気がついたら元どおり
夕食があらかた無くなったころにフードがボソリと言った。
「……今日は森に無人の馬車があった。あと血とオスの匂い……」
それに対してゴンが頷く。
「最近多いらしいよそういうの、盗賊かな?」
「……分からない、けど匂いだけで姿が見えなかったから人間じゃないかもしれない」
「人間じゃないのかぁ、だったら僕はどうでもいいや」
途端に興味を無くすゴン。
ゴンは撃たれて死なずに済んだ狐ではあるが撃たれたことは根に持っている。
ゴンが相手にするのは人間だけだ。
復讐とは言えない、報復でもない、やられたからやり返してもいい。
そういう単純な理屈である。
「オスの匂いってどういうことかしら?」
メアが尋ねた。
「……そんなの精の匂いに決まってる。あの匂いは獣でも人間でも一緒」
「あっ……あー……知ってましたよ?一応確認をと思って……!」
メアの顔は真っ赤である。
擦れてしまったとはいえ根は純粋培養のお嬢様だ。
たとえ表面がいかに変わっても芯の部分が変わることはない。
人間でも、出来損ないのお姫様でも
「次はもう少し先でもいいんじゃないですか?この前もなんだかっていうゴロツキを潰したばかりじゃないですか」
オツルはアッシュとともに食器を洗いつつ声を飛ばす。
実際、八つ当たりは最近したばかりであるし抑えきれないほどのストレスを抱えている者もいない。
今動く必要性はあまりなかった。
「他の人たちがどうしてもって言うならやぶさかじゃないんですけど、そうでもなさそうですし。今回のことは国に任せて放っておけばいいじゃないですか」
彼女たちがいる町である白は国の首都である王都とほど近い場所にある。故に治安は良い方であり問題が起これば出兵して解決することも少なくない。
「ん〜それはそうなんだけど〜、こんかいのは〜あんまりほうっておくのはよくないかもしれないよ〜?」
スレプトのこの発言で場は一気に緊張感を持った。スレプトが、眠り姫が意見したということはその事態はほぼ確定で起こると思って良い。
食事後に眠らずに話を聞いていただけでも十分珍しいのだ。
加えて彼女の眠りを妨げるものを嗅ぎ分ける能力は異常だ。今まで潰してきたものの中には後になってから潰す意味が分かったことも多い。
「(それはどういうこと?)」
「ん〜とね〜。あいだは分からないけど結果としては私達はこの店から追い出されて〜国から追われることになるかな〜?」
「ぶっ!?一体どんな事さおごったらそんなことになるのかわがんねえなあ」
「ごめんねえ〜、あいだに何が起こるかは分からないんだぁ〜」
これもいつものことだ、スレプトが警鐘を鳴らす時は決まって結果だけがわかる。
過程はいかようにもなるが結果だけは確定してるということだろう。
「仕方ないわ……スレプトの予言はよく当たるもの。育ての魔女譲りかしら?」
「えへへ〜、わたしに眠りの素晴らしさを教えてくれたお義母さんには感謝してもしきれないよ〜」
「皮肉のつもりだったのだけれど……まあ良いわ……次のターゲットはその姿の見えない奴らよ。チェシャ猫みたいなものね」
メアがそう言うと肩のあたりに縞模様の猫が浮かび上がってきた。
「ご主人様そりゃあないよ。あちしはそんな野蛮なことはしないさ」
「はん?散々出てきてはおちょくって嘘を教えていたのは何処のどなたかしら?それに確か最後の最後に私を引き裂こうとしたのはジャバウォックの穢れた爪でもトランプの兵隊の槍でも女王のギロチンでもなく猫の牙だったと思うのだけれど?」
「へへっ、そんな昔のことはあちしには分かりませんて。なんせご主人様は不思議の国を全部塗り替えちまったんだから」
「そうよ……私が塗り替えたの、悪夢は悪夢のままよ。それでいいじゃない……ハッピーエンドは私を選んでくれなかった……じゃあ良いじゃないの……バッドエンドの王になったって……誰にも迷惑なんてかけないわ……お父様にもお母様にも……誰も……」
キチキチと音を立ててメアの周囲の空間が不思議の国に汚染されていく。
メアの悪夢の侵食が始まっていた。
「きしし、ご主人様は本当に面白いなあ」
「とっとと失せるだよ」
「きひっ!?」
アッシュの放ったナイフによりチェシャ猫は煙のごとく消えた。
「メア……」
不思議の国になりつつある中を物ともせずアッシュはメアに近づく。
「お前さんは、お前さんでいい。ハッピーエンドなんて気にしなくてええんだ。お前さんはアリスじゃないだよ」
「でも……でも……!!」
「メア!!今のお前さんはメアだ。不思議の悪夢の支配者で仲間のメアだ。それだけでいいだ」
「っ!?そう……ね。私はメア。私はメアよ。ありがとうアッシュ……助けてくれて」
「お安い御用だ。子守は得意だでな」
「誰が子供よ!!」
メアの声が店内に響いた。