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第五話

 けれど、当ては外れてその後、輝子とはなかなか会えず、財布の中で紙はくしゃくしゃになって破れ、分けてあった瓶代は他の金とまぎれて判らなくなってしまった。

 そのうち瓶代のことも、サマーアップルパイのことも、日常の中で記憶はどんどん薄れていき、そうして一か月が過ぎたころ、ようやく俺のリハビリも最終日を迎えることになった。

 右腕はほとんど良くなって、もう普通に動く。心配されていた後遺症もなく、無理さえしなければ今までと同じ日常生活を送れるとのことだった。

 この病院に来るのもこれが最後か。

 そう思うと名残り惜しくて、リハビリが終わった後、いつもより大回りして病院の廊下を出口に向かって歩いていた。

 その時だった。聞き覚えのあるメロディが俺の耳をかすめたのは。下手くそな鼻歌だったけれど、その曲名はすぐに判った。

『サマーアップル サイダーガール』

 思わず足を止めて、通り過ぎようとしていた病室を覗きこむ。扉は開いていたので中を見渡せた。個室らしいその病室のベッドの端に、こちらに背中を向けて座っている白いワンピースの背中が見えた。初めて会った時とは違うデザインのワンピースにあっと声を上げそうになる。

 ……ああ、やっぱりそうか。やっとみつけた。

 病室に勝手に入ることに少し躊躇したが、気持ちが勝った。俺は中に入ると、驚かさないように出来るだけ優しく声を掛けた。

「あの、輝子(きこ)、さん?」

 びくと肩が震えて、鼻歌が止んだ。慌てて立ち上がると彼女、輝子は振り返った。

「あ、君は……」

「久しぶり」

 俺が間抜けな挨拶をすると、ふっと彼女の表情が緩んだ。そして、いたずらな笑顔になる。

「みつかったか」

「みつけたよ」

「そうか、そうだよね。君はY病院を退院してもしばらくリハビリに通ってるって言ってたものね」

「時間がかかったけど。もっと早く会えると思ってた」

「そういうことを言うってことは、気付いてたんだ、私がこの病院にいること」

「多分、いると思った」

「どうして? 私、何も言わなかったよね」

「言ったよ。最後に俺に車に気をつけろって」

「……それが何?」

「俺は腕を怪我したとは言ったけど、交通事故に遭ったとは言ってない。俺のこと知っていたんだよね、交通事故でこの病院に入院していたって。だから車に気を付けろって言葉が出てきたんだ」

「あら、それはうっかり」

「それに最初に会った時、風に乗ってある匂いがしたんだ」

「何、それ」

 ふふと楽しそうに笑うと輝子は言った。

「リンゴの匂いでもした?」

「違う。病院独特の匂い。あれは、消毒液の匂いだ。ずっと入院していた俺からすると、ちょっと懐かしいくらいの匂いだった」

「……消毒液の匂いか。知らないうちに沁みついてるのかな、身体に」

彼女はそう言うと腕を顔に近づけて大げさに鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ。

「うーん、判らん」

「何やってんだよ」

 俺は笑って、それからすぐに瓶代のことを思い出した。

「あ、そうだ。返さなきゃいけないものがある」

 慌ててポケットから財布を取り出すと、小銭をひっかきまわしてなんとか五円玉を一枚みつけてつまみ上げた。

「これ、サイダーの瓶代な」

「え?」

 五円玉をなんとなく受け取った後、彼女はぽかんと俺を見返す。

「本当にあの後、駄菓子屋さんに瓶を返しに行ってくれたんだ? で、その瓶代をわざわざ私に返してくれるの?」

「うん。本当は紙に包んで渡そうと……え? 何か変かな?」

 微妙な表情の彼女に気が付いてそう言ってみると、輝子はあっさりと頷いた。

「……うん、変」

「相変わらず、可愛くない言い方だな」

 やれやれと肩を竦めた後、俺はずっと気になっていたことを思い切って聞いてみた。

「あのさ、今更だけど、ちゃんと聞いておきたい。あの時、最後の晩餐って言ってただろ。あれってつまり、どういう意味だったんだ?」

「ああ、そのこと」

 彼女はいままで座っていたベッドのマットレスに手を当てて、愛おしそうにゆっくりと撫でた。


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