80、私は初めて見る
アンナ・デルスロ・フォーマットハーフの謝辞
「ほぼ毎話に渡って誤字報告をしてくださっている方に心より感謝申し上げます。いえ、本当は感謝ではなく謝罪、あるいはもうしませんと誓約でも記すのが正しいのでしょうが、これでも私も人間の端くれ。ヒューマンエラーを完全に無くすことはなかなか難しい話です。ですので、この場では謝罪で勘弁して頂きたく願います。そして叶うならば、これからも私の物語の間違いを正して頂けると幸いなのです。傲慢な願いだとは承知しておりますが、これからもご協力のほど、よろしくお願い致します」
さて、ここから三十分の間どうしたものかしらね。グースさんに入れてもらった紅茶は入れ方が上手かったのだろうという感じに美味しかったけれど、万人受けはしないだろうという味だった。多分、普通の人が淹れたらそこまで美味しくならないような感じと言うか。端的に言って良いのは香りだけだった。
さっきシユウ様が言っていた通り、これは王族に出すような代物じゃないわね。チョコも紅茶も、高級品であるというブランドがあって初めて評価される程度のものでしかない。この三号車にそれを置くというのは極端に言うと、世界一贅沢な毒見だ。人の使いどころを間違っているとしか思えない。
そんな毒味に使われた哀れなシユウ様は当たり前のように窓の外を見ている。私の位置からでも見えるは見えるのだけど、木々が緑色の何かとしてしか認識できない速度で後方へ去っていく景色を間近で見るほどの勇気はない。王族は顎で使うくせに、怖くて列車の外を見れないっておかしな話よね。
かといってこのままただ怯えて席に座っているだけというのも勿体ない話だ。私の記憶にある限り、初の列車、その思い出が椅子からの車両内の景色だけというのはちょっと無色すぎる気がする。そもそも実際に乗っておいて何を今更怯えているのかという話でもあるし。もう諦めなさいよ。
よし、可能な限り自然に行きましょう。立ち上がって、シユウ様に何でもない声を掛けながら少しずつ近付くのよ。思いの外怖くなければそれでもいいし、普通に怖いままだったらシユウ様に縋りつくでもなんでもすればいい。まさか拒みはしないだろう。拒まれたら私が泣く可能性があるけど。
そんな決意を持って椅子から立ち上がろうとした瞬間、パーカーのポケットに入れていた携帯が震えた。恐らく私の顔は怪訝な表情を浮かべていたはずだ。まずタイミングがおかしい。セブンスヘブンが出発したのとほぼ同時刻に電話を掛けてくるのは少しタイミングが良すぎる。
それになにより、今は午前六時という早朝の時間帯だ。普段の私だったらまだ寝ているし、こんな時間に電話を掛けてくる非常識な人間を私は、知らないと言おうと思ったけど結構知ってた。多分王族の方々とか非常識な部類に当てはまる。でも今回の非常識人はそれとはまた別。
私の知る中で最も非常識な世界に所属する人間であるミラフリウスだった。いやまあ、薄々ミラだろうなと思ってはいたのよ。でもね、真っ当な常識人の知り合いが一人もいないということに気付いてしまったのよ。その現実から目を逸らしたくなっても仕方ないと思わないかしら。
私が背中をじっと見ると、何かを察したシユウ様がこちらを振り向く。震えている携帯を指差して、ジェスチャーで出ていいかと聞くと、無言の頷きが返ってきた。まだ電話に出てないから静かにする必要ないんだけど、そういうところから教えた方がいいのかしら。私は携帯を耳に当てる。
「もしもし、朝一から電話をかけられて貴女の非常識さに頭を抱えているアンナよ。何の用?」
『おっと? 頭を抱えてるのは彼氏との時間を邪魔されたからじゃないの? もしもし、ミラフリウスだよ』
「……もう今更、貴女がどこからそういう情報を手にしているのかなんてことは詮索しないけれど、その情報を基に不必要な邪推を重ねるのはやめなさい。というか、もし仮に本当にそうだった場合どう責任取ってくれるのよ」
『ざまあみろって感じだからそこで終わりかな。高価な家具に囲まれて甘々な時間を過ごしてるなんていうのを易々と見過ごせるほど、私は寛容じゃないからね』
「心が狭すぎるでしょ。それにそもそもーー」
『執事さんがいるからそんなことにはならない、かな?』
「分かってるうえで今の会話だったわけね。切っていいかしら?」
『ああ、駄目だよ駄目駄目。アンナに連絡事項があってこうして電話をかけてるんだから、それを伝える前に切られたらもう一度かけ直しだよ。それは困るでしょ?』
「別に困りはしないけれど……、連絡事項ってなに?」
『それを伝える前に、一回三号車から出てもらっていい?』
「は? ……何となく察しはつくけど一応聞くわ。理由は?」
『シユウくんに聞かれたくない話だからかな。予想外でしょ?』
「……分かった、でもどうすればいいの?」
『多分もう見たと思うけど、四号車は展望車両だからそこに出て。壁が無くて柵だけだからちょっと怖いかもしれないけど、自分から乗り越えたりしない限り転落することはないから』
「……これで大したことじゃなかったりしたら次あった時想像もつかないような酷い目に合わすからね」
『脅しに想像の余地があり過ぎて怖い』
どうやら私が見る初めての列車からの景色はスリリングな展望車両から一人で見るものになるようだった。シユウ様とグースさんに頭を下げて四号車への扉を開ける。そこには私の想像していない景色が広がっていた。どうやらこの列車から常識とかモラルとか、そういった不可欠なあれこれは失われてしまったらしい。
「……わざわざ出ろって言ったのはこれが理由なのね。とりあえず、本来三号車と四号車の間であろう場所にいるけど、ここでいい?」
『別にいいけどそこかなり怖くない? 私としては、理解した瞬間に怒鳴って戻るかと思ってたんだけど』
「怒鳴る気も起きないわ。でも、そうね、景色が線みたいに後ろに流れていく光景は、なかなか気持ちが良いものね。こんな状況じゃなければ、もっと素直に楽しめたのかもしれないけど」
『それはまた今度に持ち越しかな。とりあえず連絡事項を伝えるね。そしたら三号車に戻って二人に伝えなね?』
「意外と気が付かないものね。自分の常識の範囲外の出来事っていうのは……」
『ロデウロに潜入してる機関の一人と連絡が取れなくなった。提示連絡が無いのを怪しんで住居を訪ねたところ、まるで強引に連れさらわれたみたいに部屋の中は荒れていた。十中八九組織の仕業だと考えていい。奴らは、積極的に私達を敵に回し始めた』
「それをシユウ様に聞かれたくないというのは、秘密裏に送り込んでいたからかしら?」
『その通り。とりあえず、組織の危険度が上がってきてるってことだけでもアンナに伝えとこうと思ってね』
「これもそうと考えていいものかしら。低確率で起きる事故に偶然私達が遭遇してしまった、というのは楽観視に当てはまる?」
『当てはまるんじゃないかな。本来、二人の見張りとしてセブンスヘブンに乗るはずだった機関から連絡が来て、私がそれを直接伝える役割になったわけだけど、いやあ、聞いたときはびっくりしたね』
「……一応、運転席はこっち側に付いているわけだし、なんとかなるわよね?」
『まあ、多分? ていうか止めないと高速で走る列車が駅にノンストップで激突することになるから、大惨事になっちゃうんだよね。私としてはどうにかしてもらわないと困る』
「無責任な……、こんな話をしている時間も勿体ないから切るわよ。無事にロデウロに着いたらまた連絡するわ」
『あいあい。幸運を祈ってるよ』
そんな適当な言葉を最後に電話は切れた。さて、割とこれ、冗談にならないわね。私の目の前に広がってる景色を簡単に説明すると、何もない。本来四号車があるべき場所に何もないのだ。私のいるスペースは結構広いし、柵もあるので落ちる心配はないのだけれど、強風が怖いわね。
要は今、セブンスヘブンは前の三車両だけしかない。随分と思い切った軽量化だことで。普段よりも速度出てるのかもね。




