第三話
「サマーアップルっていう品種のリンゴで作ったアップルパイってことじゃないの? 味は普通のリンゴだったけど」
「ないわ」
低い声で否定すると彼女は信じられないという顔をして頭を振った。
「サマーアップルってリンゴの品種じゃないわよ」
「え。じゃあ、何?」
「食べて気が付かなかった? 普通のアップルパイより甘さ控えめでスパイスをきかせているの。夏に食べるにふさわしいさっぱりしたアップルパイってこと。だから『サマーアップルパイ』って名前なのよ」
「あー、そういうことか」
言われて納得する。
確かにあまり甘い物が得意でない俺も、半分だけだったとはいえさらりと最後までおいしく食べることができた。
なるほどと頷いている俺を不思議そうに眺めて、彼女は言葉を継ぐ。
「どういうスイーツか、知らなくて買いに来たんだ?」
「あ、うん。俺がここのパイを食べたかった理由は音楽だから」
「音楽?」
「うん。知らないかな、この曲」
俺が『サマーアップル サイダーガール』のメロディを軽く口ずさむと、彼女はますます奇妙な顔をする。
「うーん、知っているような知らないような」
「音楽に興味ないんだ? 大ヒットってわけじゃないけど、そこそこ流行っているよ、『サマーアップル サイダーガール』っていう曲なんだけど」
「うん? サマーアップル? パイじゃないのね?」
「そうだけど、あくまでイメージ」
俺が笑うと、彼女もつられるように笑って言った。
「さわやかなタイトルだけど、歌詞はどんなの? 恋愛もの?」
「うん、初恋ソング。夏の日に、海で見かけたサイダーのようなさわやかな女の子に恋をして、その子からリンゴの匂いがしたっていう。結局、恋は実らないんだけど、大人になってもリンゴの匂いを嗅ぐと、サイダーのような彼女のことを思い出すって感じの曲」
「へえ、未練だね」
「そういう感想? もっと言い方あるだろ」
憮然とすると、彼女は慌ててごめんごめんと繰り返した。
「そういうとこズレてるってよく言われるよ。女の子らしくないって」
「なのに、流行りのサマーアップルパイは食べたかったんだ。そこは女の子だね」
「というか、たまたまここのお店のこと……知り合いから聞いて『サマーアップルパイ』を食べようって感じになったの。その子は来られなかったから、私ひとりで自転車とばしてここまで来ちゃった。甘いだけのスイーツじゃなくて甘さ控えめでスパイスをきかせたアップルパイなんて魅力的だよ。最後の晩餐にふさわしい」
「……は?」
俺は少し考える。それから青い空を見上げた。
「最後の晩餐って……晩餐っていうのはたしか晩ごはんのことだろ? まだ午前中だけど」
「え? 引っかかるのそこ?」
途端に彼女は笑い出した。もうたまらない、そんな感じの大笑いだ。
「ちょ、ちょっと、笑いすぎだよ。だいたいそんなに笑うこと、俺、言った?」
「いや、君ってピュアだなあって思って」
「ピュアって……馬鹿にしてる?」
「違うよ」
ちょっと黙ってから彼女は言った。
「最後の晩餐は人生最後に食する食べ物っていう意味」
「何か、重たい話になってきてる?」
「そうでもない。ただの例え。で、ここにサマーアップルパイを張り切って買いに来たわけだけど、なんと完売でがっかり。そうしたら君と目が合った。で、念願のサマーアップルパイを半分くれるって言うじゃない。神さまかと思ったよ。だから決して君のことは馬鹿にしていません」
「神さまって大げさだな。そういう言い方がもう馬鹿にしてるよ。だいたい人生最後に食する食べ物ってやっぱり、重たいよ。意味わからん」
「そうかな、そのままの意味だよ。とにかく君に会えて良かったよ。このサイダーだけじゃちょっとしょぼいでしょ?」
言われて彼女の持つサイダーの瓶に目をやる。
「そんなのどこで売っているんだよ。コンビニにはないよな?」
「ここに来る途中に小さな駄菓子屋さんがあってね、そこに売ってたの。なんかレトロでいいでしょ。でもね、ちょっと残念なのは栓なの。ほら、手で開けられるようになってんの。栓抜きいらずよ」
見てみると瓶にはプラスチックのキャップが付いていた。