神・農耕神としての側面も持つ。雷や暴風といった攻撃も可能であり、絞める・呑みこむ・噛みつくなどの近距離攻撃を主とした戦い方をする蛇とはあまりにも相性が悪い。
そして脅威となるのはミョルニル。
一度投げれば敵を追跡して飛び、持ち主の手にブーメランのように戻ってくる灼熱の槌だ。ドワーフが作ったとされる鉄製の手袋・ヤールングレイプルを装着しないと握れないことと、現在進行形で空気を燃やしながら煙を挙げているところからも、その表面温度が如何様であるかを判断するのは容易い。
巻きつこうとすれば力で解かれるか電撃が流され、首を持ち上げようとすればモグラ叩きのように頭上からハンマーが振り下ろされる。
どう足掻いてもヨルムンガルドに勝ち目はない。
「さぁて、オレ様のミョルニルで何処まで耐えられるか試してやるよ!!」
柄の短い槌を振り上げ、こちらに向かって歩いてきたところで、
「待てトール」
背後から男声が掛けられてその足が止まる。
「……誰かと思えばテュールかよ?増援ならいらねぇぜ?」
余裕たっぷりに背後を振り返りながらトールは肩を竦める。
「このでかいだけの蛇をさっさと退治しちまいたいから、今は話し掛けないでくれねぇかな?」
「その心配はないのである。何故なら、この少女がナグナロクを終わらせるのだからな」
「??どういうことだ?」
「初めまして」
聞こえていると信じてトールの膝の高さで飛行しながら声を出す。
「私の名前は絵理華。この世界を終わらせたくないから【テイム】を使ってモンスターたちを宥めて戦いを終わらせようとしているの」
「このように、フェンリルもガルムも彼女の【テイム】によって手懐けられたし、このテュール、ガルムが目の前で少女の指示に従うところを見届けた。彼女には神獣を従える強い力があるのだから、彼女を信じてもらいたい」
右腕を失った神が雲の上まで顔を出して必死にトールを説得するが、
「……おいおいテュールのおっさん。そんな甘い事言ってるからオーディン様に立場を簒奪されちまうんだぜ?同じ軍神として恥ずかしいな!!」
バチバチバチバチッッッ!!!
身体から発せられた電気が空を泳ぎ、周囲の樹々を一瞬で焦がした。
テュールもトールも互いに軍神とした崇められた男神だ。
テュールが神々が恐れたフェンリルに餌をやる勇猛さから『軍神』と呼ばれるのだとしたら――、
「その女は巨人族の勢力下にあるモンスターを全て、【テイム】で配下にしようとしているんだろ?だったら、そのモンスターたちを操る将軍にだってなれるってことだよな?」
トールはその頭の冴えから『軍神』と呼ばれる神か。