65 消えぬ悪評
それは簡素ながらもしっかりとした作りの建物だった。
赤レンガ調の四階建てであり、日本の建物を見慣れている俺からすると。風格や歴史を感じさせるものだった。
その建物の中に入った処で、更に感心する事になった。というのも、綺麗に掃除されているだけでなく、その色合いや調度の雰囲気がとても落ち着けるものとなっていたからだ。
トットに連れられて遣って来たこの場所は、そう、フロリアン商会の本拠の建物である。
「良かったです。今日はジェノさんがいらっしゃるそうです」
受付の女性と話をしていたトットが、戻ってくるなり安堵の表情で話し掛けてくる。
あの後、俺達はエルロスが起こした爆発で壊れた扉から飛び出して、周囲を隈なく捜索したのだが、串泥棒の犯人は捕まらなかった。
ただ、捜索している最中も、彼方此方で食べ物が無くなる騒ぎが起こっていたことから、間違いなくあの辺りに生息していると当りを付ける事ができた。
そこで、泥棒猫......いやいや、泥棒犬を見付けるために、エルロスに頼んで一日何度も写真を取るようにお願いしたのだ。
更に、彼の店の前に張り紙をする許可を貰い、ライラとレストに対する伝言を残すことにした。
その内容は......
「これに気付いたら、このお店に居てください。食事は用意しますから、決して、他のお店の物を盗み食いしないように! それと、店内にメモ帳とペンを置いておきます。それに滞在している事を知らせるメモを残してください。追伸、犬には餌を与えないで下さい。ラルカより」
始めはもっと怒りの滲んだ内容だったのだが、それだとレストが出てこないだろうという話になり、柔らかな表現に変更したのだ。
というのも、恐らくライラは文字が読めないだろう。故に、レストが読むことになると思うのだが、怒りの文章だとレストが逃げ出すかもしれないと判断したからだ。
あの写真に彼女達が写っていたことから、俺達は彼女達が見えない存在になってしまったのだと推測した。
それに、俺達の前に来ない処をみると、彼女達にも俺達や街人が見えないのだろうという憶測も付け加えている。
如何いう理由でそうなったかは知らないが、まずは接触することを考えて伝言を用意したのだ。
食べ物を盗み食いしている処から見ると、恐らく物を持ったりすることは出来そうなので、きっと何かの反応があるだろう。
最後に、俺の名前を書いて貰おうかと思ったのだけど、敵にバレるのは嫌なのでライラでも解る名前を残した。
少なからずライラ達が連れ去られたり、拘束されたりという状態で無い事に安堵......盗み食いについては激怒したが......当然ながらレストに対してだ。
という訳で、取り敢えずは放って置いても大丈夫だと判断し、俺達はオークションについて情報を集める事にした。
その事をエルロスに伝えると、ジェノと話すと良いと言われ、このフロリアン商会の拠点へとやって来ているのだ。
トットに先導されて静かな廊下を進み、簡素な扉を開けた彼女に続いて中に入ると、そこは応接間だった。
その部屋は、王城のサロンのように絢爛豪華なものではなかったが、質素ながらも気品を感じさせる調度と滞在する者の心を落ち着かせる雰囲気を兼ね備えていた。
「使徒様、どうぞお座りください」
部屋に入ると、トットがソファーを勧めてくるので、言われる通りに腰を下ろすことにする。
すると、トットは直ぐに戻るといい、入ってきた扉から出て行く。
『落ち着く雰囲気の部屋ですね』
マルラが部屋をぐるりと見回しながら感想を述べてくる。
間違っても、金目の物を盗むなよ......
出合った当初の彼女を思い出し、少しだけ心配になってしまった。
『見た目は古いけど、結構良いものなの』
唯一、目が肥えているミララがテーブルを眺めて呟く。
彼女は元々が貴族の生まれなので、多少は調度に対して目が利くのだろう。
『恐らく、この雰囲気を作り出しているのが、この商会を管理する者の品性なのでしょうね』
ルーラルが鋭い観察眼で、ズバリとこの商会を運営する者の有様を評価した。
それを聞いた俺としては、品性よりも几帳面さの方が気になっていた。
何故なら、埃ひとつ無いように見えるからだ。それをルーラル風に言うならば、とても神経質そうな人物という事になるのだろう。
そんな嫌な予感に襲われていると、トットが給仕用のトロリーワゴンを押しながら入ってくる。
どうやらお茶の用意をするつもりらしい。
しかし、さっさと帰らなくても大丈夫なのだろうか。
俺の目で見てもエルロスは一人では生きて行けないタイプの人間だと思う。
それも、精神的な面では無く、日常生活的な面でだ。
何故か、彼を一人にして置くとあの店舗が木っ端微塵になるような気がしてならない。
そんな俺の心配を余所に、トットは給仕を進めている。
ルーラルの話では、昨日出されたお茶が美味しかったとの事だったので、その姿は幼く見えるものの、常日頃から行っているのだろう。
その所為か、ルーラルはトットの給仕姿をジッと観察している。
きっと、美味しいお茶の入れ方を学ぼうとしているのだろう。
「お待たせして申し訳ありませんでした」
そんな時に入口方向から発せられた声が、俺達の意識と視線を引き付ける。
そこには、声の雰囲気をそのまま表現したようなキリリっとした眼鏡の女性が立っていた。
その姿は如何見てもキャリアウーマンのそれであり、少し吊り上がった風の眼鏡が更にそれを際立たせている。
いや、この雰囲気......もし、肩眼鏡だったらロッテ〇マイヤーみたいだ......何を遣っているのです。アーデルハ〇ド! とか言いそう......
そんな、厳格そうな女性に尻込みをしながら、ルーラルの胸に強く身体を押し付ける。
そう、何を隠そう、俺が一番苦手にしている才女タイプの女性なのだ。
彼女は使徒という肩書に恐れを為す事無く、規則正しい足音を立てると、俺達の眼前へと歩み寄り、礼儀作法の模範のような立ち振る舞いで挨拶をしてくる。
「わたくしは、当フロリアン商会の管理を任されておりますジェノと申します。宜しくお願い致します」
それが、このゴルド商工連合国に名高い『鋼鉄の才女』と呼ばれる女性との初めての対面だった。
緑が少ない事を除けば、とても良い街だと思った。
至る所に美味しい食べ物が置かれ、綺麗なベッドが用意され、裏通りにさえ入らなければ嫌な臭いもしない。
ただ、そんな街の中で、誰もいない日々を過ごしていると、やはり寂しくなってくる。
そう、長い時を一人で暮らしたあの花畑を思い出してしまう。
「オン! オン! オン!(ねえ! ねえ! お腹が空いたのです)」
また? レスト、あなたのお腹は異次元になってるのではないの?
朝ごはんを食べてから、まだそれほど経ってないと思うけど......
レストはとても可愛い犬だけど、彼女のお腹には魔物が住んでるかもしれない。
彼女の胃袋に疑念を感じながらも、わたしは何時もの様に串焼きを貰う事にした。
これも、今ではすっかり当たり前の行動となっている。
これが良い事なのか悪い事なのかは解らないけど、誰も文句を言ってこない処を見ると、問題ないと思っている。
というか、文句を言う人間の存在すら無いのだから、勝手に串焼きやお菓子が出来上がるのが不思議でならない。
そして、その事をレストに聞くと、彼女は押し黙ってしまう。きっと、何か思う処があるのでしょう。
今日もレストと二人で串焼きを食べながら歩いていると、数日前に爆発したお店が目に入った。
そのお店は、爆発したという理由以外に、何故かわたしを惹き付けるものがあったのだけど、それが何かわからない。
でも、そのお店はいつ見ても閉まっているように思えるし、なかなか中に入る機会が無かったのだけど、今日に限っては店の前に何かが立てられていた。
気になって近付いてみると、三本の棒を先端をくっ付けて立てたような土台に、丸い鏡の着いた道具が乗っていた。
「レスト、あれって何?」
「クゥ~~ン! オウン? オン! オン!(う~~ん、ああ、そうだ。カメラ、カメラなのです)」
「カメラ?」
彼女の言葉に思わず首を傾げてしまった。
というのも、カメラという言葉を始めて聞いたから......
でも、その後にレストが色々と教えてくれた。
どうやら、写真という絵を作る機械みたいね。
どんな絵が出来るのかしら。とても楽しみだわ。
そのカメラなるものをジロジロと眺めて、写真ができあがるのを楽しみにしていたのだけど、レストが急にガタガタと震え始めた。
一体如何したのかな?
「レスト、如何したの?」
「クゥ~~~~ン」
レストの怯えがとても気になったわたしは、彼女の頭を優しく撫でながら尋ねる。すると、彼女はか細い声で鳴いている。
でも、その鳴き声から言葉を聞き取る事ができない。恐らくは、ただ単に恐れを表しているのだと思う。
そんな怯えるレストを訝しく思ったわたしが周囲に視線を巡らせると、カメラなる物を設置している後ろ側、店の入り口の横にある張り紙が目に留まる。
その張り紙が気になったわたしは、そこに描かれた内容を確かめるために近付いてみた。
すると、レストがイヤイヤと言うように頭を横に振る。
何をそんなに恐れているのかしら。
嫌がるレストを見遣りながら、張り紙の前まで移動すると、その内容を確認するのだけど......わたしは愕然とした。
「文字が解らない......」
そう、何か書かれてあるのだけど、その内容を全く理解できなかったのだ。
でも、最後の三文字だけは、何となく解った。いえ、匂いがした。
「ミユキ、そう、ミユキって書いてあるのね」
その言葉に、レストがガクっと項垂れた。その理由は解らないけど、今はそれ処じゃないのだ。
やっと見付けた手掛かりに、慌てるわたしは、あることを思い付く。
「レストは文字が読める? なんて書いてあるの?」
そう、その事に思い至って、即座にレストへと問い掛けたのだけど、彼女は腕の中から飛び出すと、猛然と走って逃げだしたのでした。
目の前には美しくはあるが、近寄りがたい存在があった。
そう、バラだ。棘だらけの薔薇の存在と同じだ。
俺の心はそんな風に叫んでいる。いや、もう帰りたいとも溢していた。
「では、オークションに出品される神器が必要なのですね?」
彼女、フロリアン商会の番頭であるジェノは、一ミリも表情を変えずに確認してきた。
それにルーラルが頷くと、彼女は解りましたと述べた後、少し考える仕草をしたが、直ぐにこちらに視線を戻してくる。
「では、オークションで出品される神器についてはこちらで何とかしましょう。ですが、一つだけお願いがあります」
ジェノは落ち着いた様子で、そう告げてくるのだが、その言葉に様々な不安を感じてしまう。
それが何かというと、神器を何とかするということ、使徒に交換条件を突き付けてきたこと、彼女が他の者と違って全く使徒を恐れていないことだ。
普通なら、協力しますとなるか、門前払いを喰らうような気がするのだ。
それも、神器と聞いて微動だにしていない処も訝しく思う。
しかし、取り敢えずは、彼女の言う願いを聞いてからだな。
だって、俺達の力で何でも叶えられる訳では無いのだから。
「お願いというのは何でしょうか?」
俺の心を読んだかの様に、ルーラルが動じる事無くジェノに問う。
流石だ。この女に気圧されないのは、どう考えてもルーラルくらいだろう。若しくは、ロリババアや水帝アクアくらいか。
ルーラルの存在に心から感謝していると、ジェノはやはり全く表情を変えずに述べてくる。
「神器は責任を持って入手します。ですから、今直ぐこの街を出て頂きたいのです」
彼女の願いは、想定外の内容だった。
その事に驚きながらも、ルーラルが再び問い掛ける。
「その理由を教えて頂けますか?」
その答えを聞いた時、俺は絶望に暮れる。
世間では、そんな風に見られているのだと、心破れる想いに項垂れる事となった。
そう、ジェノが発した言葉は......
「使徒様が行かれる処で波乱が起きていない場所がありません。どうか、このゴルド商工連合国を救うと思って、早々に出立して頂きたいのです。というか、矢文を見て引き返して欲しかったのですが......」
なるほど、街の外で撃ち込まれた一本の矢は、彼女の仕業だったのか。
そう、俺達が街の外で野宿の準備を始めた処に撃ち込まれた矢だ。
それには、小さな文が結ばれていて、無いような「引き返せ」というものだった。
それを撃ち込んだ犯人を目の前にして、俺はその理由をルーラルに尋ねて貰う事にした。
「如何いうつもりであの矢文を?」
ルーラルの表情は先程よりもやや険悪になっているのだが、ジェノは気にする事無くサラリと言ってのけた。
「理由は先程申した通りです。使徒様にはお出で頂きたくなかったのです」
ふむ......では、他の策略も彼女の仕業なのだろうか。
この街へ来る途中にあった数々のトラブルについて、眦を吊り上げたルーラルが問い質す。
拙いな。ルーラルの温度が上昇中だ。このままだと沸点を超えるかもしれない......
不安に駆られつつも黙って見ていると、ルーラルがガツンと直接的に問い質した。
「この街に来る途中に様々なトラブルと出会いましたが、全てあなたの仕業ですか?」
しかし、ジェノは全く動じる事無く首を横に振ると、その説明をしてくれた。
「盗賊などのトラブルは、他の商会でしょう。私が行ったのは矢文だけです」
その言葉から察するに、彼女は俺達を陰から監視させていたことになる。
そうなると、俺達がこの街に遣って来るという情報は何処から得たのだろうか。
それに、他の商会は何を考えて俺達の前でトラブルを起こしていたのだろうか。
そんな疑問に駆られていたのだが、ジェノは全てを理解しているかのように、続けて説明を始めた。
「使徒様がこの街に向かっているという情報は、どうもウエルーズ王国からのようです。他の商会については、恐らく使徒様の名前を使って一儲けしようと考えているのでしょう。彼等と接触すると間違いなく『使徒様ご用達』なる商品が販売される筈です」
使徒様ご用達......マジか!? 要はあれか? 盗賊に助けて貰ったお礼に、我が家へみたいなことになって、そこで歓待を受けたら御用商人のような状況になるというんだな。
「彼等は使徒様の噂を知りつつも、己が利益を上げれば問題ないと考えているのでしょう。要は自分達にのみ災いが降り掛からなければ良いのだと......」
流石に、ジェノも最後は言葉を濁したが、それ程までに俺達の悪評が広がっていると言う事なのだろう。
災いを呼ぶサバトラ猫というオチでは無かったが、今度は使徒ある処に災いありとなってしまったのだ。
その言葉を聞いて三人娘はションボリと肩を落とし、俺は愕然となったままルーラルの胸に顔を埋めた。
そんなタイミングで、応接室の扉がノックされた。
すると、ジェノは表情を保ったまま、扉の向こう側に立っているであろう者に声を掛けた。
「どうぞ、入ってちょうだい」
その声の後に、「失礼します」と述べて一人の女性が入ってくる。
こちらは、至って普通の事務員の様な雰囲気なので、あまり抵抗を感じる事も無いのだが、その女性は少し緊張した様子でジェノに耳打ちを始めた。
その内容は解らないが、話を聞くジェノの表情が次第に険しくなることから、俺の毛が逆立ちそうになる。
そんな俺をルーラルが優しく撫でてくれるのだが、どうも嫌な予感しかしない。
暫くして、ジェノは嘆息すると、「分りました。こちらで何とかします」とだけ言ったかと思うと、途中から入室してきた女性は頭を下げて退出した。
『来客中に耳打ちとは、些か失礼ですね』
眉を顰めたルーラルが念話でそう伝えてくるのも仕方ないだろう。
ただ、その雰囲気からするとただ事ではなさそうな気がする。
『何か、緊急事態にでもなったかニャ?』
確かに失礼なのだが、それ程に大切な話なのかもしれない。いや、きっとそうなのだろう。この厳格そうな女がそれを許すという事は、ただならぬ事態であってもおかしくはない。
その事をルーラルと念話でヒソヒソとやっていると、話の終わったジェノが平静を取り戻してこちらに視線を向けてきた。
更には、少し申し訳なさそうな表情で口を開く。
「大変申し訳ありませんが、先程の話は取り下げさせて頂きます」
「それは如何いう事でしょうか?」
態度を急変させたジェノに、ルーラルが鬼の首でも取ったかのように問い掛ける。
まあまあ、ルーラル、そんなに顰め面をすると眉間に皺が寄るぞ?
決して口には出来ない言葉を心中に収めていると、ジェノがおずおずと話し始めた。
「オークションの件はお約束通り、こちらで何とか致します。ただ、一点だけお願いがあるのです」
今更、消えて無くなれという話ではないだろう。願いとは一体なんなのだろうか?
訝しく思いながらも、やや落ち着きの無くなったジェノの話を聞くことで、俺達は新たなトラブルへと巻き込まれるのだった。




