第22話、一段落
新しい店の準備をトルティアと長沢に任せて日本に帰ることにした。
内装工事の費用がいるので、もう一つのクレジットストーンを作り、500万リラをチャージして長沢に渡す。
「さよなら、サトウさん。またすぐに来るんでしょ。待っていますね」
そう言って笑顔で手を振るトルティア。
俺は藤堂さんを背負っているので、手を振り返すことができない。
重い藤堂さんのために引きつった笑顔で別れを告げた。
*
藤堂探偵事務所に到着。
卓上のデジタル時計を見ると朝の6時過ぎだった。ブラインドの隙間から朝の鈍い明かりが入ってきている。一つの窓に段ボールが貼ってあった。先日、コボルトに割られた場所だ。
薄暗い事務所を見回すと健司さんがソファで寝ていた。ずっと泊まり込んでいたのか。
「ほら、起きろ」
藤堂さんが乱暴に体を揺すると、健司さんが眠そうに上半身を起こす。そんなに無理に起こさなくても……。戦闘凶の健司さんがブチ切れるのではないか。
「あ、隊長。帰ってきたんですか」
あれれ、健司さんは怒るどころか素直な生徒のようにおとなしい。それだけ藤堂さんにカリスマ性があるのだろう。
「俺が留守の間、異常はないか?」
命令口調の藤堂さん。
「はい、何も異常はありません」
直立状態で健司さんが従順に答える。
うむ、と言って藤堂さんは所長の机に座る。麻美さんの通達メモと思われる紙に目を通していた。
「あの、隊長。いつ自分は異世界に連れて行ってもらえるのですか」
メモから視線を外して、直立している健司さんをゆっくりと見た。いつもながら貫禄のあるオヤジだなあ。
「任務に必要があれば出動命令を下す。それまでは待機だ」
ああ、自衛隊だよー。ここは自衛隊の事務所のようだ。
健司さんが残念そうにソファに沈む。
藤堂さんが健司さんに朝食を作るように命令した。
あの乱暴者の健司さんが、台所に行って何やら作っている。自衛隊では上からの命令が絶対なんだな。
しばらくして応接用のテーブルに並んだのは、缶詰の豆ご飯とレトルトの野菜スープのような物だった。これがミリタリーご飯、つまりミリメシという物か。ご飯の缶詰があるなんて今まで知らなかった。
食事の後、藤堂さんがビルの4階を案内してくれた。
ビルのオーナーは、建物の管理を藤堂さんに任せているらしい。
4階の部屋に入ると事務机が並んでいる。前の人は金融業を営んでいたが、法定金利が定まったせいで倒産したという。
広い事務所に台所や仮眠室、それにシャワー付の風呂も付いている。今のアパートより4倍以上広いところだ。
「気に入りましたよ」
どこに何を置くか。俺は部屋のレイアウトを思い描く。
「じゃあ、オーナーに連絡しておくから、後で行って契約してきてくれ。俺が保証人になってやる」
そんなに簡単に借りることができるのか。まあテナントがいなければ家賃収入が入らないからな。
「分かりました。それでオーナーさんの住所は?」
「佐藤さんも知っているだろう。あの質屋のジイサンだよ」
ああ、そういうことか。それでジイサンと知り合いだったのか。
事務所を出てから書店で立ち読みしたり車の展示場を見たりしてから、COCOで玉子カレーを食べて帰宅した。
*
それからは、しばらく日本での活動となった。トルティアに会いたいが、こちらでの仕事もやっておいた方が後々楽になるはずだ。
まずは質屋に行って部屋を借りる手続きをした。
藤堂さんから連絡がいっていたので、手続きは簡単だった。礼金なし、敷金が家賃の2ヶ月分。家賃は10万円だとジイサンが言いやがったので、それならば借りないよと俺がごねたら5万円に下げてくれた。
あんな寂れたビルに10万円も払えるか。
また砂金を売って現金化し、銀を20キロ買った。まだ砂金は70キロ以上あるから資金は潤沢だ。
車も買った。ビルの1階の倉庫は使っていないから、車庫として利用できる。
自動車の運転は10年以上もやっていないので、運転しやすいホンダのN-BOXをオプション満載のフル装備で購入。軽自動車でも4WDで荷物をたくさん積むことができる。これで仕事の効率も良くなるはずだ。
それから、俺は藤堂探偵事務所の正社員になった。
お金には不自由していないから、遊んで暮らしても良いのだが、無職だと世間体が悪い。
ブラック企業を退職してから派遣やアルバイトを渡り歩いたので、正社員になったのは久しぶりだ。しかし、もしかしたら探偵の仕事もかなりブラックなのではないかと心配している。
給料や社会保険は払ってくれるが、それは俺が全て負担することになった。つまり俺がお金を払って雇ってもらうというスタイルだ。変な待遇だが、藤堂探偵事務所は赤字なので余分な人員を入れる余裕はないという。
まあ一応、社会的な立場を得ることができたのだから文句は言わないことにしよう。
また引っ越しをしたと母に連絡したら、心配していた。探偵事務所に入社したと言ったら、さらに不安そうだった。
母さんに本当のことを話したらどんな顔をするだろう。
悪魔によって異世界転送の能力を与えられ、異世界に行ってから奴隷として売り飛ばされそうになったり砂金で大もうけしたり。さらにコボルトというモンスターに槍を突き刺したのだから、母さんに事実を告げたら驚いてひっくり返るだろうな。
部屋に閉じこもってゲームに現実逃避していた頃が遠い昔のようだ。
そのときは何も考えていなかった。
その、何も考えない、考えることができないという状態が一番悪いのだろう。ブラック企業に務めていたときも視野狭窄を起こして目先の仕事しか見ることができなかった。その狭い世界が自分の全てで他の広い世界を見ることをしなかったのだ。
この広い世界にはいろんな場所があり、たくさんの生き方がある。自分にとって良い生活とは、人生とは何なのかと、今の場所から飛び出す勇気も必要なのだろう。
とにかく、準備は完了した。
後は自分が納得するまで稼ぎまくるだけ。
俺の冒険……じゃなかった。俺の商売はこれからだー!




