第30話、お金というもの
ビルの3階にオープンする、トルティア薬局のレイアウト工事は着々と進んでいた。
質屋のジイサンが紹介してくれたリフォーム業者は手際よく壁紙の張り替えをやっている。内装工事が終われば、購入しておいた事務机などを運び込むだけ。
「なかなか良い店じゃないの」
麻美さんが工事の状況確認のために中を見て回っていた。
入り口の手前には待合室があり、その奥に八畳ほどの施術室がある。
「こっちがトルティアの部屋になるんですね」
俺が奥の部屋を覗くと、ベッドや家具がすでに運び込まれていた。風呂や台所、トイレなどは更新工事が終わっている。
ここでトルティアが寝起きするのか。その姿を想像すると感慨深いものがある。
「何を見てんのよ」
麻美さんが後ろに立っていた。
「あ、いや、別に……」
俺達は作業をやっているオジサンに挨拶してから部屋を出た。
リフォーム業者は、工事や家具の手配など、必要なことは全てやってくれるので俺は任せきりで大丈夫だった。費用は600万円ほどかかったが、それだけの価値はある仕事ぶりだ。
麻美さんが昼食を作ってくれたので、2階の事務所で食べることにした。
テーブルの上に乗っているのは、いつものミリタリー飯。この事務所にいると、自衛隊のキャンプに参加しているよう。
「あの、麻美さんて彼氏はいないんですか」
缶詰の豆ご飯を食べながら聞いてみた。
「まあ……いないわね」
レトルトの野菜スープを食べながら麻美さんがボソリと答えた。
「麻美さんならモテるような気がしますけど……」
けっこう美人だし、スタイルも良い。それで25歳の女性なら男共が寄ってくるんじゃないか。
「あら、佐藤さん。私に気があるのかしら」
上目づかいで俺を見る。
「いやいやいや、そんなことはないですよ」
俺は顔の前でブンブンと手を振る。
「お金をたくさん貢いでくれたら付き合ってあげてもいいわよ」
ニヤリと笑う麻美さん。今日も胸が開いているブラウスだ。
そうなんだよな。この人はそういった人なんだよ。話さなければ、けっこう良い女なんだけどなあ……この守銭奴が。
「健司さんとか、お似合いだと思うんですけど」
「かーっ、あの戦闘凶? 見た目は良いけれど、中身が異常だわ。それにいつもスカンピンじゃないの、問題外だわ」
思い切り顔をゆがめる彼女。
まあ、そうだよな。この探偵事務所の人達は癖がありすぎる。
「でも、どうして麻美さんは、そんなにお金にこだわるんですか」
彼女は目を細めて俺を睨む。
「そんなの当たり前じゃないの! お金は大切だからに決まっているでしょ」
なんで、そんな分かりきったことを聞くんだ、という表情。
「お金があるから選択肢が増える。お金がなければ、やりたいこともできないし、問題が起こっても解決できないわ。この世の障害の9割はお金で解決できるものなのよ」
声に力がこもっている。お金に対する執着が半端ない。
「そういったもんですか」
ため息をつく俺。
「佐藤さんだって、お金を持っているから、あんたの存在価値があるんでしょ? マネーをたくさん持っているからトルティア薬局の開店もサポートできるし、藤堂所長もあんたを頼りする。お金を持っていなければ誰も佐藤さんなんか相手にしないわよ」
うぎゅー! 痛い所を突かれたあ。チクショウ、悔しいが本当のことだ。
もし、俺が一文無しだったら何もできずに部屋に引きこもってゲームをやるしか能の無い人間に落ちぶれる。異世界転送という能力を使ってお金儲けをしているから今の立場があるんだよなあ。
……でも、トルティアだけは違うはずだ。だってあんなにも親切にしたし、お金も融通してあげた。俺に好意を持っている……はずだと思う……。
「人間はお金じゃないよと、のたまうチョー大バカ野郎がいるけれど、そんなのは苦労知らずのボンボンやインサイドボックスのおジョーちゃんだけよ」
徐々に彼女の言葉に力がこもってくる。はあ、と力なく答えるしかない俺。麻美さんは、どのような人生を歩んできたのやら。
「あのう……、過去に何かあったんですか?」
俺が聞くと彼女は大きく深呼吸した。つい、揺れる胸に目が行く。
「うちの実家は貧乏でね。大学に入るために奨学金をもらったのよ」
俺はハイハイとうなずく。
「それで、ある日、預金通帳を見たら、残額がほとんど無かったの。親に使い込まれたのよ」
少しの沈黙の後、ああそうですか、と答えるしかない。
「麻美さんの両親って実の親なんですよね」
「そうよ、自分の親に大切な学費を盗られちゃったのよお!」
悔しそうにテーブルを叩く。皿の野菜スープに波紋が起こった。
「あのう……それから、どうしたんですか」
彼女は口を結んで、フンと鼻から息を吐いた。
「仕方なく大学は中退したわよ……。私の人生設計が狂ってしまったわ。つまり、お金がなければ、希望する職業にも就けないし夢も叶わない。こんな不景気な探偵事務所で経理をやる羽目になる訳よ……」
それが社会というものか……。そうかもしれないなあ。お金が無ければ人生も曲がってしまうのか。でも、世の中にはそういった人がたくさんいるのだろう。皆がお金がなくて、求める人生を送ることができないでいる。だから、人はマネーを執拗に求めるのだ。
食事を終えて、残飯を外に持っていく。
ビルの裏には大きな箱が置いてあって、中には薄緑色のブヨブヨした生物がうごめいている。
それはスライムだった。
俺はバケツに入った食べ残しを箱の中に投げ入れる。スライムはピョンピョンと跳ねて残飯に取り付いた。
スライムは雑食性で、人間が食べる物なら何でも処理してくれる。プラスチックや金属は無理だが、魚の骨などはゼリー状の体に取り込んで消化してくれるのだ。紙くずなどもオーケーだ。
異世界から持ってきたもので、それはゴミを激減してくれるから、けっこう重宝していた。
エサに取り付いている吸血スライムを見ながら俺は空を見上げた。ビルに挟まれた直線的な青空。
俺は何をしたいのだろうか。どういった人生を歩めば納得した気になるのだろう。
これから俺はどうなるのだろう。自分は、どうしたいのだろう。
麻美さんのせいで、人生などというものを考えてしまった。




