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(2)救貧院の女神

 

 都の大通りは今日もたくさんの人々で溢れていた。


 初冬とはいえ、だいぶ寒くなってきたからだろう。道を行く人は、みな分厚い外套を着込み手袋をはめているが、柔らかな冬の日差しを歩く人々の顔は穏やかだ。


 白い光に照らされた外を眺めてから、リーゼは隣にいるアンドリックを振り返る。


「ごめんなさい。二日も無理を言って……」


「リーゼがそれだけ元気になったって証だろ? 全然かまわないさ」


 自分より背が高くなったのに、従弟は昔と同じように気楽に手を頭の後ろで組んで腰掛けている。


「それで、今日はまた誰か人材捜しか? 前にリーゼが見つけて連れてきてくれた連中は、キーリヒで新しい製品を生み出すのに毎日楽しそうだぞ?」


「今でも、みんな残ってくれているの?」


(私のことがあったのに――)


「ああ。職人なんてとにかく物作りが好きな連中の集まりだからな。毎日どうやったら良い製品を生み出せるか、工房を覗きにいけばそればっかりさ」


「そう――」


 一年も前に、自分の見つけた人達が今も故郷の発展のために頑張ってくれている。そう思うと、やはり素直に嬉しい。


「だから、俺も一度はお前と一緒に職人のスカウトをやってみたいと思っていたんだ。だけど、いつもイザークが一緒に行って、俺の出番はなかったから――あ……」


 慌てたように、アンドリックが口を塞いだ。きっとリーゼの顔色が変わったことに気がついたのだろう。


(イザーク……)


『帰ってくれ! 君の顔など見たくもない。リーゼのことなど――思い出すのも不愉快だ!』


 頭の中には咄嗟に、昨日のイザークの言葉が甦る。


(だめよ。今考えては――)


 そう思うのに、脳裏では別な言葉が甦る。


『リーゼは、本当に故郷のための頑張り屋さんだな。それなら社交が苦手でも、安心して公爵夫人にできるよ』


 いつだったか、貧民院へ一緒に行ってくれた時に微笑みながら言われたイザークの言葉。


(だったら、あれはなんだったの? そんなに私といるのがつまらなかったのなら、付添いなんて頼まなかったし、きっともっと公爵家にふさわしい場所へ行くように頑張ったのに――)


 今となっては、一体どちらの気持ちが真実だったのか――。


「リーゼ?」


 けれど、かけられた言葉にはっと首をふった。


(いいえ! 今は悩んではだめ! どちらにしても、私にはこれしか生きる方法がないのだから――!)


 イザークのことは今は忘れようと、鞄の中に忍ばせたカリーの花が装飾された銀色のナイフを、横からそっと押さえて確かめる。


(これで人の命を奪うなんて恐ろしいけれど、ほかに方法がないのなら……)


 せめて、もう長くはない人を探してみよう。病におかされている人ならばと考えながら、リーゼはいくつかの通りを曲がった先に見えてきた救貧院の赤い屋根を見つめた。


 からからと馬車は響きをあげて、少し通りを入った先にある煉瓦造りの建物へと近づいていく。だんだんと近づいてくる建物は、貴族の邸宅を見慣れたリーゼ達からすれば、質素な造りだ。どこか病院を思わせるように両棟が広がり、馬車が入った庭には、たくさんのシーツや洗濯物が冬の日差しの中に干されている。


 痩せた何人かが、庭の端に集まり石を砕いているのは、石屋から依頼された仕事なのだろう。あまり高い賃金の仕事ではないが、ここでは貴重な現金収入源だ。


 ほかにも、使い古した縄をほどいて、繊維に戻す仕事をしている者もいる。


「みんな痩せているな……」


「そうね。お仕事がなくなって、流れてきた人が大半だから……」


 ぽつりと呟くアンドリックに頷きながら、玄関のベルを鳴らす。


 すると、立派な馬車の到着に驚いたのだろう。急いで走ってくる音がすると、木の扉を開いた途端相手の顔が固まるのが見えた。


「こんにちは、フェルカー卿」


「リーゼロッテ様……」


 本来富豪の出でありながら、父の商会が潰した何人もの職人のことを恥じて、この救貧院で働いているというフェルカーは、その功績が認められて、一代限りの男爵位を認められた人物だ。過去に訪ねた時に、何人もの優秀な人材をリーゼに紹介してくれた。それだけに、彼の記憶の中で、まだリーゼの面影を忘れられていなかったことに、少しだけほっとしてしまう。


「私は、リーゼの従妹のリリー・ウィンスギートです。従妹が生前、よくこちらに人材の勧誘に伺っていたと聞きましたので」


「ああ――」


 死んだ亡霊が現れたわけではないとわかってほっとしたのだろう。はっきりとフェルカーの顔が緩むと、すっと中へ手招いた。

「確かに、リーゼロッテ様にはよくこちらの生活に困った職人を領地で雇っていただきました。みんな腕は良いのですが、材料費の高騰や、友人の借金などで店を奪われたりした者なので、こちらでは彼らの再出発に力を貸してくださったリーゼロッテ様は、女神のように敬われていたのです」


「へえ――」


 後ろからついてくるアンドリックが、少し驚いた声を上げているが、リーゼにしたらまさかそんな風に自分の行為を受け止められているとは思わなかった。


「いえ……リーゼは、彼らのお蔭で故郷が発展するのが嬉しいとそればかりを言っていましたから――」


 そんなたいそうな考えではないと柔らかく否定したつもりだったのに、フェルカーは笑顔でそれを弾き飛ばす。


「それがありがたいのですよ。貴族の方々は、食い詰めた者には金と食料を与えればよいとお考えですが、彼らが本当にほしいのは、それまでの自分の経験を生かせる仕事です。領地で新しい製品を開発してほしい――生活費の面倒はみるからと、これほど職人にとって嬉しい話があるでしょうか」


「ふうん」


 後ろから、アンドリックがにやにやとリーゼの顔を覗き込んでいる。


 だけど、リーゼにしてみれば、嬉しいのと同時にぎゅっと心臓を掴まれる気分だ。


(私はそこまで考えてはいなかったのに――)


 ただ、これでちょっと故郷に新しい産業を興せて、住んでいる人たちの暮らしが楽になればいいと思っていただけなのだ。


 それなのに。今、茶色の手提げ鞄の中には忍ばせたナイフがあることに、きゅっと胸が痛くなる。


(私は、ここに今日は代わりに命をくれる人を探しに来た……)


 いくら自分が生きるためとはいえ、誰彼かまわずに命を奪うことなどできるはずもない。


(ならば、もう長くはない人なら――)


 もちろん、相手に心残りがあるのなら、かなえられるだけのことはしよう。残される家族のことが心配ならば、できる限りの生活の援助もするつもりだ。


(だから、ごめんなさい。でも、こうするしかないの!)


 心の中で、詫びながらアンドリックを振り返る。


「アンドリックは、元気な方達が集まる右の棟に行ってくれるかしら。そこで、珍しい技術や、よくあるものでも一流の技を持っている職人さんを探してほしいのよ」


「了解」


 にかっと笑うと、フェルカーから一人案内を借りて、背を向ける。


「あ、でもなにかあれば大声で呼べよ? すぐに来てやるから」


「ええ」


 笑顔で手を振りながら、フェルカーへと向き直る。


「それで、あの、いつもとは違うんですが……」


(どうしよう。重病の人のところへ案内してほしいなんて言えば、怪しいと疑われるかしら)


 でも、ほかに方法はない。けれど先に口を開いたのはフェルカーの方だった。


「そうそう。実はご令嬢にぜひ、会っていただきたい方がおられるんですよ」


「え?」


「とても精緻な金細工を作る職人です。工房を開いていたんですが、火事にあいましてね」


「えっ」


「運悪く病も患っていたことから、一文無しになってしまいこちらに預けられたのです。ですが、働きの悪くなっていた心臓を治す手術も成功したので、助かるかは本当に本人の気力次第なのですが……」


「つまり、私にその方を励ましてあげてほしいということでしょうか?」


 ははとフェルカー卿は頬をかく。


「その通りです。一文無しになって、家族もいない。でも、治れば仕事があるといえば、きっと本人も頑張ろうと思えるに違いないと思うんですよ」


 身寄りがなくて、いつ死んでもおかしくない人物。


(適任だわ……申し訳ないけれど)


 きっと、その金細工師が死んでも、誰もリーゼのことを疑わないだろう。特に手術をして、体に傷のある状態なら尚更。


「ここです」


 だから、リーゼは連れて来られた大部屋のカーテンで区切られた一角に入った。


 中には、消毒薬の匂いと、僅かな薬品の匂い。そして初老ぐらいだろうか。ベットの上で体のあちこちに包帯を巻かれて眠っている人の姿がある。


「お薬はどんなのを……」


「生憎、ここで手に入るのは痛み止めと消毒薬。どうにかトリフォニカンを少し投与できましたが、それで精一杯で」


「そうですか……」


 トリフォニカンは、心臓薬の一種だ。確かに貧しい者を受けいれて治療している救貧院では、使える高価な薬はそれが精一杯だろう。


「眠っておられますね。起きられるまで少しだけ側についていてもいいですか」


「ええ!どうぞ。せめて言葉だけでも励ましてくださったらありがたいです」


 ベッドの側の椅子に腰掛けるリーゼを見て、フェルカー卿は喜んで二人きりにしてくれた。


 周囲とベッドを区切る麻の白いカーテンが閉められるのを確かめて、静かに患者の方へと向き直る。


(今なら――誰にも不審に思われないだろう)


 だから、茶色の鞄の中に入れた、銀色のナイフを確かめる。カリーの花を描いたナイフは、誰にも見られないように、白いレースのついたハンカチの中へと隠してきた。


 今ならば、そこから出して振り上げたとしても、気づくものは誰もいないはず。


(ごめんなさい――)


 ベッドの上で、荒い呼吸を繰り返している男の顔を見つめる。少し皺がより出しているが、まだ老人というほどではない。だが、普通ならばもう十代後半になる息子がいてもおかしくはない年だろう。


 幸い、手術をした後なので、リーゼが命をもらうためにこっそりと彼の心臓を刺しても、誰もが傷が開いたというぐらいにしか感じないはずだ。


 特にここは救貧院。手術道具だって、一般の病院に比べればまともにあるわけではない。


 だから鞄の中に忍ばせたナイフを、ハンカチの上から握った。


 ごくりと喉が渇いた嫌な音をたてる。


(ごめんなさい! もし、あなたの身内が見つかったら、どんな保証だってするわ!)


 だから、もう消えかける命を私にちょうだいとリーゼはハンカチごと取り出したナイフをおもむろに患者の上に掲げた。



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