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(5) 再会のはずなのに

「イザーク……?」


 どうして怒っているのだろう? 確かに以前つい抱きついてしまった時に慌てることはあったが、ここまで厳しい表情を見せることはなかったのに。


 けれども今、眉を寄せて見下ろす藍色の瞳は、まるでリーゼを睨みつけているようではないか。閉じた唇は堅く引き結ばれて、とても昔の婚約者に出会ったという顔ではない。


 だから、リーゼは震えそうになる喉を我慢しながら、必死に言葉を紡いだ。


「……イザーク……、わからないの? 私よ、リーゼよ……」


 だが震えた声を隠すことはできなかった。きっと見上げた顎も小さく震えていたのだろう。しかし、リーゼの言葉にイザークの瞳が緩む気配はなく、むしろますます見たくないものに出会ってしまったというように唇を噛みしめている。


(――どうして? なぜ、そんな顔をするの?)


 だが、イザークはまだ睨んだままだ。


「――リーゼは、死んだ。一年も前にだ」


 気圧されそうな雰囲気が周囲を包むが、やっと開いた口でイザークが自分の名前を言ってくれたことに笑みを取り戻す。


「あ……私、生き返ったのよ……! もちろん、唐突で信じられない話だとは思うけれど」


 本当に何故生き返ったのかはわからない。だが、意識のない間に、確かに一年の月日が流れていたのだろう。少しだが背が伸びたイザークの言葉に目を輝かせると、前よりも顎の角度をあげて見つめる。だけど、見上げてくるリーゼの空色の瞳にも、イザークの表情は変わらないままだ。


「――いくらそっくりでも、君がリーゼのはずがない。リーゼは一年前に処刑されて死んだんだ」


 それだけを言うと、もう話すことはないというように背を向けた。そして、そのまま歩き去ろうとする背中に、後ろからアンドリックが慌てて叫ぶ。


「おい、ちょっと待てよ!」


 だが、イザークは振り返らずに庭の奥へ去っていこうとする。


「お願い! 待って!」


 けれど、リーゼが必死に伸ばした腕に、やっとイザークの足が止まった。


 そして、袖を掴んでいるリーゼを冷たい視線で見下ろす。


「待って……」


 だから、その冷えた視線に怖じけそうになりながらも、必死に指で袖を握りしめる。


「お願いよ……、イザーク。私、あの時のことが知りたいの。どうしてあなたが、私との婚約を突然破棄したのか――」


「――知って、どうする? 今更」


(今更――)


 終わったことだと告げるような言葉に息を呑んでしまう。


 だから泣きたくなる瞳をこらえて、必死に紺色の袖を握りしめる。


「だったら! どうして私の処刑の時にカトリーレ様のところにいたの!? 私をはめて殺したのは、カトリーレ様なのに!」


「それが気になってわざわざここまで来たのか?」


「私は知りたいのよ!」


 泣きそうな瞳を、イザークの紺色の袖を持つことで、必死に耐える。


「あの時何があったのか! 本当はどんなことが起こって私が死なねばならなかったのか! ――そして、なぜ私が今生き返ったのか……」


 ぐっとイザークの袖を引き寄せた。そのまま眉を寄せて、必死に涙を堪えているリーゼの様子を、イザークはしばらく無言で見下ろしていたが、やがて袖からリーゼの手を振り払った。


「あっ!」


「そんなに知りたいのなら教えてやる。あの日、俺の目の前でリーゼは処刑されて、遺体は焼かれた。それだけだ」


「そんな言い方はないだろう!? 折角生き返ったリーゼが訪ねてきているんだぜ!? もっとほかに言うことが」


 けれども怒るアンドリックの様子にも、ちらりとしか視線を返さない。


「アンドリック。君が何を知りたくて、リーゼにそっくりな娘を連れてきたのかは知らない。だが迷惑だ」


「なっ……! てめえ!」


「これ以上、話すことはない。帰ってくれ」


「イザーク!?」


 思わずリーゼがもう一度手を伸ばすが、向けられてくるのは刺すように冷たい視線だ。


「帰ってくれ! 君の顔など見たくもない。リーゼのことなど――思い出すのも不愉快だ!」


「貴様! それが婚約していた相手に言う言葉かよ!?」


 怒ったアンドリックの拳がイザークの胸ぐらを掴もうとするが、ぱんとイザークの手で弾かれた。


「彼女との婚約は、生きている間に破棄した。だから、俺と彼女はもう無関係だ。これからは俺の前に、二度とそのそっくりな顔を連れてこないでくれ」


 そして、そのまま歩き始める。


「まてよ、こら!」


 去って行くイザークを追いかけて、アンドリックはまだ文句を言おうとしているが、リーゼにしてみれば今聞いた言葉が信じられない。


(そんな……)


 体から力が抜けて、敷き詰められた石畳の上にがくんと膝をついてしまう。


(今のが、イザークの本音?)


 まさか、本当にずっと自分を嫌っていたのだろうか? だから婚約を破棄した? 罪を犯したのを、最高の言い訳にできるから――。


(まさか)


 そんなはずはないと思いたいのに、泣きたいような視界の中で、イザークの背中はどんどんと遠ざかっていく。


(イザーク……)


 待ってよと呼びたいのに、言葉が出てこない。代わりにうつむいた顔からは、ただ涙がこぼれた。ぽたり、またぽたりと小道の灰色の石畳を濡らしていく。


(――――やっぱり、私を嫌いだったの……?)


 社交界にいつまでも馴染めなかった自分。高価なドレスや宝石のデザインについての会話よりも、故郷を助けることができる技術を持つ職人の工房や救貧院を巡ってばかりで、一緒についてきてくれるイザークにいつも苦笑されていた。


 ――だから、本当は退屈な娘だと思われていたのだろうか。


 一緒にいた時に、リーゼらしいと輝くように笑いながら言ってくれた言葉さえ、今となっては信じることができない。あれほど嬉しかったのに……。


「リーゼ……」


 イザークを追いかけることを諦めたのだろう。怒りながら、戻ってきたアンドリックが、小道に座り込んでいるリーゼに弱ったように声をかけた。その時だった。


 こつ、こつと、いくつかの足音が表の庭に続く方角から響いてくる。


 誰かが訪ねてきたのだろうか。だから、涙に濡れた顔を音の方に持ち上げて、次の瞬間リーゼは息を呑んだ。


 前庭に続く薔薇の生け垣にそった道を歩いてくるのは、三人の男女。二人の護衛が後ろにつき、前を歩く緋色のドレスを纏った女性の周囲を守っている。冬の日差しに、深紅の薔薇をあしらった帽子をかぶり、豪奢な巻き毛を揺らした姿は、えも言われぬ優雅さだ。だがその帽子から流れるストロベリーブロンドの輝きに息が止まるかと思った。


(カトリーレ様……!)


 どうして、ここにいるのか。


 しかし、まだ座り込んでいるリーゼの姿に、カトリーレの翠玉の瞳が止まる。


「あら?」


 目の前に座る人物の姿を捉え、ゆっくりと持ち上がっていく薔薇色の唇にリーゼは動くことさえできなかった。


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