第58話、犬
事務所に帰ってから、藤堂さん達は戦闘の準備で忙しそうだった。
俺も自動小銃のマガジンに弾丸をセットするように頼まれたので、隅の机でカシャカシャと詰め込んでいた。
「先輩。コパル様を呼び出しましょう」
いきなり、山口が来て言った。
「コパルを呼んでどうするんだ」
山口は以前と比べて気力を取り戻したようだ。表情に活力がある。
「決まっているじゃないデスか。新しい能力を授けてもらうんデスよ」
俺はマガジンをテーブルに置き、腕組みして黙り込んだ。
「実はなあ、山口。前に彼女を怒らせたことがあって、それからは呼んでも来ないんだよ」
藤堂さんが女にされて困惑していたことを思い出す。
「でも、やれることは全てやってみるべきですよ、この際。ねえ、先輩」
物事に対して山口は前向きになった。男というものは変わるものなんだな。
「おい、佐藤さん。あの娘を呼び出すのか?」
自動小銃の配分をチェックしていた隊長が嫌そうな顔を向けている。
「あいつが来るんだったら、俺はちょっと遠慮するぜ」
藤堂隊長は部屋を出て階段を降りていく。健司さんを始め、トルティア達は興味深そうに俺達を見ていた。
「じゃあ、やりましょう、先輩。今は非常事態ですよ、ためらっている場合ではないデス」
山口はやる気満々で床に正座する。
本当にやるのかよ、とため息交じりにつぶやいて、俺は山口の隣に座った。
「コパル様、コパル様、おいでになってくださいませ」
三〇代のオヤジ二人は両手を上げたり、ひれ伏すと同時に手のひらを床に付けたりして幼女悪魔を呼び出す儀式を行う。それはアラーの神に祈るような感じ。
「何か用かだわよ」
目の高さに浮かんでいるのは小学校低学年くらいの悪魔ッ娘で、久しぶりに見るエプロンドレス風ワンピースだ。今日はシックなクリーム色をしている。
「ははーっ。コパル様、お久しぶりでございますデス」
山口は尊いもの扱うような話しぶり。
「二人が一緒とは珍しいわね。それで今日は何をして楽しませてくれるのかしら?」
細い腕を腰に当てて、いつもの上から目線。
「はい、この世界では人間とリザードマンの戦いが始まろうとしております。それで新しい能力を与えて下さるとありがたいのでございますデス」
「ふーん」
コパルは胸にたれてきた長いツインテールをピッと指ではじく。
「まあ、お前の努力次第だわよね」
そう言うと、床に着地する。
ははーっ、と言って山口は後ろに下がり、四つんばいのワンワンスタイル。
もしかしたら俺は邪魔かなあと思って横にどいた。トルティア達は眉をひそめて俺達を注視している。他の人間にコパルの姿は見えない。
「キャウーン! キャン、キャン」
いきなり吠えたかと思うと、山口はコパルの腰にすがりついた。
幼女の細い腰に手を回して顔をグイグイと押しつける。
俺とその他の見物人は、余りに驚いてしまい体が凍ってしまった。
「キャハハハハ! この犬」
コパルは笑いながら、オヤジの頬を両手で押さえてグリグリと回した。そして、ポーンと押し放す。
「キャウン! キャウン」
床に倒れた山口は、何をするんデスかご主人様、という抗議の表情を浮かべた後、すぐに笑顔を取り戻してコパルの足にすがりつく。背後に回って細いふくらはぎをペロペロとなめだした。尻尾の代わりにケツをフルフルと揺らす。
「キャハハハハ! くすぐったいだわよ、このバカ犬」
そう言って32歳のオヤジの腹を軽く蹴飛ばす。
「キャン、キャン、キャン」
完全に犬と化した山口は、コパルの周りをクルクルと走ってから、幼女の胸に抱きつく。ぺたんこの胸に顔をグリグリと押しつけてから、クンクンと香りを吸い込んでいた。
僕はこんなにご主人様のことが好きなんだワン。どうして優しくしてくれないんだワン。という心の声が本当に聞こえてくるよう。
ああ犬だ、こいつは犬になりきっている。そこまで人間はプライドを捨てることができるのだろうか……。すげーなー、山口。
トルティア達は唖然として何も言えないよう。
笑いこけながらコパルは空手チョップで犬の頭を叩く。
「クワーン、クワーン」
後ろ向きに倒れた山口は、仰向けになったままクネクネと上半身をコパルの足下に移動させ、両足の間に顔を割り込ませた。関節を曲げて犬を演じたまま手足をパタパタと動かしている。
あいつ絶対、パンツをガン見しているな。もしかしたら楽しんでやっているのだろうか。
「キャハハハハ! 分かった、分かった。あんたの願いは聞いてあげるだわよ」
コパルは赤いパンプスで山口の顔面を軽く踏んでグリグリとする。
あれは山口にとって、ご褒美なのかなあ。
犬は人間に戻ったようで、コパルから離れて土下座をしていた。
「ははーっ、ありがとうございます。コパル様」
「楽しませてくれた礼に、あんたには異世界での転送能力を与えるだわよ。これは異世界内だけで1日に1回の転送しかできないけど、日本との転送とは別だから異世界の中で転送しても、日本に帰ることができるだわよ」
もっと有効な能力をくれないかなと思うが、機嫌を損ねるとマズいことになる。
「ははーっ、恐悦至極に存じます」
フフフと笑ってご機嫌なコパルは俺の方を向く。
「それで、あんたは何をして笑わせてくれるの?」
俺は言葉に詰まる。山口の熱演の後に何をやったとしても影は薄い。
「えーっと……ならば、勝利の舞では……」
「あれは、もう飽きただわよ」
そう言われてもなあ……。
「先輩、コパル様は芸を所望していらっしゃるのですよ。早くしてください」
この野郎、調子に乗りやがって。
しばらく考えるが、良いアドリブが何も浮かんでこない。
「もう、いいだわよ。さよなら」
その言葉を残して幼女悪魔は消えた。
「ああ、もう何をやっているんですか、先輩。せっかくのチャンスなのに……、女の子を喜ばせることもできないんデスか」
「お前に言われたくねえよ」
さっきまで犬になっていた、この山口に説教されると、なぜか無性に腹が立つ。
*
夕方、偵察隊から報告があった。
リザードマンの大軍は、あと二日で山を抜けてシンヤードに来るだろうということだった。




