第51話、幕開け
トルティアとのデートコースは大体決まっている。
今の付き合い方でいいかなとは思うが、さらに二人の仲を進展させるにはどうすれば良いか、手探り状態の交際をしている。
リザードマンから手に入れた金製品は、その半分を換金して1億円を手に入れた。
大金が入ってきても、日本では派手に使うわけにはいかない。俺は探偵事務所の一社員なのだから、税務署の調査が入ったら収入源の言い訳ができない。
豪勢な鉄筋コンクリートの三階建て住宅に住み、フェラーリやクルーザーを乗り回す生活をすることも可能なのだが、日本の窮屈な状況では布団に入って見る夢でしかないのだ。
しかし、砂金を取ることをやめる気はない。俺には使い道がなくても、お金はたくさん欲しいからだ。それは本能的な欲求で、その乾きが満たされることはないのだろう。
二日後。トルティア薬局の客をもう一人対応した後、異世界に帰ることにした。
「今日は前にする? それとも後ろ?」
トルティアが聞いてきた。彼女は俺が選んだジャンパースカートを着ている。
「そうだなあ……。オンブにしようかな」
前というのはお姫様だっこで、後ろはオンブという意味。
彼女は俺にバッグを手渡し、背後から俺の首に手を回した。柔らかい曲線を背中に感じる。
「よし、行くよ」
シンヤードの佐藤商会を思い浮かべる。
今は順風満帆だ。リザードマンの砂金もいつかは尽きるだろうが、感じから言ってまだまだ資源はあるようだ。取り尽くしたら、また考えればいいさ。
トルティア薬局の部屋が白い世界に侵食され、やがて闇の世界に。
レンガ作りの建物の3階、佐藤商会に転送した。
部屋には誰もいない。店番のトルチェはどこに行ったのだろうか。
「1階の店に行ってくるわ」
トルティアはバッグを持って階段に向かう。俺も付いていった。
店に行くと、藤堂さんを始め全員がそろっていた。誰もが無言で雰囲気がおかしい。
「ただいま帰りました」
トルティアが言っても、トルチェは何も答えない。
「何かあったんですか」
腕組みをして難しい表情の藤堂さんに尋ねてみた。
「ちょっと問題が起こってな……」
「問題?」
「うむ、……山口達がリザードマンの領地を襲ったらしい」
ガツンと頭を殴られたようだ。思考がぶっ飛んで何も考えることができない。
しばらく現実から逃避して天井付近をフワフワと遊泳した後、脳に意識が帰還した。
「なんだってー! 山口の野郎がリザードマンの領地を侵略したんですかあ!」
重くうなずく藤堂さん。
「あの野郎、なんのために……」
そうは言ったが、目的は決まっている。砂金が欲しかったんだ。
「集めた荒くれ共を使ってリザードマンを攻撃し、彼らにとって大切な黄金の像……なんと言ったかな、……とにかく像を壊して持ち帰ろうとしたらしいぜ」
聖なるウポンケ様の像か……。確かにあれを売れば大金になる。欲深い山口ならやりそうなことだ。しかし、リザードマン達にとっては崇拝の対象。傷一つ付けても激怒するだろう。それをバラバラにしたのなら……ああ、もう想像するのも怖い。
さっきまでは順風満帆だと、のんびり構えていたのに、今は暴風雨に飲み込まれてしまった。これで沈没しなければ良いが……。
これが人生というものかな。順調なときでも危機管理は必要らしい。
「武装した30人以上の冒険者を引き連れてリザードマンの領地に忍び込み、像を壊して持ち帰ろうとしたが、警備の兵に見つかって戦闘になったそうだ」
藤堂さんの説明は淡々として簡潔だ。乱れた状況になるほど冷静を保つのか。
「殺し合いになり、シンヤードに戻ってきたのは三人だ。それも一人は重傷で動けない」
ああ、大変なことになった。これでリザードマンとの関係は絶望的。修復は不可能だろう。
「それで山口はどこに行ったんですか」
「帰還した冒険者の話では、いつの間にか姿が見えなくなっていたらしい」
転送して逃げたんだ。あの卑怯者が! どこまで無責任で卑劣なんだ。
「あの野郎、ぶん殴ってやる!」
目をつむって転送の用意。
「待てよ、佐藤さん」
藤堂さんが俺の肩を強く握っていた。
「落ち着け。このような状況では冷静に対処しないと問題がこじれてしまうぜ」
藤堂さんの態度は普段と変わらない。心はいつも戦場にあり、ということなのか。
「落ち着いていられませんよ。とにかく、山口に話を聞いてみます」
俺の目を見て藤堂さんは口を結んで、ため息をついた。
「分かった。それじゃ日本に転送しなよ。では、これを麻美に渡してくれ」
差し出されたメモ帳。俺は手に取った。
「何が書いてあるんですか」
「渡せば分かる……。じゃあ、頼んだぜ」
藤堂さんは小さく敬礼した。反射的に俺も右手を顔のそばに挙げる。それは軍隊をイメージさせ、胸に暗雲が忍び寄った。
深呼吸をして目をつむる。
「コウイチ……」
トルティアが何か言いたかったようだが、最後まで聞くことができなかった。
日本の藤堂探偵事務所に転送。
「どうしたの? こんなに早く帰ってくるなんて」
夜遅くまでパソコン作業をしていた麻美さんが立ち上がる。
「山口の住所を教えてください! 調べてもらえましたよね」
俺の迫力に黙り込む麻美さん。
「何があったのよ」
「山口の野郎がリザードマンと戦闘したんですよ。もう何もかもお終いだ」
麻美さんは腕組みをして黙り込む。
「あいつをぶちのめしてやる!」
俺は両手の拳を握る。
「落ち着きなさい。山口さんをリンチしても状況は良くならないわ」
藤堂さんと同じようなことを言っている。俺が間違っているのか……そうかもしれない。でも、あいつに会って何かをしないと気が済まない。
「住所を教えてください……」
麻美さんは切なそうな顔をして机からメモを持ってきた。
受け取って場所を確認する。そんなに遠くではない。やつはアパートに住んでいたのか。
「くれぐれも早まったことをしないでね」
俺は適当にうなずいて外に出ようとしたが、ドアの手前で立ち止まる。そうだ、藤堂さんから頼まれていたんだ。
ポケットから手帳を取り出して麻美さんに手渡す。
「忘れてた。藤堂さんからです」
彼女は手帳を開いて中を確認。口を開けたまま固まってしまった。
「何が書いてあるんですか」
「武器のリストよ。本格的な戦いをするつもりね」
あの戦闘オヤジは、すでに戦争の準備を考えていたのか。混乱した状況に動揺することもなく、先のことを、最悪の事態を冷徹に見据えている。
「費用のことは佐藤さんに頼めと書いてあるけど、……どうするの?」
今はケチケチしている場合ではない。
「ああ、いいですよ。いくらでも出します! 俺の全財産を吐き出しますよ」
そう言い捨てて、1階の倉庫に降りた。




