第13話:地獄より解き放たれし番犬
『話は全て聞かせてもらったぞ。異界の娘よ』
どしどしと巨体で大地を駆けながらフェンリルは言葉を並べる。
『【テイム】で我らを仲間にして、憎き神どもとの戦争を避けようというのだな?』
「そうだよ。ところで、一つ聞いてもいいかな?」
『何だ?』
「神様たちは、そもそもどうしてラグナロクで戦っているの?」
少しの沈黙を経てから賢狼の口から言葉が出る。
『神も我々も少なからず因縁があってな。その因縁を晴らすために争っているのだ』
例えば、トールとヨルムンガルドはラグナロクで戦う以前に二回諍いを起こしており、それぞれ一勝一敗のような形となっている。
ある者は新世界の神となるために。
そしてある者は宿命のライバルに引導を渡すために。
それぞれの武器を手にして立ち上がったのだという。
「それも勿論そうなのですが、理由を聞くのは野暮だと思います」
隣に並んだセレンが付け足す。
「そもそもラグナロクというのは、あらゆる生き物たちが秩序を失って殺し合いをした後、三度の冬が訪れて全ての生き物が死滅した後に行われる、神と巨人族による戦いだと言われています。絵理華さんが【テイム】したモンスターたちは自我を取り戻して冷静になるみたいですが、神もモンスターも区別なく無秩序に暴れ回っている状況です。そこに理由なんて存在しません」
「三度の冬が来るんだったら森は全部枯れているはずだし、もっと人の数が少なくなっていても不思議じゃないよね?なのに、なんで自然は残っているし、人々が暴れ回る狂乱の世になっていないの?」
『それは私にも分からぬ。だが言えることは、そんな冬なぞ来ていないということだな』
みしみしと音を鳴らしながら草花のように踏み潰しているのは緑に茂った樹々と綺麗な石造りの街並み。あらゆる生物を殺す冬が来たようにも、狂乱によって街が破壊されているようにも見えない。
「これはあくまで推測なんですが、」
自分の見解であることを補足してから意見を述べる。
「この世界を支える陸・海・空の神獣たちが、魔法かカミサマパワーで異世界の環境を整えているのかもしれません」
『旧約聖書』によれば、陸はベヒモス・海はレヴィアタン・空はジズが管理していると言われている。それぞれが地球規模の大きさで、例えばジズは翼を広げれば空を覆い隠すほどの大きさがあるという。
「だとしたら、そう長くは持たないでしょうね」
「……?どうして??」
「『旧約聖書』では、世界の終末にはベヒモス・レヴィアタン・ジズの三体が誰かが生き残るまで争い、生き残った者が新世界の住民の食料になると言われているんです!」
「世界を牛耳る超獣で蠱毒をしている場合?!!」
とにもかくにも、ここで終末思想について整理しておこう。
・ゾロアスター教……封印を解かれたアジ=ダハーカが出現。世界の三分の一の生物を殺すが、英雄ガルシャースプによって退治される。
・北欧神話……人々の秩序が崩壊し、三度の冬が来た後にあらゆる生物が滅亡。神族と巨人族による全面戦争の後、炎の巨人スルトによって世界が焼却され、新しい世界が誕生する。
・『旧約聖書』……世界を支える三柱の神獣である、陸を司るベヒモス・海を司るレヴィアタン・空を司るジズの三体が殺し合い、生き残った一匹が新しい世界の住民の食料となる。
「えっとつまり、スコル、ハティ、ガルム、ヨルムンガルドに加えて、ベヒモス、レヴィアタン、ジズも【テイム】しなくちゃいけないってこと??一体何体の神獣を【テイム】すればいいのさ??」
宗教というものは、どうしてどれもこれも世界を終わらせたがるのか。
『他の宗教のことなど微塵も分からぬから、まずは我の弟たちから助けてもらおう』
「ガルムは軍神テュールと相打ち、ヨルムンガルドは雷神トールと相打ちになります!そうなる前に、この二匹を【テイム】するのが最優先です!!」
「じゃあ、とりあえずはどっちかを【テイム】すればいいんだね?!」
『見えてきたぞ』
その大きさ故に視界一面にはふわふわの銀色の毛並みしか見えないフェンリルの声に導かれて前方を見ると、隻腕の男と巨大な犬が睨み合っていた。
軍神テュール。
他の神々が嫌っていたフェンリルの餌やりを進んで志願した神で、その名の由来は『神』。かつては最高神として崇められていたが、オーディンを主神とする信仰が台頭したことにより、軍神へとその身分を落とした神である。
「このうえ更にフェンリル狼も加わるか。多勢に無勢とはこのことだな」
薄汚れたトーガを身に纏った隻腕の男は、こちらに背中を向けたまま語る。
『久しいなテュールよ。貴様の腕、なかなか美味であったぞ』
「……さすがにもう一本の腕はやれぬぞ?」
フェンリルは、グレイプニル(地底に繋ぎ止めるための鎖)が安全なものだと証明するために、テュールの腕を咥えた状態でグレイプニルに拘束された。
しかし実際は神がドワーフに作らせた強力な鎖で、フェンリルは抜け出すことができず、騙されたことに憤慨したフェンリルはその場でテュールの右腕を引き千切ったのだ。
『だが、今回は貴様を倒しに来たわけではない』
「??」
訝しみつつも正面を見つめたまま動かないテュールの背中に語り掛ける。
『このラグナロクを止めに来たのだ。背中に乗った娘どもとな!!』
二者は互いに激しい戦いになると察しているのか、睨み合ったまま動こうとしない。
魔法を使って空を飛ぶと、ガルムの方へと向かう。
「ぐるるるるる……」
地獄の番犬だからか否かは分からないが、フェンリルのような人語を理解するモンスターではなく、ヘルハウンドのような狂暴な犬型のモンスターに近いようで、言葉を話しても理解できるほどの知能はないようだ。
ならば、実力行使しかない。
「ぐあああああああああ!!!!」
口一杯に炎を含むと、こちらに向けて放出してくる。
「わわっ!!」
魔法の中には『ウォール系』と呼ばれる防御系の魔法もあるのだが、相手は地獄の番犬を務める幻獣。人間が編み出した魔法如きで防げるかどうかが分からなかったので、羽虫のように空を舞って咄嗟に避ける。
そして、
「【テイム】!!」
スキル【テイム】を発動。
「お座り!!」
スキルがしっかり掛かっているかどうかを試すべく命令を下す。
と、
「ワンっ!!」
周囲の空気を震わせて元気よく鳴きながら、普通の犬と何ら変わらない動きで尻を地面に着地させる。
「どうなっているのだ……?」
死闘を覚悟していたのが馬鹿みたいだ。目を白黒しながら空中に浮かぶ女性とガルムを交互に見る。
「世界各地で暴れているモンスターたちを私の【テイム】で大人しくさせて、争いを止めているんだよ!!」
「はははははは!!なかなか面白いことをするな!娘よ!!」
牙を剝き出しにしていた番犬から完全に敵意がなくなったのを見ると快活に笑う。
「そういうことであれば、このテュールも協力しようではないか!!何せ、ヨルムンガルドと戦っている男は言っても聞かないような頑固者だからな!!」
「ありがとうございます!!」
圧倒的な大きさを持つため相変わらず膝くらいまでの高さしか見えないが、仲間が増えるのはありがたい。『フライ』を使ってセレンと一緒にガルムの背中に移動し、テュールをフェンリルの背中に乗せる。
「自分の右腕を食い千切ったモンスターの上に乗るというのは、何だか気分が乗らないものだな」
『貴様のことを嚙み殺そうとしていた犬に跨るよりはましだろう?』
「ははは。そうに違いない!!」
狼と犬は人間と神を乗せながら並走して次の場所へと向かう。