63、私は哀れに思います
廊下には必ず行き止まりがある、というのは嘘になってしまうけれど、大体の建物は廊下が一巡するような構造になっていないのでそこまで間違っているわけでもないと思う。ちなみにうちの屋敷は一階部分だけ廊下が一巡する。私がもっとお転婆な性格だったらそこを使って鬼ごっこでもしてたのかしらね。
私がこんなことを考えているのは、ありもしない過去に思いを馳せるためとかではなくて、目の前の女の髪を避けるために廊下を後退していたらいよいよ突き当たりが近くなってきてしまったから。私とほとんど年齢が変わらないであろう女は、そんなに頭を振って大丈夫なのかと心配になるくらい頭を振り回している。
さっき足払いしたときの感覚的にほとんど身体は鍛えられていないように感じたのだけど、三半規管だけはやたらと強いようね。それとも、これも洗脳の副産物と考えるべきだろうか。私の暴言か、あるいは一定以上のダメージがスイッチなのか、人が変わったかのように積極的に攻撃を仕掛けてきている。
もし、これも含めて宗教を広めた誰かの能力の一部ならば、まるでそのために存在するような能力だと思わざるを得ない。ここまで強力な精神操作が、それ以外のどのような場面で役に立つというのか。いえ、きっと善人ならば正しい使い方を思い付くのでしょうね。私も能力者も、性根が捻じ曲がっているというだけで。
なんだかだんだん髪が空気を切る音が鋭くなっているよう気がするわね。頭を振る速度が上がってきているのかしら。そこまで振っちゃうと私を倒してもその後自分が病院送りになりそうなものだけど、そんなことも考えられないくらい思考力が落ちているのか、それとも、優先順位の問題か。
とはいえ、形だけ見れば私が追い詰められているのは間違いない。誰が見てもそう思うだろうし、女自身だってそう感じていると思う。実際、私はここまで自分の意思で下がってきたし、焦っているような表情こそ浮かべているものの、確かな勝算があっての余裕な思考だ。女の方が余程余裕がないように見える。
私の右手が突き当たりの壁に触れる。追い詰められたような表情を顔に貼り付けて女の顔を見ると、そこに大した感情はなかった。やってやったというような喜びも、私を見下すような嘲笑も。むしろ頭を振り回した弊害か、表情の無い顔は真っ赤になってしまっていて心配になる。
多分脳の血管が切れたのだと思うけど、それでも止まらない。確かに一歩ずつ、こちらに近付いてくる。さて、縦と横のどちらに髪を振るうのか。それによって私の取るべき対応も変わってくるわけだし、あんまり頭をフラフラさせないでほしいんだけど。そもそも、私の考えてることは上手く行くのか。
女が頭を右から左へと振る。それから少し遅れて、硬く纏まった髪が私の左側頭部を狙って来るのは分かりきったこと。私は触れている壁に『ポケット』で穴を開け、女の左足をその穴に落とした。壁から左足が生えるのと同時に髪の軌道が変わり、上から斜め下へ髪が振るわれる。
鈍い音と共に地面に弾んだ髪。左足はすでに膝まで穴にはまっている。意識が鈍いせいかそれを引き抜こうとすらしていない。私は女がまともに動けなくなるこの時を待っていた。女の元に戻るわけでもなく床に転がっている黒髪は、先程から見ている限りいくつかの状態変化が発生している。
硬くなっていて、纏まっていて、重くなっている。つまり、本当に髪の毛を鈍器へと変化させるだけの能力なのだ。私が反撃できるとしたら、これを使うしかないと思った。まあ正直言って、このまま避け続けてれば脳の血管が切れて倒れるとは思うんだけど、私がいつまでも避け続けられる保証はないし。さっさと気絶させるべき。
私は膝から下がどこかへ行ってしまい困惑したように首を傾げている女を確認すると、髪の毛の方へと足を動かす。相手の状況判断能力が低下している以上、そこまで焦る必要はない。むしろ下手に焦って反撃を食らうほうが怖い。女は足を穴から引き抜こうとしている。片足が消えてへたりこんでいる今の体勢じゃ絶対に無理。
他人が触れると能力が解除されるとかだとこの場から全力で逃げる必要が出てくるので、なるべく、この髪で殴って終わりにしたい。流石にこれで殴ったら気絶すると思う。ただでさえ頭に負担かかってるし、これ以上追いかけてくるようだとそれはもう亡者になる。洗脳とかそういう言葉で済ませられないというか。
恐る恐る髪の毛を持ち上げてみると、思っていたより重かった。そして硬い。どうやら能力は発動されたままのようだけど、さて。理想としては、私の『ポケット』で振り回された髪を穴に通し、自分で自分の頭を殴ってもらいたかったのだけれど、そこまで都合のいい建築になっていなかったので諦めた。
というか改めて考えるとこの娘ボロボロよね。私に肘鉄入れられて、顔は真っ赤だし。この上殴られて気絶させられるのは、被害者の私でも少し哀れに思う。ただ、ここで気絶させないと、彼女は今以上に重症になるだろう。歯止めも効かず、自らの行動で死へと歩んでいくだろう。
それは止めたい。別に情とか慈悲とかじゃなくて、情報を聞きたいという意味で。数少ない糸口を簡単に喪失するわけにはいかない。だから、全力でないけど手を抜いたというほどではないくらいの力加減で、左足を眺める彼女を私は殴った。左側頭部。右側に倒れていき、ピクリとも動かない。
身動きの無さから気絶したと判断した私は、穴に嵌ったままの左足をとりあえず抜いて、『ポケット』を解除した。穴をいくつか開けるなら便利なのだけれど、今のところの私に開けられる穴は常に一つ。便利な能力のはずなのにいまいち使い勝手が良くないのは我ながらなんとも言えないわね。
「……うん、とりあえずスタンガンも取り上げたし、万が一目が覚めてももうどうしようもないはず。……人を呼びたいけど、この場から離れるといなくなってそうなのよね……」
「いい勘してるね、シーツァリア次期王妃。本当はここで気絶した君の回収をする予定だったんだけど、その様子を見るに完全に失敗した感じか」
いつの間にかさっきまで私がいた廊下の突き当たりの壁に少年が寄りかかっていて、私を見て薄ら笑いを浮かべていた。いえ、いつの間にかを考える必要はないわね。移動系統の能力者。単独犯じゃないとは思ってたけど、まさか移動系統みたいな希少な能力者まで巻き込まれているとは。さて、どうしたものかしら。
まあ、真っ向からの戦闘はもう御免ね。不意打ちこそ最も安定した勝利への道。しゃがみ込んだ体勢だったのが幸運と言うべきかしら。私は足元に『ポケット』で穴を開け、男の背後に繋げます。そしてその穴にスタンガンを突っ込み、熊をも気絶させるという最大出力で背中に当てました。
素直に気絶してくれると嬉しいのだけれど。




