03 とんでもない奴
どれくらい飯を食っていなかったかと聞く。
すると、かれこれ一週間くらいは水だけだったという返事があった。
それ程の期間を何も食べずにいた処に、肉をガツガツと放り込めば、まず間違いなくお腹を壊すことになるだろうと告げたのだが......
既に壊れたようだという返事が戻ってきた。
こいつはアホだ! それが、俺の正直な感想だった。
今、俺は街外れのバラック小屋に居る。
どうやら、この建物の持ち主は、この街を収める領主に殺されたらしく、廃屋として放置されているようだ。
その一室に、お腹を壊して横たわる少女がいる。
彼女はレストーニャという名前らしいのだけど、長いのでレストと呼んで欲しいと言われた。まあ、見るからに残念な少女だ。
ああ、失礼、レスト―ニャの『ニャ』は、俺の語尾では無い。なんとも紛らわしい名前だ......いや、俺の語尾が紛らわしいのか......
まあいい。気を取り直して彼女の事を少し観察すると、見た目は可愛いし、スタイルも......ちょっと一部分に......いや、この場合は二部分にボリュームが欠けているけど、まずまずだという事にしておこう。
そんなレストは、急に食べ物を胃にぶち込んだお蔭で、現在汚れた床の上に横たわって、う~う~と唸っている。
当然ながら、廃屋だからベッドなんて気の利いたものは無い。いや、それ処か何も残って無いのだ。
それは、窓ガラスすらない状態であり、雨を凌げるかすら怪しい状態だ。
俺的には外へ情報収集に出たいのだけど、流石にこの状態のレストを放置できず、彼女の傍らで丸くなっている。
そんな俺にレストが苦しそうに問い掛けてくる。
「ミユキの名前って、女の子みたいなのです」
命の恩人に何て失礼なんだ。なんて言えない......だって、俺もそう思うから......
てか、この世界の名前から考えると、女の子というよりは、珍しい名前という方が的確だろう。
「それより、少しは楽になったかニャ?」
彼女は俺の言葉に、脂汗を掻きつつも頷いてくる。
「はいなのです。少し良くなったような気がするのです」
まあ、気分は大切だよね。
パッと見た感じからすると、全く良くなったように見えないけど......
でも、彼女がそう言うのだ。少しの間だけ外出させて貰おう。
「俺は少し出て来るニャ。直ぐ戻るから大人しくしてるニャ」
俺の言葉に、彼女は少し寂しそうな表情をしていたが、黙ったまま首肯で返してきた。
そんな彼女を慰めるつもりで、その頬をペロリと舐めたのだが......酷く汗臭かった......その味に顔を顰めて二度と舐めないと女神に誓うのだった。
露店街では沢山の人が行き交い、活気のある喧騒が作り上げられていた。
それを建物の上で感じながら、宛もなく足を進める。
ああ、建物の上を闊歩している理由は、言わずと知れたメス猫対策だ。
モテ期というのは、それはそれで辛いのですよ......
さて、目的なのだが......目的自体はあるのだ。情報を得るという目的が。
だが、どうやって情報を得れば良いのか、皆目見当も付かない。
前世の日本なら、先ずはネットで情報を得ることが出来ると思うけど、この世界ではネットどころか、電話すらない。
そんな不便なこの世界に愚痴を溢す訳にもいかず、ただ気の赴くままに屋根の上を闊歩していると、俺のキュートな耳に女性の悲鳴が飛び込んできた。
その悲鳴は、どうやら幾つか先の路地からのようだ。
それを聞き付けた俺は、普通の猫では有り得ない跳躍力で、複数の建物を何度も飛び越え、悲鳴の上がった場所へと辿り着く。
「ククク、上玉じゃね~か」
建物の屋根から覗き込むと、筋肉ムキムキの男が嫌らしい声を発しつつ、完全の少女のの品定めをしようとしていた。
しかし、そんな筋肉ダルマを遮るように、連れの男が声を上げる。
「おい、手を出すと伯爵様から殺されるぞ」
その声の主である痩せ形で陰湿な雰囲気を漂わす男が、筋肉男の肩に手を置いて注意を喚起すると、筋肉ダルマが舌打ちをしながら、愚痴を溢し始めた。
「ちっ、いつも伯爵ばかり良い目に遭って、ズルいよな」
そんな筋肉ダルマに向けて、怯える女のスカートを捲くっていた小柄な男が慰めの言葉を吐く。
「いいじゃね~か、伯爵が飽きたら俺達の物になるんだから」
人を物扱いとは、こいつらは些か真面な人格ではなさそうだ。
それに、伯爵とはこの街を収める貴族の事だろうか。
もし、そうであるなら、最悪の野郎だな。
「ゆ、許して下さい。家には病に臥せっている母が居るのです。お願いします」
「あはははは! 病の母! 丁度いいじゃね~か! お前が居なくなっても、誰も騒がないという事だろ」
少女の嘆願に、筋肉ダルマが嘲笑いながら畜生な台詞を吐く。
どうにも、この男達は許せない。間違いなく痛い目に遭わせてやろう。
俺の男気が、奴等に恐怖を植え込めと囁いている。
まあ、男気が何も言わなくても、こんな奴等は酷い目に遭って貰うがな。
「さあ、こい!」
そう言って、痩せ男が少女の手首を握って引っ張った時に、そいつの腕に猫キックが炸裂する。
すると、その男の腕は見事に乾いた音を立て、あらぬ方向に曲がっている。
まあ、ちょっとだけ力を込めたからね。折れて当然というものだよ。いやいや、こんなものでは済まさないよ。
「うぎゃ~~~! なんだ?」
「ね、猫だ! なんだ、この猫!」
「猫如きが! ぶっ殺して、軒先に吊るして遣る」
そうか、それが望みか、じゃ、お前等を軒先に吊るしてやろう。
俺の感想など知る由もの無い筋肉ダルマが、勢いよく蹴り掛かってくる。
温い蹴りだ。こんなものでは、俺を殺す事は出来んぞ。
「ニャー!」
俺は雄叫びを上げると、奴の蹴りを踏み台にして、顔面に猫パンチを喰らわす。
「ふごっ!」
更に、その筋肉男が後ろに倒れるのを確認することも無く、俺は即座に横からナイフを突きつけて来た小柄男の顔面へ向けて、宙返りの要領で猫キックをぶち込む。
あ、ちょっと遣り過ぎた。死んだかもしれんな。トアラ、ごめん。
癒しの女神であるトアラに心中で謝罪し、左手に握った剣で攻撃してくる痩せ男の腕に、回り込みながらカウンターで猫パンチをお見舞いする。
すると、再び乾いた音が響き渡る。
「ぐお~~~~っ!」
その攻撃で両腕をぶら下げた痩せ男が呻き声を上げているけど、それを気にする事無くゆっくりと少女の方へ歩み寄る。
一番初めの攻撃に巻き込まれて、尻餅を突いてしまった少女は、近寄る俺の事が怖いのか、ゆっくりと後退りを始める。
う~ん。ここは、超絶に可愛い猫ちゃんをアピールするしかない。
「ナ~~~!」
俺は猫撫で声を上げながら、後ずさる少女の手をペロリと舐める。
どうやら、清潔にしているようで、レストより良い匂いがした。
「ナ~~~!」
少女は俺が自分に危害を与える事は無いと判断したのか、震える手で優しく俺の頭を撫でてきた。
よし、これで一件落着だな。おっと、その前に......
俺は倒れている者達から、装備を剥ぎ取り始める。
剥ぎ取ると言っても、前足を乗せるだけだが。
こうする事で、奴等の装備を俺の亜空間収納へと入れることが出来るのだ。
大変申し訳ないが、こいつらの装備は、俺の路銀とさせて貰おう。
「ね、猫ちゃん。とても強いんですね。というか、助けて貰って、本当に有難う御座いました」
「ナ~~~~!」
どうやら、この少女はとても良い子のようだ。
俺が猫だと知りつつも、きちんとお礼をしてきたのだ。
まあ、猫に助けられて、不思議に思っている表情だけどね。まあ、それも無理からぬ話だろう。
それはそうと、良い子なので少しご褒美を上げることにしよう。
「ニャ~~」
装備の剥ぎ取りを終わらせた俺は、少女の下に戻って彼女の足に纏わりつく振りをする。
すると、彼女は俺の事を抱き上げて歩き始めた。
「助けて貰ったし、お礼をしないとね」
こうして俺は彼女の家にお邪魔する事になるのだった。
少女の家は、街の中でも貧しい者達が暮らす地区にあった。
彼女は俺を抱いたまま自宅へと戻ったのだけど、その間に様々な事を話してくれた。
それは、この街の領主である伯爵が、非道であるという話が殆どだった。
どうやら、ここの領主をやっている貴族は、かなりの悪行を行っているようだ。
俺自身が世直しを行っている訳ではないので、敢えて乗り込もうとは思わないけど、レストの件で赴く事があれば、遠慮なく天誅を喰らわせてやるつもりだ。
「ただいま~!」
彼女が扉を開いて帰りを告げた家は、レストが転がっている廃屋に毛が生えたようなものだった。
そんな返事のない貧しい家に入ると、彼女は俺を抱きかかえたまま、奥の部屋へと進んでいく。
そこには、今にも壊れそうなベッドに横たわる女性が居り、部屋に入って来た少女の方に頭を向けてきた。
「お帰り。如何したの? 猫なんて連れて」
どうやら、その女性は彼女の母親であり、俺の事が気になったようだ。
そんな女性に、今日の出来事を話し始めた。
「そう。ありがとうね。猫ちゃん」
「ナ~~~!」
話を聞き終わった母親は、辛そうに頭を動かしながら礼を述べて来たので、俺も軽く返事をしておく。
というか、俺がここに来た目的は、母ちゃん、あんただよ。
俺は透かさず少女の手から床に飛び降りると、母親が横たわるベッドに飛び乗る。
二人の親子は、俺の行動に少し驚いていたが、直ぐに、被害はないだろうと感じたのだろう。母親はベッドに上がった俺に、病気でやせ細った腕を伸ばし、頭を撫でようとしてくるが、俺はその手を優しく舐める。
うむ、病気の臭いなのかな? 少し、嫌な臭いがする。
そんな事を思いながらも、俺は彼女の手を舐めながら治癒魔法を掛け始める。
まあ、二人の親子は魔法なんて知らないだろうから、俺が治癒魔法を掛けている事すら、気付く事は無いだろう。
ふむ、嫌な臭いも消え去ったし、これで大丈夫だろう。
俺が治癒魔法を終わらして、ゆっくりと床に飛び降りると、横になっていた母親が驚愕の声を上げる。
「えっ!?身体が、身体が軽いわ。なに、これ、とても清々しい」
暫く間、母親は驚いた表情で、自分の身体を確認していたが、ベッドの上で上半身を起こす。
「お、お母さん?だ、大丈夫なの?」
急に起き上がった母親に、少女は慌てて駆け寄りながら問い掛ける。
「な、治ってるの。病気が治ってるのよ」
母親は駆け寄って来た少女を抱き、涙を流しながら歓喜の声を上げた。
少女の方も、母の容態が良くなったことを知って、滂沱の涙を流している。
これでいい。母と喜び合う少女から視線を外し、俺はそっとその部屋を後にするのだった。
無法者から奪ったアイテムを売り捌き、胃に優しそうな食べ物を買って廃屋に戻った。
勿論、アイテムを売り捌く時は、人間の姿に変身しているので、問題なんて起こっていない。
ただ、あまり良い品では無かったようで、大した金にはならなかったのは残念な限りだ。
「ただいまニャ」
俺が廃屋に入り、奥の部屋へいくと、レストは未だに転がっていた。
どうやら、まだ本調子では無いようだ。
「体調はどうニャ?」
そんな彼女に、調子を尋ねると「ぐ~~~~っ」という異音が返事となって響き渡る。
「お、お腹が空いたのです~~~~!」
お腹を壊した所為で、かなり嘔吐していたから、またお腹が空っぽになったのだろう。
まさかとは思うが、これを繰り返したりしないよな?
完全に拒食症パターンじゃね~か。
やはり、ここはお腹に優し物から食べるべきだな。
トコトコと静かな足取りでレストの傍に行くと、俺は露店で買ってきたリンゴの様な果実を亜空間収納から出してやる。
すると、彼女は恐ろしい程の速度でそれを掴み取ると、即座にガツガツと食べ始めた。
「もっとゆっくり食べないと、またお腹を壊すニャ!」
だが、彼女は全く聞く耳を持たずにガツガツと咀嚼している。
これはダメだな。こりゃ......うにゃ~~!
「あ、な、何をするのですか!」
そう、俺は彼女の手から果物を奪い取ったのだ。
彼女はかなりご立腹のようで、プンプンと憤慨した様子を見せている。
だから、俺は言ってやることにした。
「お前は行儀が悪いニャ。抑々、礼も無いとは無神経だニャ。それにガツガツ食うと、またお腹を壊すニャ」
俺の叱責にハッとした彼女は、その場に正座する。所謂、DOGEZAという奴だ。
てか、この世界にも土下座というものがあるのだろうか?
まあいいか、ほれ!
俺が取り戻したリンゴモドキを返すと、彼女は「有難う御座います」とお礼を言ってから食べ始めた。
これなら良いだろう。お腹が空いた時の気持ちは解るから、あまり煩くも言いたくない。
彼女の前に、もう三個ほどリンゴモドキを出して遣りながら、俺は街で得た情報を整理する事にした。
この街はトランデストと呼ばれる街で、トルガルデンと呼ばれる国の最東にある。
また、この街はこの地域を収める領主が住んでおり、どうやら伯爵位であるらしい。
この伯爵の評判は最悪で、重税で民衆を苦しめているだけでは無く、見えない処では、強奪や人身売買まで行っているようだ。
恐らく、レストの場合は、この強奪に該当するのだろう。
「ところで、例の伯爵の件は如何するニャ?」
リンゴモドキ四つをぺろりとお腹に入れたレストに、是からの事について尋ねてみた。
「体調が戻りしだい、直ぐに行動したいのです」
「分かったニャ。それで、どれくらいで体調が戻りそうニャ?」
俺の問いに、彼女はモジモジしながら答えてきた。
「あと、焼き串を五本くらい必要かも?」
何とも、反省という言葉を知らない娘のようだ。
結局、この後、焼き串を買いに行き、彼女に食べさせて体調復帰となった。
民衆が寝静まるには、今しばらくの時間が必要だが、頭上には宝石を散りばめたかのような夜空があった。
前世では東京で生活していた俺にとって、この美しさは、どんな宝石とも代え難いものであると感じる。
それでも、癒しの女神であるトアラと比べると、幾分かは劣るのかもしれない。
そんな事を考えていると、思わず胸を締め付けられるような気持ちになる。
駄目だ。ここは歯を食い縛って前に進むんだ。
「如何したのですか?」
空を見上げて固まる俺に、レストが心配そうな表情で問い掛けてくる。
「何でもないニャ。それにしても、豪華な屋敷ニャ」
「そうですね。真面な事をしてこれを得られるなんて、誰にも思えないくらいに豪華なのです」
心配そうなレストを誤魔化すように、目の前の屋敷について述べると、彼女は毒のある言葉を吐きつつ相槌を打ってきた。
まあ、彼女の言う通りかもしれない。
その敷地はとても広く、綺麗に整備されており、白く巨大な屋敷はもはや城と言っても良いレベルだった。
その広大な敷地は、高い柵の障壁に囲まれており、その入り口の巨大な門には、二人の警備兵が立っていた。
「さて、是から如何するニャ?」
作戦があると言うレストに任せているので、これからの行動について尋ねてみた。
「ちょっと待って欲しいのです」
彼女は俺に暫し待てと言うと、何やらブツブツと呟き始めた。
この辺りは、猫って便利だよな。だって、聴力が高いから聞えるのだよ。
「ガストさん、ガストさん、出て来て欲しいのです。出番なのですよ」
彼女は、何かを呼び出しているかのように囁いている。
すると、突然、彼女の背筋が伸びた。
これまで、やや猫背だったのが、直立不動となった。
いや、猫背とか、猫に失礼だニャ。まあ、口にしたのは俺だけど......
「よっしゃ~! オレの出番だ!」
レストは、急に大声で叫びを上げた。
いや、これまでのレストと様子が違う。これは何なのだ?
「レスト、如何したニャ?」
様子のおかしいレストに問い掛けると、彼女は「ガハハハ!」と笑いながら自己紹介を始めた。
「オレはガストだ。宜しくな! 猫!」
はっ? 一人称が変わったかと思ったら、名前まで変わっている。
これって......もしかして......二重人格者か?
まあいい。良くないけど、まあいいことにしよう。
「それが作戦なのかニャ?」
俺が作戦について尋ねると、ガストと名乗った女......身体はレストだけど......が、大声で答えてきた。
「成りと同じで小せえな~! オレに任せておけ!」
彼女はそう言うと、杖を前に突き出し、ブツブツを念じ始める。
「我が望むのは、業火で焼き尽くす爆炎なり、古の盟約によりその力を我に与えん......爆裂!」
おいおいおいおいおいおい! それは爆裂魔法だろ! 如何する気だ!
俺の動揺など気に留めることも無く、彼女は兵士が立つ門に向けて、その魔法をぶっ放したのだった。