第11話、ニートは交渉が下手なんです
俺はポケットから名刺を出してテーブルに置いた。
それは店主から貰った物。これで信用してくれるかも。
「店主のお爺さんからの紹介なんですけど」
男は名刺を手に取ってしげしげと見た。
「あのジジイかあ……。歳のせいでボケたんじゃないのか」
ピッと名刺を指で飛ばす。それは俺の胸に当たり、膝の上に落ちた。
「本当なんですよ。異世界で村がモンスターに襲われたんです。長老の孫娘が病気のお爺さんに代わって戦うことになるんです。お願いします、話を聞いてください」
頭を下げて頼む。部屋の隅にいた女がクスッと笑った。迷彩服の男も顔をゆがめて苦笑いだ。
「さっさと出て行けや、この中二病のオッサンよお。家にこもってゲームでもやっていろ」
そう言い捨てて彼は、筋肉質な体の割にしなやかな動作で席を立ち、俺に背を向けて窓際の机に向かっていく。
なんだよ、話くらいは聞いてくれてもいいじゃないか。ああ、もっと作戦を練ってから来れば良かった。引きこもりオッサンは会話とか交渉の経験が無いからなあ。
どうしたら信じてもらえるのか。
薄暗くてムダに広い事務所。壁際の机に座っている女は、もう帰ったほうがいいよ、と言いいたそうな顔で俺を見ている。
出直すか……、あきらめかけたとき、ハッとひらめいた。そうだ、あれを持ってきているんだった。
バッグからガラスビンを取り出す。赤い回復薬が入っている例のポーション。俺は立ち上がり左手を腰に当ててビンを高く掲げた。自信に満ちたそれは、初代ウルトラマンが変身するポーズを彷彿とさせるだろう。
「皆さん、俺を見ていてください!」
ガラスビンの蓋を取り、中の液体をグイッと飲んだ。
「カハーッ」
喉と胃が熱くなる。やったことはないが、ウォッカを一気飲みしたらこんな感じだろうか。思考があやふやになり体がだるくなって立っていることができない。腰が抜けてソファに横たわった。
「……おい、しっかりしろよ……」
迷彩服の男が声をかけてきたが、ノイズ混じりで良く聞こえない。呼吸が乱れ胸が苦しくなり、体中が熱くなってきた。
しばらくすると意識がはっきりしてくる。気がつくと俺の横に男が立っていた。俺の顔をのぞき込んでいる女と迷彩服の男。彼らの表情は驚きに満ちている。
思い切り運動した後のけだるさに似た倦怠感。ゆっくりを体を起こす。
「お前はいったい……」
男が動揺している。へーんだ、ざまあ見ろってんだ。
「これで信じてもらえましたかねえ」
立ち上がると俺の顔に固定していた視線も一斉に上昇する。34歳のオヤジの顔が高校生くらいに若返っているはずだ。この現実を受け入れることができるかなあ。
「どういった手品なんだよ……」
「これは異世界で手に入れた回復薬。普通の人が飲むと10年以上も体が若くなるんですよ」
証拠を見せたんだから、この非日常を受け入れるしかないだろう。この戦闘オヤジでも。
「本当のことだったのか……」
俺は仙人のようにおごそかに、そして、ゆっくりとうなずいた。
「さっき言ったことは全て真実です。平和な村が凶悪なコボルトに襲われているんですよ。お願いします、力を貸してください」
まだフラついている腰を直角に曲げて頭を下げる。
「分かった、分かった……。まあ面白そうじゃないか。依頼を受けることにしよう」
「ありがとうございます!」
良かったあ。上体を起こして男を見る。恋人を見るような熱い目をしているだろう。
「だが、ちょっと待てよ」
右手を俺に向けて制する。
「こちらも商売だからタダというわけにはいかねえぜ……」
まあ、そうか。命がけの仕事だからなあ。
「それで、いかほどくらいでしょうか」
男が腕組みをする。
「そうだなあ、実費を除いて二,三百万円くらいかなあ……」
こちらの顔色を見て値踏みしているよう。それくらいなら安いものだ。バッグから300万円を取り出し、放り出すようにテーブルに置いた。
「これで良いですね」
あっけにとられている3人。お金の力は偉大だよね。
「わあー、すごーい」
女が勝手に札束を持って目を輝かせている。なんだよ、この女。
「依頼は受領した。ただ、その前に頼みたいことがあるんだがな……」
男が苦笑いを浮かべている。
「何でしょう」
身構える俺。戦いに参加しろと言われても無理なんだけど。
「ズボンを上げろよ。兄ちゃんのパンツを見て興奮するのは長沢だけだ」
あっと言って下を見る。腰から下はパンツ一丁だった。そうか、ウェストが細くなってジーンズがずり落ちていたのだが、説得に集中していて気がつかなかった。
横を見ると、迷彩服の男が顔を紅潮させて俺の下半身を見ている。こいつが長沢か。どこにでもいるよなあ、ホモ野郎は。
公園で襲われた記憶がプレイバック。急いでズボンを上げる。そして、しっかりとベルトを締めた。
「まず、自己紹介しておくぜ」
そう言って男は自分を親指で示す。
「俺は藤堂尊、この事務所の所長をしている。以前は自衛隊に入っていた。レンジャーを持っているから根性には自信がある。格闘戦なら得意だ」
必要なことを箇条書き的に説明している。本当に無骨で頼りになりそう。
「あたしは長沢薫よー。自衛隊では隊長の部下だったのよー。よろしくねえ、おにいちゃん」
そう言ってウィンクしてきた太っている男。俺よりデブのオッサンに「おにいちゃん」と呼ばれても全くうれしくない。腹がデカくて迷彩服のボタンが飛びそうだ。藤堂さんは隊長をやっていたのか。
「私は竹下麻美。経理や事務全般を処理しているわ。この人達は金銭感覚が子供みたいだから苦労しているのよ」
麻美は身を乗り出して腕組みをした。胸に谷間を作って俺に強調している。
「お金持ちが大好きだから、私に貢いでくれたら優しくしてあげるわ」
札束をヒラヒラさせて目を潤ませている。何なんだよ、この事務所は。本当に大丈夫のなのかなあ。しかし、他に頼るところを知らない。
「よろしくお願いします」
そう言って、俺も自己紹介した。




