第23話、探偵の仕事
休日のビル街。閑散とした路地には夏を感じさせる日光が差し込んでいた。
俺は健司さんと一緒に車の中で路地に立っている中年オヤジを観察。
その頭が薄くなっている大柄なオヤジは、しきりに腕時計を気にしてキョロキョロしている。
俺達はオヤジを尾行し、車でつけ回していた。
藤堂探偵事務所は基本的に浮気調査はやらないが、慢性的な赤字なので意に沿わないことも受託する。藤堂所長は俺の資金をあてにしていたようだが、そこまで面倒を見る義理はない。
俺は正社員の名前だけあれば良かったのだが、社員として在籍しているのなら働けと所長に言われたので、仕方なく指示に従っていた。
尾行というものは思っていたよりも大変で、体力と気力を消耗する。
一人が歩いてターゲットの後を追い、一人が車に乗ってバックアップする。じっと待っていたかと思えば、いきなり走って見失わないようにする。忍耐などの精神力が勝負の世界だった。これで確実に痩せることができるだろう。
車を道路の端に止め、向こうのオヤジを見張る。
健司さんは小さな単眼鏡でターゲットを注視していた。その望遠鏡はドラマの『24』でジャックバウアーが使っていたやつ。
使っている車は俺が買ったばかりの軽自動車。都会の町中を走り回るには小さな車体の方が良い。
「来たぞ」
健司さんの言葉に、俺も双眼鏡でオヤジを見た。
可愛い女の子が小走りでオヤジに近寄ってくる。オヤジは笑みを浮かべて彼女の手を取り、二人は腕を組んで場末のラブホテルに入ろうとした。
俺はあらかじめ指示されていたとおり、望遠レンズが付いたバズーカ砲のようなデジタルカメラで浮気現場の写真を撮りまくる。
車のドアが開いた音がしたと思ったら、健司さんが飛び出して不倫オヤジの元に駆けて行った。
あれ? 今日は証拠写真を撮影するだけじゃなかったのか。
俺も車から降りて小走りで向かう。
「ヘイ! おやっさん。浮気とかはいけないよ」
健司さんがオヤジの肩を握ってニヤリと笑った。
「なんだ! お前は」
オヤジが引きつった顔で睨む。
そりゃ驚くだろうな。いきなり金髪の生意気そうなニイチャンが走ってきて、自分の浮気について注意したのだから。
「あなたの奥さんから頼まれた興信所の者でーす」
健司さんが相手をバカにするように言った。まあ探偵事務所なんだけど。
「うちの家内が……」
いきなりオヤジの顔がゆがむ。見るからにふてぶてしそうな男だが、そんなに奥さんが怖いのだろうか。
「はーい。関取のようにブクブク太って高そうな着物を着て高価な指輪をたくさんはめているケチくさい奥さんからの依頼ですよー」
勝ち誇ったような健司さんの顔。
隣で泣きそうな顔をしている少女は、けっこう若くて可愛い。こんな女の子と浮気しているのか。けしからんな全く、この中年オヤジは……。まあ、俺も34歳だから中年と呼ばれても仕方がない歳なんだけど。
「頼む! 見逃してくれ。お金は払うから」
そう言ってオヤジが両手を合わせて頭を下げた。
「そうですか。まあ俺も人の子ですからねえ……」
腕組みをして、オヤジを見下したような視線の健司さん。
おや? 健司さんはどうするつもりなのか。
「10万払う。それでどうだ」
「それだけ? 子供の小遣いじゃないんだから。50万はもらわないと」
ニヤつきながら健司さんが言った。
お金を取るのかよ! いいのかそれで。
「そ、そんなに払えないぞ。20万でどうかな」
愛想笑いのオヤジ。
「彼女は未成年でしたよね。条例で捕まりますよ」
オヤジの顔がこわばる。目つきが鋭くなった。
はったりだよな健司さんの……。こちらは、そこまで調査していない。
「それをよこせ!」
俺に飛びついてきた。カメラを渡すまいと必死にオヤジの手を振りほどく。
「ムダですよ、データはクラウドに送りましたから。俺の指示で奥さんに送信されることになってまーす」
そう言って健司さんがオヤジを引き剥がす。それも彼の嘘だ。うちの探偵事務所はそんなにハイテクではない。
オヤジの動きが止まり、あきらめたようにガックリと肩を落とした。
それから俺達は、少女を帰してからオヤジを銀行のATMに連れて行き、クレジットカードのキャッシング枠で50万円を借りさせた。
お金を受け取ってホンダのN-BOXに乗り込む。
今回の仕事は終了。俺達は車で探偵事務所に向かった。
*
事務所に着くと、いかめしい表情の藤堂所長が書類と格闘していた。
モンスターとの戦闘は得意だが、経理関連の数字が相手では苦戦しているよう。
「任務終了! 帰還しました」
健司さんが窓際の所長机の前に立って敬礼した。後ろに立っていた俺も、つられて右手を挙げそうになる。本当にここは自衛隊だよな。
「うむ、ご苦労」
いつものように貫禄のある50歳代の所長。
「今回の戦利品は現金が50万円であります」
戦利品?
「そうか。では経理担当に渡すように」
はっ、と言って内ポケットの50万円を麻美さんに差し出す。
あれえ……いいのかよ、所長の公認?
派手な服を着ている彼女はニッコリと笑った。本当にお金が好きなんだなあ。
俺は所長の大きな机の前に進む。
「あのう……所長」
聞きにくいことなんだが。
「なんだ」
所長が顔を上げる。
「今回の件って……言わばカツアゲですよね」
「それがどうしたんだ」
俺は二の句が継げない。所長は平然としている。
「別に問題はないだろう。浮気をしていないと報告すれば、奥さんも安心するし旦那さんも助かる。彼の社会的な立場も危うくなることはない」
淡々と説明する所長。
「……そんなもんですか」
「ああ、そんなものだ。それで夫婦円満、家庭団らんで問題はない。それに当社でも浮気の調査料が入るし、50万の特別収入もある」
「はあ……」
俺の価値観がずれているのだろうか。
「第一、旦那が浮気がバレてもバレなくても日本の国防に影響はない。佐藤さんは一体、何を心配しているんだ」
机の上で手を組み、藤堂さんは不思議そうな顔をしている。
ああ、そうなんだ。……この人の考え方は、戦闘が全てなんだ。戦うことを基準として生きているんだなあ。
これで良いのだろうか。俺は先行きが不安になった。




