62、私は追い詰められます
「思ったより簡単に気絶させられたわね……。私ってもしかして暗殺とか向いてるのかも? ……うーん、あんまり嬉しくないわね。目的は達成したし、さっさと連れていこうかしらね」
そんな悠長なことを言っている女。年齢が分からないから便宜上、女と呼称するけど、その女は私の足元に立っていて、どうも私を引きずって運ぼうとしているようね。足首を持たれたのが伝わって来たわ。まあ、そんな簡単に運ばれてやるわけがないのが私なのだけど。
少しだけ足を動かすと驚いたようで、女がかかんでいた体勢から立ち上がったのが分かった。私は勢いよく身体を反転させ、女を顔を合わせる。完全に虚を突いたようで一瞬だけど確実に動きが止まった。狙い通り。私は右足で思い切り女に足払いを食らわせる。
予期せぬ反撃に脳が追いついていないようで女は簡単に床に転がった。お尻を擦りながら可愛らしく呻き声なんて上げてるけど、そんな場合じゃないことにはまだ気付いていないようね。それとは反対に立ち上がった私は、床に転がっている女の腹に全体重を乗せた肘を捻じ込んだ。
齢十二歳の華奢な女子とは言え、体重は四十キロ前後はあるわ。そんな重量のものが明確な殺意を持って腹部に肘鉄など、しかも重力の協力まで得てともなれば食らった側は悶絶必至。鳩尾とかに衝撃を受けると一瞬息が止まったりするでしょう。あれの二十倍くらい強力な奴を思い浮かべてくれれば丁度いいかしらね。
ぶっちゃけると、割と真剣に殺す気で放った反撃だったのだけれど。苦しそうな顔を浮かべながらお腹を押さえて唸っている程度で済むのは正直言って予想外だったし予定外だった。ここで決着が付いているという私の考えはどうも楽観視だったらしいわ。
一国の次期王妃に気絶する威力のスタンガンを躊躇なく食らわせたのって正式な裁きの場に突き出したら間違いなく死刑なわけだし、ここで私が殺しちゃっても特に問題無いと思うのよね。内臓破裂くらいならしてても全然おかしくない威力の肘だったという確信はあるわ。
シユウ様に会ってからの私は、勉強が苦手になった代わりに護身術とかの方面に関しては目覚ましい成長を見せているからね。この間護身術の先生に、将来の夢は兵士か何かかな、とか言われたくらいには成長しているので。どこかで方向性を間違えた気がしなくも無いわね。
「……痛そうですわね。大丈夫ですか? 確か医務室があったと記憶していますが、そこまで付き添いますわよ。お気になさらず、私これでも結構体を鍛えておりますの。同年代の令嬢を一人運ぶくらいそこまでの労力ではありませんわ」
「……どの口が……」
まだ言い返すだけの気力があるとは。これが洗脳の効果かしら。正直言って、この状況で私を狙って来るというのにはもう、宗教が絡んでいるとしか考えられないわけよ。だって真っ当な思考が出来る人間ならそんな自殺とほとんど変わらないような愚行なんて絶対しないし。
もうさっきまで私の状況を見ていた人ならわかると思うけど、私は七か国全ての王家と繋がりを持っている特殊な立場の貴族なわけです。手を出したらどこから何をされたのかも分からないまま死ぬことが確定しているような私を、気絶させて誘拐しようなんて正気の沙汰じゃないわ。
「……なんで、気絶してないのよ……、熊だって……、一撃で気絶するような威力のはずなのに……」
「そんなものを私に向けた貴女の非人道的な行為にもなかなか驚愕ですが、しかしなるほど、そこまでの威力のものだったのですね。通りで背中が痺れたと思いましたわ。蚊にでも刺されたかと」
私に危害を加えることがどれほどのリスクを伴う行為なのかは私自身重々承知していたけれど、それでも行動を起こす馬鹿というのはどこにでもいるもの。そんな愚か者に対し、何の準備も警戒もせずに、のこのことで歩くほど私だって愚か者ではないつもりよ。
「ここだけの話にしてくださいね。実はこのドレスの下には、現在のシーツァリアの技術の限界まで薄くした、弾丸も刃物も衝撃も熱も、当然電気も、人に害を及ぼす危険性のあるもの全てを防ぐことが可能な最先端の防護チョッキが仕込んであるのです。貴方のお陰で効果は無事立証されました。ご協力感謝いたしますわ」
「……なに、それ……? そんなの……、ふざけてる……」
「シーツァリアは軍事を司る国。データにないことをされたからって逆切れとは、貴女の信仰している誰かも大したことのない小物なのが透けて見えるようですわ」
そんな軽口。信仰している対象を貶された時、教徒はどのような反応をするのかが見てみたかっただけ。だから、目の前の女が、突然目を鋭くさせたかと思ったら、壊れた人形のような動きで起き上がってくるなんて完全に想定の外だった。
長く伸ばされた髪が、仰け反る女の頭を支えているかのように床と接している。人間の首の可動域ってそこまで広かったかしら。記憶が定かじゃないわね。もっと人体について学んでおくべきだった。そんな現実逃避。
私は後ろに少し下がり、女の四肢が届かない位置まで離れる。どういう能力なのかは分からないけれど、実力行使の方向へとプランを変更したのだろうということは分かる。でも、それに短絡的に乗っかるほど私だって馬鹿じゃない。最低限のダメージは与えているわけだし、このまま走って会場に駆け込めば。
直立の体制になった女が突如頭を振り回すのと同時に、私の顔の直前で空気を裂く音が聞こえた。ふおんと、文字通り不穏な音が。その音の正体は、髪。女の身長と同じほどまでに伸ばされた綺麗な黒髪が、物騒な鈍器となって振り回されているのだ。
おそらくこれが彼女の能力。自分の髪を纏めて硬質化させるというただそれだけ。でも、今私達がいる大して広くもない廊下において、それは最も対峙してはいけない能力。正面から鈍器を振り回しながら半狂乱の女が迫ってくる。
事前に取っていた僅かな距離というアドバンテージのお陰で避けられているけれど、この紙一重がいつまで続くのか。せめて目の前の女を気絶させられるような都合のいい武器でもあれば。都合のいい武器。目の前にあるわね。
追い詰められて焦って忘れてしまっていたわ。私にはこういう時にとっても使い勝手のいい、とっておきの能力があるということを。




