――好きの踊り食い
恋する乙女は当然の如く美しい、ならば、恋する若男も美しさを持っているのだろうか?
僕の本気の初恋は、大学一年の時だった。同い年で同じサークルに所属していた佐々木彩香に、僕は一目ぼれした。
二十四歳になった今の僕には、そんな純粋な恋心が懐かしく思えた。
大学一年で彼女に恋をして、けれど彼女に彼氏がいることを知っていた俺は、なかなか彼女をデートに誘えなかった。大学四年になり、彼女が彼氏と別れたと知ってようやくデートに誘うことが出来たのだ。
デート中何度も彼女の手にそっと手を伸ばし、けれど触れることが出来ず手汗をズボンで拭った僕は、距離感も測ることが出来なくなった自分の不甲斐なさをあざ笑った。これが美しいなんてことは、絶対にない。
どうしたの? と歩みを止めて僕の方へ振り返った彼女は、例え恋をしていなくても美しかった。なんでもないよ、と僕は彼女の横に並んで歩きだす。彼女はそれ以上追求しようとはしてこなくて、そんな僕への執着の無さが嫌なほど清々しくて、涙が出そうだった。
道すがら甘い匂いが僕らの鼻に届き、彼女は匂いに釣られ店に近づいて行く。
「陸人君、美味しそうだよ」
ショーケースに飾られたケーキを指さして、彼女は頬をほころばせる。
「うーん。そうだね」
甘いものが好きではない僕は、生クリームの上に堂々と乗っている苺を見つめて返事をした。
「お店の中でも食べられるのかな?」
店の中を覗き込み店員を探す彼女。買って僕の家で食べようよ、そんな言葉を暗黙の了解で口にしない僕。彼女が引いた透明な境界線を模索し、踏まないように超えてしまわないよう神経を研ぎ澄ます毎日を、僕は幸せと呼んだ。
「いらっしゃいませ」
店の奥から店員が僕らに挨拶をした。
「このケーキ、店内でも食べられますか?」
「勿論です。ご案内します」
愛想のいい店員は僕たちを店内に誘導し、彼女はちらっと僕を見て微笑むと店の中に進んで行く。きっと彼女は苺のタルトを注文する、そして僕は彼女が苺タルトの次に食べたかったレアチーズケーキを注文する。そしてブラックコーヒーを飲む僕を見て、陸人君は大人だねって彼女に褒めて貰うんだ。
アンティークな店内はデートの場所としては最高で、ネットのレビューは信用できるなと一人で感心した。席についてメニューを開く彼女は、僕が想定していた笑顔よりも甘美だ。
「陸人君はどれにする?」
「レアチーズケーキかな」
「あ、それ迷ったやつ! おいしそうだよね」
「うん、飲み物はアイスティーでいい?」
「ちょうどそれにしようと思ってた」
僕は手を挙げて店員を読んだ。
「レアチーズケーキと苺のタルトとアイスコーヒーとアイスティー下さい」
「承知しました。少々お待ち下さい」
僕から注文を受けると礼儀正しく頭を下げ、店員は厨房に向かう。
「彩香が苺のタルトがいいってどうしてわかったの?」
目を見開き彼女は僕に尋ねた。
「彩香の好みは分かりやすいから」
彼女はフフッと笑うと、テーブルの上にある僕の指にチョンと触れる。よく見ると以前会った時と爪の色が変わっていた。
「ネイル変えたんだね。似合っているよ」
彼女の爪のボルドーは白い肌に良く映える、秋にぴったりな色だった。
「昨日塗ったんだけどね、ちょっとはみ出しちゃった」
「自分で塗ったの? 器用だね」
大人っぽいボルドーとは対極的な柔らかい笑顔を浮かべる彼女は、上目遣いで僕を見た。
「このお店に来たの、初めて?」
彼女の問いに、僕は内心ドキッと心を痛めた。
「うん、初めてだよ」
下調べをしたことがばれてしまったのかと焦ったが、ふーん、と声を出し瞳はもうその話題には興味がなさそうだった。
「彩香は初めて?」
「うん」
肩まで伸びた髪の毛を手に取り、じっと見つめる彩香。本当に? その言葉は出ず僕は彼女から目を逸らす。厨房から僕らが注文したケーキを運んでくる店員を見て、僕は安堵した。