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第四話

「手軽でいいじゃん」

「そうだけど、簡単すぎて拍子抜けする」

 そう言って彼女は空を見上げた。つと瞳を細めて眩しそうな表情になる。

「君の方は音楽のためにここのアップルパイを食べに来たって言ってたけど、そんなにその曲が好きなの?」

「というより、そうだな、俺もある意味、最後の晩餐かもしれない」

「はい?」

 彼女がきょとんと俺を見る。本当は話す気はなかったけど、仕方ない。

「右手をね、怪我したんだ。ひと月くらい入院していて、ほら、この近くのY病院。退院した今もリハビリに通っているんだ。実は今日もこれから行くんだけど……でも、リハビリをいくら頑張っても、残念ながら指はうまく動かなくて。日常生活にはあまり不便はないんだけど、例えば楽器を弾くとか、そういう繊細な動きは難しいんだ」

「楽器を弾く人なの?」

「そういう人に、プロになりたくて目指してた。でも、もうダメなんだ。それで、好きなミュージシャンの曲に使われているサマーアップルのパイを食べることで吹っ切ろうと思ってね」

「それって、いわゆる厄落としみたいな感じ?」

「自分でもよく判らんけど、けじめをつけたかったんだよ。例えばバンドが解散する時にラストライブみたいなことするだろ? 俺はそんなのないから、好きな曲にまつわるパイを食べることで、自分の中でけじめをつける、というかきっかけ、かな。これで俺の音楽の夢は終わり。さあ、次行こうぜ、みたいな。他人が聞いたら馬鹿みたいなことだろうけど」

「うん、馬鹿みたい」

「あっさり言うなよ」

 苦笑していると、彼女が言った。

「そうか、それも最後の晩餐だね」

「今、朝だけどな」

「まだ言うか」

 そうしてふたりして笑い合った後、彼女は不意にベンチから立ち上がった。

「じゃ、そろそろ行くね。自転車、その辺に放置してきたからやばい」

「あ、そう」

 慌てて俺も立ち上がると、彼女は三分の一ほどサイダーが残っている瓶を俺に突き出した。

「パイを半分くれたお礼にこれをあげよう」

「は? 飲みかけなんていらんし」

「中身は捨ててよし。瓶をね、この先の坂を下ったところに小さな駄菓子屋さんがあるから、そこに返しておいて」

「……自分で返せよ」

「だから、自転車がやばいんだって。早く取りに行きたいの。それに瓶を返せば、瓶代が戻ってくるよ」

「いらんし」

「遠慮するな」

 かかと笑う彼女にこれ以上、抗えなくて、俺は渋々サイダーの瓶を受け取った。

「じゃあね」

 手を振って、あっさり背を向けた彼女に、俺は慌てて言った。

「おい、あんた、自殺なんか考えてないだろうな?」

「え? 何で?」

 肩越しに振り返った彼女はもう笑っていなくて、その表情に俺はどきりとする。

「い、いや、だって、最後の晩餐とか言うから……」

「いつかは死ぬよ。誰だってね。だから慌てなくていいんだよ」

「え? どういう意味?」

「なんでもない。リハビリ、頑張って。これからは車に気を付けるんだよ」

「あ、待って」

「はい?」

「ええっと……な、名前ぐらい……教えろよ」

 一瞬の沈黙の後、彼女は真顔で言った。

「個人情報ですので安易には教えられません」

「おい……」

「はいはい、冗談です」

 表情を柔らかく崩すと彼女は答えた。

「きこ」

「え? きこ?」

「うん。輝く子と書いてきこと読む。てるこじゃないからね」

 にっと笑いかけると、もう一度、彼女は手を振った。そしてそのまま、振り返ることなく歩いて行った。

 俺はぬるくなったサイダーの瓶をぶら下げて、その白い背中が見えなくなるまでぼんやりと見送っていた。


 ☆

 その後、彼女、輝子(きこ)に言われた通り、俺は律儀に坂の下の駄菓子屋にサイダーの瓶を返しに行った。彼女の言う通り、五円の瓶代が返ってきた。

 それはサイダーを買った時に瓶の保証金として上乗せされていた金が返却されただけのことだから、彼女に会った時に返すべく、他の硬貨と混ざらないよう紙に包んで財布の中に入れておいた。


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