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穴開ける次期王妃の婚姻譚  作者: 甲光一念
第二章 懇親会編
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61、私は本音を自覚します

「…………」


 私はお手洗いの鏡に映る自分の顔を見ます。落ち着きました。もう先程のような呆けた顔ではありません。いえ、呆けたなどと婉曲な表現はやめましょう。私は狼狽したのです。ウェイン様の言葉になぜか狼狽えてしまったのです。なぜでしょうか。なぜ、そんなわけないでしょうとすぐに言えなかったのでしょう。


 私はつい先日に、好きになる努力をするという決心を固めたばかりで、今はまだまともな恋愛感情などシユウ様には抱いていないはず。信頼はしていても、それは親愛と同一ではないということを自覚したはず。自覚させてもらったはず。


 そんなことを意識してしまったから、今日だってどうにもいつもの調子が出ていません。軽口も叩けず、服装を褒めることもしていない。紅茶を持ってきてもらっても軽い感謝の言葉一つで終わってしまう。いつもだったらもっと、もっと、なんでしょう。いつもだったらなんと言っていたのでしょう。


 私がシユウ様に現在向けている好きという感情は、異性にではなく友人に向ける類のものです。そうであるはずなのです。それ以上ではないはずなのです。なのに私は狼狽えた。ウェイン様の言葉に、図星を突かれたかのように狼狽えたのです。


 予想していない言葉に驚いたがゆえの狼狽だったというのは、私にとって都合のいい解釈でしょうね。ああ、私は変わってしまった。二年前の私だったら、自分に都合のいい解釈などしなかった。世界は常に私を中心から一番遠いところに置いていて、全ては私の意に反して動いているのだと心の底から信じていた。


 それは私の現実逃避。疲れた心が受け入れ易いように捻じ曲げた都合の悪い世界への歪んだ目線。何もかもを敵だと思えば余計な心労から離れられると曲解したがゆえの拒絶反応。自殺という終着へ迷いなく進むため、舗装されていない獣道を見つけ出すために取った悪手。正しさから最も縁遠いと信じた運命への反抗。


 十歳の少女のそんなささやかで唯一の自滅を止めたのがシユウ様でした。傷ついた自分を奈落の底へ導くような情けない慰めを邪魔したのです。それは、当時の私からしたら信じられない暴挙。私にとって生きる希望だった自殺という結論に間違いだとはっきりとバツを付けてきたのですから。


 なぜ、私はシユウ様を信じたのでしょう。何の証拠もない未来を知っているなどという言葉を、私を救うために来たなどという言葉を、好きだという言葉を信じたのでしょう。信じて、どうなると思ったのでしたか。信じれば、幸せになれると思ったのでしたっけ。


 違う。違う。私は、幸福を望んだのよ。そんな悲観的な私を、幸せになりたいと泣いて叫ぶ私が抑えつけた。最初で最後の幸せになれる機会を、私から奪わないでと喚いて懇願した。誰かからの愛情を欲していた私が、シユウ様からの告白を泣いて喜んだ。


 嘘なわけない。だってこんなに真剣な目を私に向けている。私が好きだと正面から言ってくれた。これよ。これが私が今まで望んで、欲して、でも誰からも得られないと諦めていたものなのよと、狂ったように歓喜した。どこかから、冷徹な私が見ていることなんて気にも止めずに。


 冷徹な私は、いつかどうせ離れていくと冷めたことを言った。口先だけの告白なんて無いのと同じだと。だから好きになるのはやめておきなさい。いつかどうせ、泣きながら行かないでと絶望することになるからと。初めから諦めておけば、絶望することもない。一生不幸な奴は、何をしたってその運命からは逃れられないのよと。


 だから、表面的な私はシユウ様に一線を引いた。必要以上に接触するのは控えておこう。後々訴えられたら嫌だもの。馴れ馴れしくするのはやめておこう。その内きっと嫌悪の目を向けられるのだから。褒め言葉を鵜呑みにするのはよしておこう。その言葉はいつか罵声に変わるから。


 好きにならないように、頑張らなくちゃ。


 それは、私が自分に架した呪いだ。こんな優しい人に私は今まで会ったことがない。こんな距離感で接していたら耐性の無い私は簡単に好意を抑えきれなくなるだろう。それが真っ当に実ればいい。だけど、人生がそんなに都合の良いものでないことを私は齢十歳にして知ってしまっていた。


 だから、友人以上にならないように無意識に感情を抑えた。結果として、目論見は成功した。私はシユウ様に明確な好意を抱くことはなかったし、裏切られ傷を深くするような失敗もしなかった。けれどそれはあまりにも淀んだ関係。


 私はシユウ様に自分がどんな感情を向ければいいのか分からなくなっていた。二年間でこの人の好意は信頼できると確信に近いところまで理解したにも関わらず、それに身を委ねることは出来なくて、じゃあ言葉で示そうにも自分に架した呪いは、思った以上に重苦しい十字架だったようで。


 好きになるべきじゃない。だって私と結婚したってこの人は幸せになんかなれないんだから。私じゃこの人を幸せにできないんだから。私は、私は。好意を誰かに向けてもらってもいい存在じゃないんだから。一人で生きて、いつか復讐のために自殺するんだ。だから、好きになっちゃいけないんだ。


 好きになっちゃいけないは、好きになりたいの裏返しだと気付いていた。


 でもそれは、自覚するにはあまりに罪深い感情。優しい好意を二年間無下にし続けた私が、願ってもいいことじゃない。きっと私は、誰かに言ってもらうのを待っていた。好きになりなさいと。好きになる努力をしなさいと。好きになってもいいんだと。誰かからのその言葉を待っていた。分不相応にも、待っていたのだ。


 解き放たれた感情は、一気に決壊した。したこともないデートを妄想していた。誘惑した際の反応を妄想していた。それは、きっと好意の表れ。しまい込んでいた欲望の奔流。本当は、人目を気にせずそういうことがしたかったのだ。ああ、そうか。溢れ出た好意は、最悪の形で表層に現れた。


 好きなんだ。とっくの昔から、私はシユウ様が好き。


 まともに褒められないのも、褒められたとき不安になったのも、いつも通りの対応が出来ないのも。最悪の形で好意が表層化しているから。気恥ずかしいのだ。誰かが見ている前でいつものように振る舞うのが恥ずかしくて仕方ない。


 恥ずかしいと感じるという事実がまた恥ずかしい。私の人生のどこに初心に育つ要素があったというのか。うん、いや、まあね。そういう感情に慣れが無い生き方をしてきたからこう育つのも自然といえば確かに自然。プライドが無い割に羞恥心だけ人一倍とか正気か。恋愛に対する免疫がなさすぎるでしょうが。


「……とりあえず、シユウ様の顔をまともに見れるようにならないとね。……今の心境で顔合わせたら私どうなるのかしら……」


 曇り一つない鏡に別れを告げ、トイレからでると、急激に足元が不安定になった気がした。自分が今、どんな顔をしているのか分からないということがこんなにストレスになるのか。コンパクトでもなんでも見れば済む話でしょうが。赤くなっていたらあの王族の面々に何を言われるか分かったものではないという恐怖もあるのだけど。


 懇親会場の大広間に向かって数歩歩いた。そこで突然、私の腰辺りを途轍もない衝撃が襲った。ぎっくり腰などの身体の中からのものではない。外部からの刺激。直前に響いた不快な破裂音。考えるまでもない。スタンガンだ。誰かが私の腰にスタンガンを当てた。護身用で済まない、人を気絶させる威力を持った代物。


 私は膝から崩れ落ち、そのまま床に倒れ伏した。廊下の絨毯を踏む足が、私の足元辺りで立ち止まった。さあて、急展開ね。

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