118、私は迂闊を後悔する
「……ん? 私? えっと、どこかで会ったことあったっけ?」
「はあ? 何言ってんの? 突然連絡つかなくなったと思ったらそんなとこで何やってんのって訊いてるんだけど。何か行動を起こすなら事前に報告してくれないかなあ?」
「……? ……、…………、……? ……えーっと、誰か他の人と勘違いしてないかな?」
こちらを見ている男性の目がどんどん鋭くなってきている。要領を得ないというか、どうにも噛み合わないクイラさんとの会話に苛立ちが募っているのだろうけれど、声色を聞いている限り、クイラさんは嘘を吐いていない。顔見知りのような風に話しかけてくる彼に心底心当たりがないのだと伝わってくる。この会話の齟齬は一体どこから来ているのか。洗脳が消えた要因。
「……ああ、なるほど、そういうことですか。なんというか、疑問に思っていたことがこれで一気に氷解しました。通りで……、なんとなく流してましたがずっと不思議だったんですよね……」
「ど、どういうことなのアンナちゃん。私に一体何が起こってるの?」
「えーっと……、クイラさん、昨日自分が何してたかって覚えてますか?」
「昨日? 昨日はえっと……、えーっと……、……あれ? ごめん、一つも思い出せない。え、なんで? すっごい気持ち悪いんだけど。嘘、なんで?」
「では一昨日は?」
「一昨日……、あ、一昨日なら覚えてる。確か朝起きて、壁に貼ってあるヘキくんポスターを眺めて、今日も一日頑張ろうって気合を入れたの。日課だからこれは絶対のはず」
「今ちょっと聞き逃したら不味い情報を聞いた気がする。でもこれに突っ込むと俺様の精神衛生上あまりよろしくないような気もするからスルーすべきなのかこれは?」
「まあ実害があるわけじゃないし……、ポスターで欲望を発散してくれてるならむしろラッキーと捉えてもいいんじゃないか?」
「つかそもそも俺のポスターって何? え、自作?」
「その後については?」
「……散歩に出たのよ。お昼ご飯をヘキくんのお店で食べるためにお腹空かせようと思って。で……、それから……、どうしたっけ……?」
「恐らくその外出した時に洗脳を掛けられたのでしょうね。つまり、私達の行動を監視していた知覚系統の能力者は、クイラさんだったわけです。厳密には知覚系統ではなかったわけですが、私達の行動を監視するという目的においては、知覚系統よりも有効だったでしょうね」
「え、でも私、別にスパイとかじゃないけど……」
「……洗脳系統の能力は、より強い意志が絡むと無効化される場合が非常に多いのです。今回もその例には漏れていないでしょう。まあ要は、恐らく、ヘキレキさんからの電話で洗脳が解けたのではないかと」
「おお! それは流石私と言わざるを得ないね! 愛の為せる業ってわけね!」
「ええまあ、その解釈で間違ってはいないかと」
「……うーん、喜びにくいな……」
「あー、そういや電話からこっちに来るまでやたら早いと思ったけど、あれって俺達の近くで監視してたからってことなのか。迅速さには助かったけど、それ以上に俺達ってクイラに追い詰められてたのな……」
「つまるところ、貴方の能力は伝達系統ですか。私から銃を撃つという意志を受け取り、倒れるという形で弾を避けた。まあ、伝達系統にしろ知覚系統にしろ、銃弾を避けたということは自分自身の強化は行えない能力者であるということの明確な証拠。あとはシユウ様とヘキレキさんでどうにかなる程度でしょう」
「こんだけ苦労させられて、俺様達が最後に相手をするのがこんな一発殴っただけで気絶しそうな奴ってのはどうも釈然としねえけど、俺様は心が広いからな。さっきまでのパーカー野郎共と合わせてチャラってことにしといてやるよ」
「制限系統の能力者の居場所も吐いてもらわなくちゃいけないし、聞くことは山ほどあるんだ。絶対に逃がさねえぞ」
近接戦闘という分野において、この国で一、二を争う二人が関節を鳴らしながら男性の方へ近寄っていく。人によってはこれだけで気絶しそうな光景だと思うが、細めた目をクイラさんから逸らした彼の表情から余裕は消えない。ここからまだ、逃げ出す算段があるというのか。多少の援軍が駆けつけた程度では私達から逃げることは不可能だ。少し前までクイラさんと一緒にいたならそこは分かっているはず。
銃口は未だに彼の方を向いている。手を挙げて投降してもいいくらいの追い詰められた状況で、なぜああも余裕が崩れないのか。私たち全員を敵に回して、退路すらも無いこの袋小路で、逃げる方法があるとするなら。いや、むしろ、私達全員を纏めて片付けられるような手段があるとするなら。この幽霊屋敷に何か想像外の仕掛けがあるならば。
そう言えば、結局彼らはこの屋敷内にどうやって入っていたのか。足跡程度なら見つけたが、侵入経路は終ぞ見つけられなかった。クイラさんが屋敷の周りを一周して何も見つけられなかったならば、まさか一階から入っていない。二階か地下から入っていたとすれば、侵入経路を発見できなかったのも当然だ。どこかの壁でも壊して出入りしていたのか。
目の前の彼が、目線をこちらから外した。光の差し込む窓に向かって一切の躊躇なく走っていき――そして飛び込んだ。老朽化の影響か木枠は簡単に砕け、窓は割れ、二階の窓から彼は脱出した。嫌な予感がした私はとっさに振り向き、部屋の外、先程走ってきた廊下を見る。倒れていたはずのパーカー集団が一人もいない。
気絶していたわけではなかったのだ。やけに簡単にこの部屋まで通してくれると思っていたが、前提が違った。彼らは別にこの場所に隠れていたわけではなく、私達は思惑通りこの屋敷まで誘導され、この部屋に辿り着いてしまったのだ。追い詰められていたのは、むしろ私達か。窓に向かって走っている二人に向かって、私は叫ぶ。
「シユウ様! 箱です! 私達全員を囲ってください!」
数秒後、何の前触れもなく、余りにも呆気なく、周辺に隠す気など微塵もない、絶大な爆音が響き屋敷が丸ごと吹き飛んだ。爆破解体の如きその跡地には、山になった木材が積み重なっていた。




