第50話、順調かな
シンヤードの佐藤商会に戻る。
2階の事務所に行くとトルティアが冷蔵庫からコーラを出してくれた。
家電の電源はバッテリーをインバーターで交流に変換したもの。大きなバッテリーを1階に置いて、ソーラーパネルと小型発電機で充電している。
出来ればエアコンを取り付けたいところだが、それは電源容量をオーバーしてしまうので無理だった。部屋の端では扇風機が回っている。
「ねえ、コウイチ。ヤマグチさんが冒険者事務所を開いたそうよ」
俺の横に立っているトルティアはトレイを胸に抱いている。
「あいつの所に冒険者は集まったのかなあ」
俺はコーラーを飲み込もうとして、少しむせた。
「それなんだけど、集まった冒険者というのは、あまり評判が良くない人達なんだって」
「評判が悪い?」
「どのパーティーからも追い出されて、行き先のない乱暴者だそうよ」
「そうなんだ……」
山口の野郎は何を考えているのか。そんなゴロツキのような人材をそろえて、素人じゃ統率できないだろう。
「普通の倍くらいの報酬で募集していたのよ」
「二倍の賃金で?」
チクショウ、俺から奪った砂金を使っているな。
トルティアの話によると、やつの事務所には30人以上の兵隊が集まっているそうだ。
仕事は、コボルト退治でもやるのだろうか。この付近には凶悪なモンスターは少ないので、本格的な戦いならば大陸の中央に行くしかない。
やつの頭には罪の刻印が組み込まれている。執行猶予が切れるまでの1年間は変なことをしないはずだ。しばらく様子を見ることにしよう。
*
佐藤商会の裏庭。太陽は西に傾き、昼の熱気が涼風に乗って去りゆく頃。
庭に畳2枚程度の広さの大きな板が置かれていた。その上にトルティアが乗り、さらに薬草が詰め込まれたトートバッグが5個乗っている。その他には俺の荷物で、一番重いのはリザードマンから手に入れた砂金や金製品だ。
「では始めましょうか」
黒っぽい服装のカリーナは浮遊魔法の準備が整ったことを告げる。
「ああ、いつも悪いね。じゃあ、やってくれよカリーナ」
俺は板の横に立って転送の用意。
日本にトルティアを持っていくときは、お姫様抱っこかオンブと決まっているのだが、今回は大量の荷物があるので、カリーナの力を借りることにした。1回につき、銀貨2枚のアルバイトだ。
「世の理を示す精霊よ、大地につながれた鎖から解き放つことを願う。精霊の僕、敬虔なる我に力を与えたまえ……」
カリーナは両手を組み、目をつむって魔法の呪文を唱えた。
ゆっくりと板が浮き上がる。
俺は腰のあたりまで上昇した板の端をつかんだ。
これは、俺がトルティアが乗った板を持ち上げているという擬似的な状態。転送ルールは俺が持ち上げることができる物だけ転送できるということなのだが、持ち上げるという定義は曖昧だから、これでも大丈夫。
日本の藤堂探偵事務所を思い浮かべる。
夕暮れの景色は白く濁り、やがて漆黒の夜に変わった。
*
ダーンという音と共に木の板がコンクリートの床に落ちた。
1階の倉庫に転送終了。ちょっと落下の衝撃が大きいので、下にゴムでも取り付けるかな。
「大丈夫? トルティア」
薄暗い朝日がボンヤリと小さな窓から入ってきている。
「ええ、ちょっとビックリしたけど平気よ」
「板を使って転送するのは初めてだったけど、上手くいったよね」
俺は自分の荷物を板から下ろす。トルティアもバッグを持って階段を上っていった。
3階のトルティア薬局に彼女の荷物を運んだ後に、ゴールドなどの自分の荷物を4階に運ぶ。砂金などの高価な物を大きな金庫に入れて、しっかりと鍵をかける。もう山口には手を出させないぞ。
荷物を適当に片付けた後に3階に降りていく。
「荷物の片付けを手伝おうか」
「ああ、ありがとう、コウイチ」
彼女は薬草などを専用の大型冷蔵庫に入れていた。
俺はトートバッグの薬草を仕分けしてトルティアに手渡す。もう手慣れているので、すぐに済んでしまった。
「コーヒーを入れるわね。朝食はどうしようか」
そう言って湯沸かし室に入ろうとする彼女の腕をつかんだ。
「あ、あの、今はさ……二人きりだよね」
言葉の意味を考えたようでトルティアは顔を染めて下を向く。
「あ、あの……」
どのようにいえば良いのか……。左手を彼女の肩に置いた。エアコンは稼働しているが、俺の顔は汗だらけ。
ああ、まどろっこしいな。平気でキスしたり胸とか触ったりする日が来るのだろうか。
「はい、そこまで、そこまで!」
ビックリして振り返ると、ドアの前に麻美さんが立っていてドアをトントンと叩いていた。
「イチャイチャするのは後にしてよ。お客様から予約が入っているわ。季節外れのインフルエンザですって。トルティアちゃん、準備よろしくね」
「あ、はい。分かりました」
トルティアが恥ずかしげに湯沸かし室に逃げ込む。
「まったく、いつの間にかデキちゃっていたのね。あんた、歳の差を考えないの」
腕組みをして俺に冷たい視線。
「いいじゃないですか。俺達の自由でしょ」
歳の差かあ、それはいつも重くのしかかっているんだよなあ。
「援助交際と疑われないようにね」
「余計なお世話ですよ」
周りからは、そう見られてしまうかな。
「それよりも、麻美さん。山口の住所を知っていますか」
「山口さんの? いえ、知らないけど」
「調べてもらえませんか。探偵業なんだから可能ですよね」
「まあ、それはいいけど……でも、どうして?」
俺は山口の不穏な行動を説明した。
「山口さんがモンスター退治の仕事を始めても、別に構わないでしょ」
俺と違って、他の人は全て楽観的だ。それとも俺が心配し過ぎなのか。
「とにかく、お願いします。料金は払いますから」
「ハイハイ、分かった、分かった」
麻美さんは、うんざりしたような表情でドアに向かうが、手前で足を止めた。
「それはそうと、事務所でイチャイチャするのは控えてよね」
そう言い捨てて麻美さんは階段を降りていった。
なんだよ、彼女は男っ気がないから、ひがんでいるのか。……というよりも、お金が恋人か。
麻美さんが作ってくれた簡単なミリタリー飯を食べてから、しばらく待っていると客がやってきた。
杖をついたオジイサンが若い女に付き添われて部屋に入ってきた。
オジイサンの方は半袖のさっぱりとした服だが、女の方は派手な花柄のシャツにミニスカート。けっこうなプロポーションの美人さんだ。このジジイの付き添い看護婦か、それとも愛人か。
「あー、トルティアちゃん。インフルエンザにかかってしまったよ」
ジイサンはマスクをしていて顔が赤い。たぶん、熱もあるのだろう。きっと、予防ワクチンを接種しているのだろうが、感染するときはするものさ。
若い女はジイサンをゆっくりとイスに座らせた。
「それは大変ですね。すぐに治療しましょう」
トルティアはマスクをしてジイサンを診察台に寝かせた。部屋は空間除菌しているが、念のために俺もマスクをして彼女のアシスタントだ。
「ヒーリングをかけます」
そう言うと、トルティアは両手をジイサンの上にかざす。
「あー、トルティアちゃん。なんかひんやりして気持ち良くなってきたよ」
さっきまでの、しかめ面がなごんでいる。
付き添いの女が、ほうっと感嘆の息を吐いた。トルティアの治療は始めて見るのか。
「では、薬を調合してきますね」
異世界薬剤師の彼女が調合室に入ると、部屋の中には三人だけ。ちょっと気まずい。
「インフルエンザは大変ですよね」
適当なことを言って間を持たす。
「ああ、ワシの友人はインフルであの世に逝っちまったからなあ。病気になるたびに怖くて仕方がない」
そうなんだ。年を取るというのは怖いことなんだな。
「そうだ……ワシの知り合いでガンになっている者がいるんだが、なんとかならんかなあ」
「それは……お気の毒ですが、重い病気は無理なんですよね」
異世界の魔法治療にも限界はある。
「そうなのか」
ジイサンは口を結ぶ。老人になると病気にかかっている知り合いが増えるようだ。
「痛みを和らげることは出来るそうですが……」
そうか、と言って小さくうなずくジイサン。
安楽死させる薬も調合できるということだが、それは知らせない方がトルティア薬局のためだろう。
「あのう……。あなたも薬剤師なんですか」
いきなり女から尋ねられた。赤い唇。ちょっと化粧が濃い。美人だが30歳くらいかな。
「あ、いや、俺は彼女の助手です」
「いつも薬局でお仕事を?」
「あ、いや、普段は2階の探偵事務所に勤めています」
「そうなんですか……」
彼女は俺に興味があるのか。こんなジイサンよりはマシということかな。年齢からいえば俺と合っているのだが。
あー、ダメだダメだ。俺はトルティア一筋なんだよ。
「お待たせしました」
トルティアが液体の入ったコップを持ってきた。ガラスのコップには緑色の液体が入っていて、発光している粒が蛍のように漂っている。
原色の緑色に、光る虫のような物。あのさあ、トルティア……。それって飲み薬だよなあ。
「さあ、飲んでください。すぐに治りますよ」
にこやかに笑うトルティア。
シワだらけのジイサンの顔がゆがむ。付き添いの女は口を押さえた。
「これをワシが飲むのかあ……。この光る虫がワシの胃の中で泳ぎ回るのか」
「それはエナジー物質です。虫じゃないですよ。菌の増殖を抑えて免疫力を飛躍的に高めてくれるんです」
さも当然というように説明するトルティア。
「この薬で皆さんは完治しているんですよ」
フォローする俺は、爽やかな営業スマイルだ。その薬を見るのは初めてだが、とにかく、飲ませてしまえばいいさ。死にはしないだろう。
そうか、と言って目をつむり、グイグイと飲み込んだ。
あー、飲んじまったよ、このジイサン……。心の中で無責任につぶやく。
「マズイー!」
コップをテーブルに叩きつけるように置いて、いつもの決めパターン。今回はちょっと激しいようだ。
しばらく安静にしていると容態は良くなった。
「ああ、すっかり治ったようだ」
ベッドから降りて大きな背伸びをする。もう杖さえも必要が無い。
「ありがとうな、トルティアちゃん」
そう言うと、懐の財布から札束を取り出してトルティアに渡す。
付き添いの女は大きな目をさらに開いてお金を凝視する。
そうだよな……1回の診察料が100万円は高すぎるよな。でも異世界の医療技術だし、客は皆、大金を持っているので構わないさ。
二人が出て行くとき、女は俺の方を向いて小さく頭を下げた。
さて、これから少し眠ることにするか。
異世界転送を繰り返していると、時間の感覚が曖昧になる。日本とは半日ほど時間がずれているからだ。
もう今日の予約はないので、午後はトルティアをデートに誘うことにしよう。
窓から見える昼前の町並みは光り輝いて、未来が良いものだと約束しているようだった。




