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(1)突然の甦り

 暗い闇の中で、ずっと自分の名前を呼ぶ声を聞いていたような気がする。


「だれ?」


 問いかけようとしても、真っ暗で何もわからない。ただ、闇の中で、誰かが手を握ってくれていたのだけを感じる。


(だれなのだろう……)


 姿は見えない。それなのに、手から伝わる温もりは、漆黒の中で冷え切っていたリーゼの体を少しずつ温めていってくれる。


(あなたはだれ……?)


 尋ねたいのに声さえうまく出てこない。けれど、見えない手のひらはリーゼの手を握ると、ゆっくりと歩いて明るい方へ連れて行ってくれるではないか。そして、視界の奥に目映い光が見えたと思った途端、するりと手を離された。突然のことに慌てて周囲を見回しても、気配はただ闇の中に遠ざかっていくだけだ。


(待って! いかないで!)


 どうしてかはわからないが、この手を離してはいけないような気がした。


(待って! ――あなたは誰なの!?)


 どんどん強くなっていく光に視界を奪われて、闇の中に消えていく手の持ち主は見えない。しかし、焦る気持ちにおされて必死に伸ばした手は、違う何かにがしっと握られた。


 はっと目を開ければ、視界には暖かな光が満ちている。見慣れた紅葉の木で作られた赤茶色の天井。窓からは柔らかな光がさしこみ、白詰草を描いた若草色のカーテンを白く照らし出しているではないか。ぱちぱちとあがる音は、暖炉で燃えている薪の音だろうか。自分の体がひどく温かいのに気がついて、リーゼは呆然と握られている自分の手の先を見つめた。


「エディリス……?」


 伸ばした手の先にいたのは、リーゼと同じクリーム色の髪を短く切った少年だ。自分や父と同じ空色の瞳。見慣れた弟の姿のはずなのに、何故だろう。今日はいつもと少し違うような気がする。


「お前がどうして、ここに……?」


「姉さん? やっぱりリーゼ姉さんなんだね?」


 けれど、エディリスはひどく切羽詰まったような顔で尋ねる。


「え、ええ。でも、どうして……」


 だから、思わず押されるように答えたのに、エディリスはリーゼの言葉を聞くと、すぐにがたんと立ち上がった。そして扉を開けると、階下へと走りながら叫びだす。


「姉さんだ! やっぱりリーゼ姉さんだった!」


 どういう意味なのかさっぱりわからない。


 けれど、やっと落ち着いて辺りを見回せば、今いるのは夜会の日の夕方に出た懐かしいリーゼの部屋に間違いがない。白い暖炉も床に敷き詰められた白詰草の絨毯も、全てが記憶の中と同じだ。


「どうして、私はここに……」


 確かにあの時、首を落とされたはずなのに――。


 思い出した骨と肉を断つ生々しい鉄の感触。思わず、ぞっと首を押さえたが、触れた指の先では自分の首は繋がり、縫い合わせたような傷跡さえも感じられない。


「なにが、あったの……?」


 声が震えてくる。どうして、処刑されたはずの自分が今自宅の部屋に戻って寝ているのか――。


 けれど、考えようとした内容は、すぐに部屋に雪崩入ってきた人々によって中断された。


「リーゼ!」


「お父様、お母様……!」


 処刑の瞬間、二度と会えないと覚悟した人達が今目の前にいる。答えた途端、二人は手を伸ばしてベッドの上に座るリーゼへと駆け寄ってきた。


「やっぱりリーゼ……! 死んだなんて、嘘だったのね」


「お母様……」


 黒い喪服を纏った母は、心なしか以前よりも老けたように見える。最後に会ってから、まだ数日しかたっていないはずなのに――。


 けれど、ぼろぼろとリーゼの体を抱きしめながら泣いている母の側で、父がリーゼに近づくと、嬉しくて仕方がないようにクリーム色の髪をくしやくしゃっとかきまぜた。


「まさかお前が生きていたとは……。今朝、家の前に倒れているのを見つけた時には、本当にどんな神様が私達に情けをかけてくださったのかと驚いたが――」


「倒れていた?」


「ああ。まるでやっと帰り着いて疲れて寝てしまったというように扉にもたれて。朝早くに玄関の呼び鈴がひどく鳴るから、何事かとメイドが見に行ったら、呼び鈴に糸で大きな紙がくくりつけられた下に、お前が座るようにして倒れていたんだ」


「あの時は本当にびっくりしたわ……。でも、お前が生きていてくれて本当によかった……」


 そっと母が優しく頬を撫でてくれる。けれど、なんのことだかさっぱりわからない。


「待って、お願い。私はあの時夜会で――」


「リーゼ」


 けれど言いかけた時、母の隣に立つ赤毛の青年に気がついた。


 誰だろう?


 どこかで見たような面差しではあるが、こんなきりっとした顔に、鬣のような赤毛を纏った青年は知らない。しかし、彼は琥珀色の瞳を優しく細めると、嬉しくてたまらないというように両目に涙を溜めているではないか。


「あの……?」


「ああ、ごめん。てっきりあの夜に捕まった君が、処刑されたと思っていたから。パートナーとして一緒に行ったのに、君が疑われて殺されるのを止められなかった。それが悔しくて悲しかったから……」


「パートナー?」


 けれど、自分はあの夜こんな青年と話しただろうか。首をひねるが、じっと見つめていると、どこかで見た面影に似ているような気がする。赤い燃えるようなくせっ毛に、赤みがかった琥珀色の瞳――ふと、幼い頃から一緒に大きくなってきた一つ下の従弟の容貌と重なった。


「アンドリック……?」


 まさか。そんなはずはない。アンドリックは、自分と同じくらいの背で、骨格だってこんなに逞しい青年のものではなかったはずだ。それなのに、リーゼが名前を口にした途端、相手は嬉しそうに微笑んでいる。


「そうだ、君の従弟のアンドリックだよ。覚えていてくれたんだね」


「アンドリック――!」


(嘘よ!)

 

 さすがに目をぱちぱちとさせてしまう。


「まさか!?  だって、アンドリックは私と同じくらいの身長のはずよ!? 並んで、いつもまだ抜けないわねとよく背比べをしていたのに!」


 それなのに、数日の間に自分より頭一つ分以上高く伸びたというのか。どんな薬を使ったって、そんなことはできるはずがない。


 けれど、首を振ってしまうリーゼの前に立つアンドリックは、ことんと首を傾げると、少し困ったような琥珀色の瞳で微笑む。


「そりゃあ、成長期なんだから。一年もあれば伸びるさ」


「一年!?」


  驚いて聞き返すが、どうやらアンドリックの言い間違いではないらしい。リーゼの示した反応に父と母が互いに不安そうに見交わすと、ぎゅっと手を握ってくる。


「そうだよ。お前が処刑されたと突然聞いた日から一年がたったんだ。その間お前はどこにいたんだ?」


「ま、待って。私が処刑された日から一年がたっているって――」


 嘘としか思えないが、よく見れば父の横に立っている弟のエディリスも、以前より五センチほど背が高くなっているではないか。リーゼより四つ下だから、アンドリックほどの違和感は感じなかったが、ふっくらとしていたはずの頬までいつの間にか少しシャープになりかけている。


 けれど、混乱した頭に思わず額を押さえたリーゼの前で、母はそっとハンカチで目頭をぬぐった。


「あの日……お前を助けようと色んな方に嘆願にまわろうとしていた矢先に、お前が処刑されたと聞いて……。袋に入れて返されたお前の焼け焦げた遺体を見た時は、どれだけ辛く悲しかったか」


 だけど、涙はまだぽろりと眦からこぼれてくる。


「けれどあれは、お前が生きているのを隠すためだったのね。よかったわ……本当に生きててくれて……」


「お母様……」


 だけど、そんなはずはない。あの日、確かに自分は冬の処刑場で首を切られたのだ。


 ――何があったというのだろう?


 自分の知らない間に。


 ぎゅっとベッドの上に掛けられていた暖かな綿入りの布団を握りしめてしまう。


「……違うわ……。私は、確かに殺されたの――」


 けれど、思い出した記憶に声が震えてくる。あの寒い冬の空。並びながら、自分の処刑が行われるのを物見高く見物に来ていた人たち。全てが全て、つい昨日のことのように思い出せるのに、なぜか自分は今ここに生きている。


(なぜ!?)


「私は、あの時殺されたはずなのに――」


 絞り出す声が震えた。きっと、今の自分の顔は、父からも母からも蒼白に見えているのだろう。さっきまで手放しで喜んでいた顔が、布団を握りしめたまま震えるリーゼの様子を困惑したように見つめ交わしている。


「リーゼ……」


「鏡!」


 けれど、はっと頭を持ち上げた。


(繋がってはいるけれど、よく見れば首になにか傷痕が残っているかもしれない!)


 それを確かめてどうなるものでもない。だが、確認せずにはいられなかった。あの日の記憶が、自分の見た悪い夢なのか、それとも本当にあったことなのか。


 だから、エディリスが慌てて鏡台から持ってきてくれた白い手鏡を受け取ると、急いで覗きこんだのに、首には確かに赤い筋が一本。糸で描かれたようにして残っているではないか。


「どういうこと……」


 わからない。あの処刑の日の後、一体何があったというのか。


 最後の記憶は、執行人達に断頭台に押さえつけられて、無理矢理首を落とされたということだけだ。そして、頭をあげて、必死に前を見ようとしていた。


 嘘だと言ってほしくて――。叶うなら、せめて手を伸ばしたくて、瞳だけでも持ち上げて見つめようとしていた相手。


「そうよ……イザーク……」


 思い出した相手の姿に、ぽつりと言葉がもれる。


 そして、クリーム色の髪を振って前のめりに、急いで家族に伝える。


「イザークがあの場にいたわ! 彼なら、あの後私に何が起こったのか知っているかも!」


 けれども、両親はひどくうろたえたような瞳で互いに見交わす。そして、言いにくそうに口を開いた。


「実は、リーゼ。イザークなんだが……」


 なぜだろう。両親の様子に嫌な予感がする。婚約も破棄された。これ以上悪いことなど起こるはずもないのに――。


 しかし、父は辛そうな顔で言葉を綴る。


「イザークは、半年ほど前にカトリーレ様と婚約した。もうすぐ結婚式だ」


 告げられた思いもしなかった出来事に、リーゼの空色の瞳が大きく開いた。


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