第15話、御劔(みつるぎ)登場
見慣れた事務所の床が目に入る。
俺は四つんばいで荒い息。最近、転送したときはワンコスタイルだなあ。まあ、とにかく無事、日本に帰ってきたのだ。
顔を上げると、派手な服を着た麻美さんが立っている。
「あー、死ぬかと思いましたよ」
ゆっくりと立ち上がる。昼前でも薄暗い探偵事務所。彼女は目を見開いて引きつった表情をしている。
そんなに驚かなくても……。転送して来たのは初めてじゃないんだから。
「麻美さん、今回は大変でしたよ。俺はスポンサーなのに戦闘にかり出されちゃって。だけど、あのコボルトのケツに槍を突き刺してやりましたよ。アハハハハ……」
彼女は返事をせずに立ちすくんでいる。
「麻美さん……?」
花柄のブラウスを着ている彼女は、泣きそうな顔で腕を上げ、俺の背後を指さした。
嫌な予感。ゆっくりと振り返る。
「グルルルルー」
そこには俺の身長を優に超えるコボルトが立っていた。そいつは何が起こったのかという感じで事務所を見回している。
「うぎゃー!」
「きゃー!」
二人は叫び声を上げて逃げ出す。
麻美さんがドアに向かって駆け出したので俺も続いた。背後の事務所から暴れているような破壊音が聞こえてくる。コボルトも驚いているのか。
急いで階段を下りて外に出た。
閑散とした商店街。昼前の日差しが降り注いでいる通りには、まばらに人が歩いている。
ガシャーン。
窓ガラスが割れる音がして、破片とともにコボルトが落ちてきた。
もさっと立っている野獣は、訳が分からないようでフラフラと商店街を見ている。
ヤバい! コボルトが町で暴れたら収集がつかない。死人が出たらどうしよう。これって俺の責任になるのかなあ。逮捕されて、何とか罪で刑務所に行くことになるのか……。
「どうにかしてよおー。あんたが連れてきたんでしょ」
麻美さんが俺の背中に隠れる。
そう言われても、俺は藤堂さんじゃないんだから……。か弱いパンピーにモンスター退治とか無理だし。
体がすくんで動けない。もうすぐ腰が抜けて座り込むぞ、俺。
コボルトが爛々とした目で俺を睨む。死ぬのか……今日。34歳で……。
そのとき、排気音がして1台のバイクがやってきた。
モンスターの前に停車して、ヘルメットを取る。
「何だよ、これ……。着ぐるみにしては良く出来ているなあ」
金髪に染めている若い男だった。俺より少し背が高く引き締まった体。『USA』と書かれたジャンパーを着ている。藤堂さんと似た、ふてぶてしい顔をしている。
「健司! グッドタイミング。その獣をやっつけて」
麻美さんが背中に隠れたまま、コボルトを指さしている。生身の人間に、そんな無茶振り言って……何を考えているんだよ。
「グルルルルー。グォー!」
コボルトが健司に襲いかかった。
「何だあー、しょうがねえなあ」
オフロードバイクのアクセルをふかして後輪をスリップさせる。そして前輪を軸にバイクを回転させ、コボルトの足をすくった。
ドサッという音を立てて倒れるコボルト。
「すげえ」
こんな状況で迅速かつ冷静に対応できるとは、どういう人なんだ。
健司さんはバイクから離れて、腰のサックから棒のようなものを抜いた。強く振ってシャキーンと伸ばす。伸縮型の警棒だろうか。
コボルトがユルユルと立ち上がる。その目は健司を捉えて放さない。
「グォー!」
健司に迫り、右手で張り倒そうとした。
彼はバックステップで軽くかわし、後頭部に強烈な打撃。あー、鉄の警棒で叩かれたら痛いだろうな。
苦しそうに呻いてコボルトがよろめく。
彼は不敵な笑いを浮かべ、間を入れずに潜り込んで、すねに一撃。
「グギュー!」
足をやられたコボルトは足を押さえて体を丸めた。健司さんの動きは神がかっているよう。まるで踊るようにクルリと回って、アゴに強烈なヒットをぶち当てる。
コボルトの目が白く反転し、やがて音を立ててアスファルトの道路に崩れ落ちた。
俺と麻美さんが安堵のため息をつく。
「良くやったわ健司。ありがとね」
麻美さんが軽く礼を言っている。健司さんの戦闘能力をよく知っていたんだな。
「で、これは何なんだよ」
しゃがんだ彼は、警棒を道路に突き当てて短く収納した。
「どう説明したものか、モンスターなんですけど……」
説明するのが大変だ。あたりを見ると数人が困惑した表情でコボルトを眺めている。
やべーなー、どうしよう。
「それよりも、この怪物を何とかしましょう」
麻美さんはそう言って、建物の中に入っていく。少し待つと、1階のシャッターが開いた。そこは確か、使っていない倉庫のはず。
「早くこっちに隠して」
倉庫の前で手招きする麻美さん。
俺と健司さんはコボルトの腕をつかんで倉庫に引きずる。
「おめーも手伝えよ」
彼が麻美さんに言うと、彼女は渋々、両耳をつかんで引っ張り出した。タイトスカートがめくれ上がって、白い太ももがあらわになる。
「映画の撮影でーす。これは映画の撮影なんですよー!」
見物している住民に向かって俺が大声で取り繕う。
息を切らし、何とか倉庫に入れてシャッターを閉めた。
「こいつ、まだ生きているぜ」
見るとピクピクけいれんしている。
麻美さんが小さな箱のようなものを持ってコボルの首筋に押し当てた。
バチッと火花が飛んでコボルトの体がビクリとのけぞる。
「これで、しばらくは動けないわ」
スタンガンかあ……初めて見たな。いつも彼女は小型高電圧発生装置を持ち歩いているのだろうか。それにしても使い慣れているような。
目を覚ますと困るので、隅に置いてあったロープでグルグル巻きにした。
「で、こいつはどうするよ」
コツンと頭を蹴る彼。そうだよな、コボルトをどうすれば良いのだろうか。この事務所で飼うわけにもいかないだろうし。
「あの人に引き取って貰いましょう。あのドクターなら喜んで持って行くはずよ」
麻美さんはスマートフォンを取り出し、指でタップする。
「あ、後藤さん。ちょっと面白い生物を手に入れたんだけど。見に来るでしょ?」
後藤という名前を聞いて健司さんが顔をしかめている。
「うん、じゃあ、そういうことで。倉庫で待ってるから。うん、うん、よろしくね」
彼女は電話を切った。
「もうすぐドクターが来るから、彼に引き渡しましょ」
厄介払いができてせいせいするわ、というようにスッキリとした顔の麻美さん。
「ケッ、あいつが来るのかよ。あのマッドドクターが」
毒づく健司さん。
「ドクターって? どんな人なんですか」
俺が聞くと彼は首を振った。
「解剖好きの変態生物学者さ。博士号を持っているんだが、頭のネジが飛んでいるイカレタ野郎だ……平気で人体実験をやりかねない男さ」
この探偵事務所には、変わった人間が集まっているんだなあ。類は友を呼ぶというやつかな。
暗い倉庫の中、俺はボーッとしてコボルトを眺めていた。