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(7)リーゼの墓

 

 アンドリックに頼んで連れて行ってもらった墓地には、もう薄い夕闇が降り始めていた。


「こっちだ」


 リーゼの頼みにアンドリックが案内したのは、貴族の墓が並ぶ高級墓地でも領地にあるはずのシュトラオルスト家の墓地でもなく、都でも少し低所得の者達の家が並ぶ一角にある共同墓地だった。


 遠くに見える山の陰に、傾いた冬の太陽が今日の最後の姿を浮かべている。もう間もなく夜になるのだろう。


 そうすれば、木枯らしが吹き抜ける墓地は真っ暗になる。けれども、リーゼはあちこちに茂ったままの枯れた雑草を踏み分けて、アンドリックの後に続いて歩いた。ほかの墓からさえも離れた更に奥――まるで人目から隠すようにして建てられている小さな墓へと近づく。


「本当は、ちゃんと領地にあるシュトラオルスト家の墓に入れてやりたかったんだ。だが、罪人の体を都から持ち帰ることはならんと言われて――子爵様も幽閉されることになって、バタバタとしていたから。とりあえず伝手を頼ってお前をここに仮埋葬させてもらったんだ」


 それはおそらく、貴族の墓地に入れることを拒まれたということなのだろう。大抵の貴族は、自分の領地に専用の墓地を持っている。しかし、中には都で亡くなる者や、思い出のつまった都に埋めてほしいという者もいる。都の貴族墓地は本来そういう者を埋葬する地のはずなのに、わざわざリーゼのための場所を探したということは、罪人だから埋めるのを拒まれたのに違いない。


 かさかさと冬の梢に残った枯れ葉が、乾いた音を立てた。


 その下にひっそりと立つ白い墓は、まるで傷つけられないように隠れているかのようだ。幾重にも折り重なった梢の下に、白い姿を誰にも見られないように隠している。


『リーゼロッテ・エルーシア・シュトラオルスト』


 墓の表面には細い文字で、リーゼの名前が綴られている。


(確かに私の名前――)


 では、この下に自分の体が埋められたのだろうか? 


 ごくりと喉がひどく大きく鳴る。


「でも、リーゼ。自分の墓を見たいなんて、突然どうして――おい!?」


 だが次にリーゼが突然とった行動にアンドリックが驚いた。慌てているがかまわない。墓地の土がアイボリーのドレスにつくのも無視して屈み込むと、両手で、墓の土を掘り返し始めたのだ。


「なにをしているんだ!?」


 驚いたアンドリックが叫んでいるが、手を止める気はない。だからざりざりと爪で土を掻き出しながら答えた。


「確かめるのよ、本当にここに私の体が埋められているのかどうか!」


「なんでそんなことを!?」


「もし、ここに埋めた体が今でもあれば、殺された私の記憶の方が嘘だということになるわ!」


 そうだ。今も中に顔もわからないほど焼け焦げた遺体があれば、子爵家に送られた体は間違いなくリーゼの身代わりだったということになるだろう。誰かが、リーゼに嘘を思い込ませ、死んだように見せかけた。これならば辻褄も合う。


 だけど――。


「でも、もしなければやはり私は殺されていたことになる!」


 どうして生き返ったのか。どうして自分が生きているのか、何もかもがわからない。


「おい! だからって墓を掘り返すなんて!」


「嫌なのよ、 私は――! 何が本当で、何が嘘なのか! もう何もしらないまま騙されるのはたくさん!」


「リーゼ……」


 叫ぶ勢いで、瞳から涙がぽろりと出てくる。まだ先ほどのイザークの冷たい言葉で残っていたのだろう。だが、それと同時に受けた冷めた睨むような眼差しも思い出す。


(イザークが言うとおり、私は本当に死んだの? だったら今生きている私はなんなのよ!)


 わからない。イザークの本心も、自分の身に起こったことの全ても。


 だから、泣きながら墓を掘るが、頬が濡れても手を休めないリーゼの気迫が伝わったのだろう。


「――道具を借りてくる。だから、ちょっと待っていろ」


 くるりとアンドリックの踵が今来た道の方角へと向かう。


「アンドリック……」


 だけど、二歩歩いてすぐに止まった。そして赤毛の髪を翻すと、すぐにリーゼを指さす。


「いいか! 誰がなんと言おうと、お前はリーゼだ。だから、指先といえど、二度と俺のいないところで勝手に痛めつけるんじゃねえ!」


(それは、無茶をするなということ?)


 口は悪いが、いつも自分を大切にしてくれる従弟の優しさが言葉の端から伝わってくる。だから、くすっと笑みがこぼれた。涙はまだ頬を濡らしているのに。


(変なの。私は殺されるところまでいったのに)


 指先のささいな傷一つを気遣ってくれる幼なじみの優しさが嬉しくなる。


 そのままアンドリックは背中を向けて入り口の方に走っていくが、よほどリーゼを一人にしておくのが心配だったらしい。すぐに父が御者に扮してつけてくれた使用人のツェルギドレと、墓守から借りた道具を持って帰ると、墓の側で切れた息を整えるようにして肩を上下させた。


 はあはあという荒い呼吸が聞こえる。


「本当に墓を掘り返すのですか?」


 その横で、いつも冷静なツェルギドレがためらったように白い墓を見る。しかしリーゼが頷くのを見るとアンドリックも振り返って首をこくりと振った。


「ああ。リーゼのことを確かめるためだ。協力してほしい」


「ならば、やむをえませんね。まさか人生で墓あばきをする日がくるとは思いませんでしたが」


 わざと少しおどけたように言ってくれる。それに少しだけ空気が和んだが、すぐに、静まりかえった墓場に響く音に、誰もが神妙な顔つきになった。


 ざくざくと土を掘り返す湿った音だけが、暗くなり始めた墓場の梢にこだまする。太陽はもうすっかり西の空に落ちたのだろう。道具と一緒にアンドリックが持ってきてくれたランプの光を頼りに土を掘るが、周囲はどんどんと闇の中に飲み込まれていく。


 誰の姿も見えない墓場に、ただ土を掘り返す低い音だけが響いた。周囲に植えられた梢のどこかには、ふくろうが止まって夜に動くネズミなどを探しているのだろう。どこからともなくほうほうという声が、こだましてくる。


 リーゼが二人の手元を助けるように持つランプの下では、墓の土は湿っていてとても最近掘り返されたようには見えない。


(――だとしたら、やはり私の記憶が嘘なのかしら……)


 中に埋められているのは、偽物で、自分はどこかに一年間記憶を差し替えられて監禁されていた。これならば、話も無理なく合う。


 けれど、やがてアンドリックの動きが止まった。


 スコップの先が、かつんと白い箱にあたったからだ。


「――出てきた」


 一メートル程も掘っただろうか。獣に荒らされないように深く埋められていた先から出てきたものに、掘っていたアンドリックとツェルギドレが慎重に周りの土をかいていく。上に乗った土を取り除き、穴を広げると、出てきたのは白木の棺桶だった。


 普通ならば、黒く塗られる塗装も貴族の棺によくされる神に捧げる花の装飾もない。本当に、ただ切ったばかりの木を組み合わせただけの白木の棺だ。しかも今は、土の中で湿った泥水が染みこんだのか、木の表面にはまだらに黒い染みができている。


 けれども出てきた棺に、リーゼはごくりと息をのみこんだ。


 アンドリックも緊張しているのだろう。穴の上にいるリーゼを振り返ると確かめるように声をかける。


「開けるぞ?」


 いいんだなと最後の確認をしてくる視線に、唾を飲んで頷く。


「ええ」


 リーゼの覚悟を感じたのだろう。本当ならば、死者の棺を開けるなど恐ろしいことのはずなのに、アンドリックとツェルギドレは二人して棺の蓋に手をかけてくれる。狭い穴の中では、地上よりも力がいるのだろう。


「せーの」


 二人して同時に力を入れると、並んで指を入れた棺の蓋を跳ねるように持ち上げた。


 途端に広がる腐臭と腐りかけた遺体に、誰もが顔を強ばらせる覚悟をしたのに、がらんと音をたてて蓋が外れた棺の中には、何もなかった。


「――ない」


 地上にいるリーゼがランプを掲げて覗き込んでも、棺の中には何もない。ただ、赤い光で照らされたところどころに黒い粉のようなものが残っているだけだ。


「――どういうこと?」


 やはり、自分は殺されていた? 呆然と呟いてしまうのに、驚いていたアンドリックも手で汗を拭いながら、空の棺の中を見つめている。


「誰かが以前に掘り返したということか? リーゼの遺体を墓から出して、そして生き返らせた」


「お嬢様のお葬式は、急だったということもあり、副葬品も満足なものではありませんでした。ましてや、斬首での埋葬ということは人々の口にものぼっています。とても墓泥棒が狙ったとは思えません」


「だとしたら、誰かが以前にこっそりとリーゼの墓を暴いたということだな」


 ふうと、アンドリックが困惑したように息をつく。


「――誰かが、何かの目的で私をここから連れ出した?」


 そして、生き返らせた? だとしたら、何のために?


 わからない。思わず混乱してしまうが、墓穴から上がってきたアンドリックは、ぽんとリーゼの肩を叩く。


「しっかりしろ。墓守のところにいって、墓が荒らされたりした様子はなかったか訊いてくるから」


 そして、後から出てきたツェルギドレを振り返る。


「リーゼを頼む」


「はい」


 しっかり者の執事が頷くのに、安心したのだろう。振り返ることなく急いで闇の中の道を走っていくが、残されたリーゼはまだ混乱したままだ。


(私の遺体を誰かがこの土の下から連れ出した?)


 だったらなんのために? どうして死んだ者を生き返らせたのかがわからない。いや、そもそも首を落とされた者を生き返らせるという、生死の理から外れること自体が何故できたのか――。


(どうして? なんの目的で!?)


 わからない。なぜあの一年の前の夜から、自分に次々とこんなに奇妙なことが起こるのか――。


 どうしても口にあてる手が震えだしてくるのを止められない。


(一体、なにが私に起こったの!?)


けれど、その時だった。目がくらむばかりの閃光が辺りを包む。瞳を射る白い光のあまりの眩しさに、目を開けていることすらできない。


「知りたいか?」


 しかし、光の中から響いた声に、リーゼは思わず閉じていた目を見開いた。


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