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(9)いつまでも憎む理由

 王位――。


 思いもしなかった言葉に、見上げるイザークの背後で、暖炉に燃える薪が火の粉を散らしながら大きくはぜた。


 暗闇が落ち始めた部屋の中に、目映いまでの金の粉が舞い上がる。赤を纏って輝く粉は、まるで血しぶきのようだ。一瞬、イザークの頬を赤く染め上げて、酷薄に歪んだ顔に大きな陰影を刻んだ。


「意外だったか?」


 動きを止めてしまったリーゼの様子に、身動くことすら忘れているのに気がついたのだろう。開いた空色の瞳を覗き込むと、暖炉に照らされたイザークの影が、まるで闇がかかるようにリーゼの上に覆い被さってくる。


「俺は王族とはいえ、遠縁で継承順位はかなりな下だ。だがカトリーレは、自分と結婚した暁には、王配ではなく、俺も王として共同統治をしないかと持ちかけてきた」


 ――共同統治。


「……王位、のために……?」


「貧乏な田舎の子爵令嬢と、次期王位を約束された大公家の息女。馬鹿でなければ、どちらをとるかなんてすぐにわかるだろう?」


 イザークの瞳は、今も嘲るようにリーゼを見つめている。冷たい視線に、気がつかないうちにリーゼの眼から涙が一筋こぼれ落ちた。


 ――そんなもののために。


 ぐっと唇を噛みしめる。


 そして、イザークを睨み上げた。


「そんなもののために……!」


(私を見殺しにしたというの!?)


 けれど叫ぼうとした体の腕は、すぐにイザークに掴まれる。


「あっ――」


 そしてそのまま、扉の外へと放り出された。まるで投げるように体を出されたせいで、咄嗟に廊下の絨毯に着いた手が痛い。けれど、まだ呆然と見上げるリーゼを見下ろすイザークの瞳は酷薄なまでに歪んでいる。


「これで気が済んだだろう? わかったら、二度と俺の邪魔をしに現れるな」


「――イザーク!」


「ギンフェルン! リリー嬢がお帰りだ! 馬車まで送れ!」


 やっと噛みしめた唇から迸るように叫んだのに、もうイザークの視線は、廊下にいた執事のギンフェルンに向けられている。


 そして、駆け寄ってきたギンフェルンが慌てて背中を支えて、立ち上がらせようとした時だった。


「さっ。取りあえず、メイドが下で時間を稼いでおります。その間に別の通路に」


 しかし、ギンフェルンの手がリーゼの背中に触れるのと同時に、階段を切羽つまったメイドの声がのぼって来る。


「お待ちくださいませ。今、執事が、イザーク様の様子を見に行っておりますので」


「状態が悪いことはわかっているわ。だからお見舞いにきたのですもの」


 ――カトリーレ! 


 階段を上ってくるストロベリーブロンドが、灯された燭台の光に血を思わせる色に輝く。


「すぐに、ほかの部屋に!」


 ギンフェルンがリーゼの背を支えて立たせようとしたが、間に合わない。


 見ている視界の中で、カトリーレが階段を上りきると、蹲っているリーゼの姿に緑色の瞳が、すっと細く歪んだ。


 そして、つかつかと高い踵が毛足の長い絨毯を踏みわけると、靴先がまっすぐにリーゼに近づいてくるではないか。


 逃げる間さえない。


「おどき」


 一喝で、ギンフェルンをリーゼの前から下がらせた。そして、持っていた黄金色の扇を振り上げると、リーゼのクリーム色の髪を鋭く打ったではないか。


「ひっ――」


 金の扇が切り裂くように舞うのに合わせて、リーゼのクリーム色の髪が、ばらりと廊下の中に散らばる。打たれたのは髪だけで、せいぜい頬を先端がかすったぐらいだ。それなのに、睨みつけてくるカトリーレから眼を離すことができない。


「ねえ。なんで、この顔が私の婚約者の寝室から出てきているのかしら?」


 そして、扇の先端で、ゆっくりとリーゼの顎を持ち上げていく。いや、端が食い込んでいる様は、今すぐにでも刺し殺したいという意思表示なのだろう。


 これが刃物ならば、きっとあの処刑の日と同じように――。


 けれど、喉の頸動脈の上に止まった扇は、切り裂けないのが惜しいように、ぐいっと押しつけられる。


「本当に――なんて、忌々しい。まさか今になっても私の婚約者の寝室に忍び込むなんて。この顔は、どこまで淫乱なのかしら?」


 そして、更に先端でリーゼの喉を押さえつけた。


 逃れようと反った体は、背後の窓に押さえられてにげる場所さえない。押さえつける扇子に、ぐっと息が止まりそうになった。


「そこまで男がほしいのなら、場末の娼館にでも売り払ってやろうかしら? 男好きはしそうな顔ですものね。もしくは武勲をあげた兵士達の宿舎に一晩貸し出してやるか。それなら、せめて貴族の娘だという名誉は保たれるかしら?」


 言われた内容に、背筋がぞっとしてしまう。やるだろう。殺されるのより辛い辱めを与えて、二度と自分がイザークに顔を合わせられないように。


「やめろ! カトリーレ!」


 慌ててイザークが静止しようとするが、カトリーレの背後を守る二人の護衛に阻まれて、こちらまで手を届かせることができない。


 ――だけど。


(どうして、カトリーレ様はここまで私を憎むの?)


 もうイザークは手に入れた。間もなく結婚式で、どこにもリーゼをこれだけ敵視する理由など残ってはいないというのに――。


 けれど、薄く開いた目は、自分の体がいつの間にか開けられていた背後の窓へとのけぞらされているのに気がつく。


 きっとカトリーレの側にいつもいる護衛達の仕業だろう。そのまま、大きく開け放された窓へと喉元の扇を突きつけられて、体は今にも中空に落とされそうだ。


「やめろ! カトリーレ!」


「選ばせてあげるわ。ここから落ちて、二目と見られない顔になるか。それとも、兵士達の宿舎に行くか」


 後ろは、三階の高さにある虚空だ。開け放した窓の下には、緑の芝生と、何本かの山茶花の木が見えているが、落ちれば決してただではすまないだろう。


 背中には、空から流れてくる冷えた風を感じる。


 けれど、リーゼの瞳はまっすぐに、こちらを睨みつけるカトリーレの翠玉の瞳を見据え続けた。瞳にあるのは、どこまでも純粋な怒りだ。まるで、今でも嫉妬に身を焦がしているような――。


 だから、震えながら唇を開いた。


「あなたは――知っているの? イザークが、あなたと結婚するのは王位につけるからだということを――」


 その瞬間、カトリーレの翠玉の瞳が大きく開いた。


 そして、すぐに歪むと、くっと面白そうに微笑む。


「だったらなに? 当たり前でしょう? それは私がもちかけた話だったのだから」


 その瞬間、リーゼの眼差しが大きく開いた。



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