02 少女との出会い
トアラが造った抜け道は、猫である俺がやっと通れるくらいの大きさだった。
あ、俺の行く先に光が見える。恐らくは出口だろう。
なに! 出口が見えたかと思うと、突然、俺の走り抜けている通路が狭まってくる。
やばい。急がないと閉じ込められてしまうかもしれない。
俺はトアラに鍛えて貰った力を全開にして走り抜ける。
よし、あと少しで出口だ。あと、数歩......しかし、下半身が見えない何かに捕まってしまう。
くそっ、あと少しなのに......
『加速を使いなさい』
暗闇に捕まりそうになった処で、トアラの声が聞えてきた。
「分かったニャ。加速ニャ!」
俺の身体が光に包まれて、光の矢となって突き進む。
「よし、抜けたニャ!」
出口の外には、青々と生い茂る草木があった。
「戻って来たのかニャ?」
俺は来た道を振り返る。
そこには、俺がトアラの居た場所へと導かれる原因となった石があった。
そう、トアラが造った抜け道は、既に閉ざされてしまったのだ。
その途端、俺の両目からは、滂沱の涙が溢れ出る。
「絶対に戻って来るニャ」
聞く者など誰も居ないのに、その言葉を残して歩き出す。
今は、俺の言葉にトアラが答えてくれないことが、胸が裂ける程に悲しかった。
彼女と過ごした楽しかった日々が、忘れる事の出来ない思い出となってしまった事が、とても悲しかった。
思い出ではなく、彼女と一緒に、ずっと一緒に暮らしたかった......
「ダメだニャ! こんな女々しい事では、使命を達成するなんて出来る筈もないニャ」
自分の心に鞭を打ち、森を抜けて街へと向かうのだが、そんな俺の前に三匹の野犬が現れる。
『おお、ちょうど飯の時間だな』
『こんな処に飯がいたぞ~と』
『ガフガフ、さっさと食おうぜ』
何故か不思議な事に、犬達の思考が理解できる。
どうやら、奴等は俺の事が飯に見えるようだな。
ちっ、ヤバイな。さっさと木に登るか......いや、俺は鍛えたんだ。今更、野犬なんかに怯える必要は無いんだ。
今にも襲い掛からんとしている野犬に、俺は冷たい眼差しを向ける。
『痛い目に遭いたくなかったら、さっさと消えた方が良いニャ』
俺が犬達に向かって念じてみる。
すると、犬達は何かを感じたのだろう。戸惑うような反応を示す。
『なんか聞こえなかったか?』
『腹が減った所為だろ』
『お前、末期じゃないのか? 変な物でも食ったのか?』
奴等は自分達に届いた言葉が、俺の発したものだと思っていないようだ。
この様子だと、どの道このまま何事も無く通り抜ける事は出来ないだろう。
いいぜ、掛かってきな。今の俺は無性に機嫌が悪いんだ。
だが、死んでも後悔するなよ。いや、死んだら後悔も糞もないよな。
そんな事を考えつつも、警戒を怠らない俺に向かって、三匹の野犬が襲い掛かって来る。
一匹目は、俺に向かって噛みついて来るが、抑々、猫と犬では反射神経の違いがある。
俺は即座に一匹目の鼻に爪を立てると、縦に切り裂く。
その攻撃はかなり手加減したものだったが、恐らく、風通しの良い鼻になった事だろう。
そのまま地に降りると、直ぐに横っ飛びで距離を取り、次に大口を開けて襲い掛かってきた奴の頭上へと舞い上がる。
そのまま、猫キックで頭蓋に衝撃を与えると、三匹目の横面を猫パンチで吹き飛ばす。
鼻先を切り裂かれた犬は、キャインキャインと鳴き声を上げながら転がっていし、頭蓋を蹴られた犬は、ウンともスンとも言わない。どうやら、お亡くなりになったようだ。
三匹目の横面を殴られた犬は、木にぶつかってお休み中らしい。
これで野犬たちとの戦闘は終わりだ。
実に呆気ない。俺は全く実力を発揮する事無く奴等を退けた。
そんな俺は三匹の野犬を横目に、ゆっくりと森から出て行くのだった。
小高い場所にある森を抜けると、街の全貌を眺めることが出来た。
トアラと出会う前の俺が、気付くことの無かった景色だ。
ふ~~~ん、あの街ってこんなに大きかったんだな。
真ん中には大きな城のような屋敷があるし、殆どの屋根がオレンジ色で統一されていて、中世ヨーロッパの街並みと言った感じだ。
街を守る障壁は無いが、周を囲んでいる川が濠の役目を果たしているのだろう。
ざっと見た処だと、その規模は人口一万人くらいだろうか。
人数は解らないが、直径二キロの円型という感じだな。少し、楕円になってはいるが、凡そ円だと言ってもおかしくはないだろう。
「さて、街に行くかニャ。それに情報を得る必要があるしニャ」
誰に聞かせる訳でもなく、己に言い聞かせる為に声にしてみる。
しかし、これからは気を付ける必要がある。
だって、猫が人の言葉を話していたら、当然ながら大変な事になるからな。
俺は周囲の自然に目を遣りながら、これからについて考えながら足を進める。
トアラが言っていた十三個のアイテムだが、彼女の光の粒子から得た知識だと、この世界で神器と呼ばれる物らしい。だから、もしかしたら、思ったよりも情報が得られ易いかもしれない。
ただ、神器だと「それくださいニャ」という訳にはいかないだろうな。
まあ、トアラを助ける為なら、かっぱらうのも有りだな。いざとなったら、遠慮なく頂戴しよう。いや、ちょっとだけ借りることしよう。そうだそうだ、後で返せばいいのだ。
自分自身へそう言い聞かせながら、俺はのんびりと橋を渡り街へと入る。
以前の俺ならオドオドしながら街を歩くのだろうが、今や何人たりとも、いや、何猫たりとも俺の行く手を阻む者は居ない。
ほ~ら、野良猫が俺のオーラに慄いて震えているじゃないか。
昔の自分とは違い、大きく成長した事を自慢げに歩いていたのだが、少し奇妙な視線を感じる。
足を止めて周囲を確認するが、特に俺を見ている人間は居ない。では、何の視線なのだろうか。
俺は再び周囲を確認する。すると、目が合う猫たちの反応が二つに分かれている事に気付いた。
片方は、俺のオーラにビビッて直ぐに逃げ出す猫達。
もう片方は、俺と目が合うと、何故か身体をくねらせている。
あれって、何のアピールなのかな?
俺は自分が猫である筈なのに、猫の習性をあまり知らなかったりする。
だから、俺は顔を洗う事も毛繕いをすることも無いので、喉に毛玉が溜まる事も無かったりする。
自分が猫の習性に疎いという意味不明な事態について考えていると、可愛い猫ちゃんが俺の隣に遣って来た。
見た目は俺とよく似たサバトラ猫だが......って、生き別れの妹じゃなね~か!
『ナァ~~! 誰かと思えば、兄さんじゃないですか~。なんか、凄くカッコよくなったニャ~ン』
どうやら、妹も俺の事が解るらしい。
それは良いのだが、妹がやたらと俺に絡みついてくる。
というか、必死にお尻を俺に向け始めた。
『兄さ~~ん。うちを女にしてニャ~~ン』
なんと、妹は発情期だった......
どうやら、周囲でクネクネしているのもメス猫だったようだ。
もしかして、俺ってモテ期到来か?
いやいや、猫にモテても仕方ないだろう。えっ? 今は猫だから、猫にモテるべきかな?
まあいい。それも、妹とか有り得んし......てか、猫って近親相姦するんだよな......
良し、ここはバックで遣るしか......いやいや、バックレるしかない。
こうして俺の逃走劇が始まるのだった。
そう、俺はランナーだ。一目散に走る。一生懸命に走る。身を粉にして走る。
時々、チラリと後ろの様子を伺うが、女、いや、メスの執念とは恐ろしい。
俺の妹を筆頭に、始めは数匹だったメス猫が、今や数十匹で追いかけてくるのだ。
これは拙いな。あんなのを相手にしていたら体力が持たない。
というか、猫の交尾の仕方をしらないし......
逃走劇を目の当たりにした周囲の人々が、一体何事かと様子を伺う中、俺は無我夢中で逃げ回った。そして、最後は建物の上に登って休憩する事にした。
まあ、一般的に猫も屋根には登れるだろうが、流石に俺と同じ場所までは来れないだろう。何といっても、俺は強化猫だからな。
その事を少し自慢げに、屋根の上で寝そべって眼下を見下ろす。
先程までニャ~ニャ~と騒いでいたメス猫達も、潮が引く様に数を減らしたのだが、未だに数匹のメス猫が居る。その中には、どうやら妹も残っているようだ。
『兄さ~~~ん!兄さ~~~ん!』という声が頭に響いてくる。
それよりも、その横に居るのは、母ちゃんじゃね~か!
まさかと思うが、息子を狩るつもりか?
なんて母親だ......
やっぱり、猫の世界って想像以上に大変だよな~。なんて感じていた俺の瞳に、あるモノが映る。
あれは、物だよな? どう見ても布切れのようだが......いや、今、少し動いたぞ!
それは、ボロボロのローブに包まれた人間のようだった。
よし、スコープ魔法オンだ。
俺は魔法を発動して、その布切れをじっくりと観察する。
この魔法は、まあ、機能的には双眼鏡と同じだが......それにしても、何故、俺はあの布切れが気になるのだろうか。
その理由は自分でも解らないが、何故か気になってしまうのだ。もしかしたら、再び何かの勘が働いているのかも知れないな。
暫くその布切れを観察していたが、どうやら行き倒れらしいことに気付く。
恐らく、お腹が空いて動けないのだろう。
その気持ちは、痛い程に良く分かるのだ。
可哀想なので、何とかして遣りたいのだが、俺もお金を持っている訳ではないので、食べ物を買って与える事ができない。
色々と悩みつつ、何か良い案がないかと周囲を見回す。
すると、そこには沢山の屋台があり、美味しそうな匂いを撒き散らしていた。
ふむ、あれだな。ターゲットは肉が良いだろうか。ただ、空腹に肉はキツイかな?
まあいい。俺がお腹を壊す訳じゃないし。おっ、チャンスは今だ!
「トアラ、ごめんよ! 加速!」
俺は魔法で光の矢となって建物から降り立つと、疾風のような速さで二本の串焼きをゲットし、即座にその場から離れる。
当然ながら、後ろから「泥棒猫が~~~!」なんて怒声が聞える事は無い。
俺の動きを捉える事が出来る人間は、そうそう居ないだろう。
な~んて、格好を付けてみたが、唯単に屋台のおっちゃんが後ろを向いていた瞬間を狙ったからなんだけどね。
さて、人を助けるためとはいえ盗みを働いた俺は、二本の串焼きを銜えたまま、布切れの処へそそくさと歩み寄る。
うむ、まだ生きているようだが、かなり衰弱しているみたいだな。
ピクリとも動かない布切れに二本の串焼きを近づけると、まるで世界を制するジャブではないかと見紛う程の速さで、布の間から手が繰り出された。
その急な行動に、思わず避けてしまったのだが、その手はものの見事に二本の焼き串をゲットしていた......なんて事は起こらない。
当然の事だが、俺の方が速いのだ。
まあ、焦らすのは可哀想だと思うのだが、もう少し感謝して欲しいものだな。
「に、に、にく、肉を下さい......」
うむ。良かろう。
俺は伸ばされた手に二本の焼き串を持たせてる。
その途端、その腕は布切れの中に仕舞われ、ガツガツという咀嚼音だけが聞こえてくる。
まあ、ゆっくりと食べると良いだろうなんて考えていたのだが、その布切れは俺の想いを踏みにじり、一瞬で食い尽くした。
更に、黙って再び手を出してくる。
流石に、この態度はないわ~~~~~。
ちょっと、幻滅した俺は、その場を後にしようとしたのだが、その手はいつの間にか俺の後ろ脚を握っている。
おい! 串焼きのタレでベトベトじゃね~か! 俺は風呂に入るのが嫌いなんだぞ! 如何してくれるんだ!
しかし、俺の足を握った布切れは、ボソボソと何かを呟いている。
「ありがとうなのです。この恩は一生忘れないのです。だから、もう何本か分けて欲しいのです」
結局、俺はその布切れを見捨てる事が出来ずに、更に窃盗の罪を重ねる事になる。
そう、所謂、泥棒猫という奴になったのだった。
目の前には、空腹から脱出した布切れが土下座している。
「本当に有難うなのです。あなたは命の恩人なのです。このご恩は何時かお返しするのです」
なんと、布切れの正体は年頃の女性だった。
年頃といっても、十六歳くらいだろうか。
綺麗にすれば可愛いのだろうが、髪は汗と埃でベトベトとなり、その腕や足も垢に塗れて、どう見ても浮浪者としか思えない。
更に近寄りがたい事に、彼女は随分と風呂にも入っていないようで、臭いも相当なものであり、もはや悪臭というしか表現方法がない状態だ。
そんな悪臭はとんでもない事に、ご恩を返す処か俺にお願いをしてくる。
「ただ、現在のあたしには何もないのです。ですので、あたしをあなた様の家来とさせて欲しいのです」
おいおい、俺は特別な存在だからアレだけど、お前は猫の家来になるつもりか?
俺が溜息を吐き、タレで汚れた脚を舐めていると、彼女は更に話を続けてくる。
「ですが、あたしには遣らなければならない事があるのです。それが終われせることが出来れば、あなたの為に何でもするのです」
仕方ね~な~。このまま放置すると死にそうだしな。って、なんで俺が面倒を見なきゃいけないんだ?
「いや、お断りするニャ。別に家来は要らないニャ」
取り敢えず、彼女と縁を切るために喋ることにしたのだが、その言葉を耳にした彼女はガバッと顔を起し、不思議そうな表情で見詰めてきた。
まあ、そのリアクションもしゃ~なしだな。
「あたしの言葉が解るのですか?」
「解らないと思って、適当な事をいってたかニャ?」
彼女の言葉に透かさずツッコミを入れ、タレの付着した脚を舐める。
だが、布切れに握られた所為で、おかしな味がして顔を顰める。
そんな俺を見詰める彼女は、その態度に怒る事無く、直ぐに首を横に振る。
「ほ、本当に居たのです。あなたは神の使いなのです?」
まあ、確かに女神の使いではあるが、それをここで口にする訳にもいかない。
「そんな大それたものでは無いニャ。それよりも後はお前の自由にするニャ。俺は関係ないニャ」
「そ、そんな~~」
彼女の願いをキッパリと断ると、彼女は人生最後のような顔で情けない声を上げた。
そんな彼女から視線を切り、四足で立ちあがると即座にその場を去ろうとしたのだが、再び足を掴まれてしまう。
う~む。我ながら簡単に捕まり過ぎだと思うのだが、相手に殺気が無い所為か、どうも警戒意識が下がってしまうようだ。
「あ、あの、見捨てないで欲しいのです」
いやいや、そんな人聞きの悪い......いや、猫聞きの悪い事を言うなよな。
冷めた目で振り返る俺に、彼女は必死で懇願してくる。
「は、はなし、話だけでも聞いた下さいなのです」
結局、溜息を吐きつつも、彼女の話を聞くことになってしまった。
彼女の話は、それほど難しいものでは無かった。
どうやら、彼女は魔術師であり、彼女の母親の形見である腕輪を探しているとの事だった。
その時に、唯一の肉親である母親が殺されてしまったらしい。
その腕は、母親が大切にしていた物らしく、ゆくゆくは彼女が受け継ぐ物だったとのことだ。
あと、彼女の家は何故か人里離れた山の中にあり、あまり人と付き合う事をしなかったらしく、そんな生活の中、彼女が山へ山菜を摘みに行った処で起きた事件だったようだ。
話を聞き終えた俺は、彼女に同情しつつも自分に関係ない話だと判断して、さっさとその場を離れようと考えたのだが......
「お願いするのです。あたしに力を貸してくださいなのです。お礼ならゴロゴロさせてあげるのです」
やめ~い! 勝手に喉を撫でるな。てか、風呂入れ! 酷く臭うぞ!
彼女は透かさず俺を抱くと、悲し気な表情で必死に懇願してくる。
そんな悲痛な表情を見せる彼女を放置する事も出来ず、仕方なくちょっとばかり付き合ってやることになる。
「はぁ~、仕方ないニャ。ところで、なんでこの街ニャ?」
彼女の事情は理解した。だが、この街で行き倒れている理由にはならない。
「母が残した水晶玉に、犯人が映っていたのです。ただ、顔などは解らなかったのです。でも、剣に紋章が入っているのが解ったのです。初めはその紋章を頼りに色々な処へ行ったのですが、遂に見付けたのです。その紋章はこの街を収める貴族のものだったのです」
どうやら、紋章を頼りにここまで来たという事か、それにしても貴族ね~~~。
そんな奴等から形見の品を奪い返すなんて出来るのだろうか。
「それで、どうやって奪い返すニャ?」
思った事をそのまま彼女に問い掛けると、彼女は自信ありげな表情で答えてきた。
「大丈夫なのです。あたしに良い案があるのです。ただ、それをするにはお腹が空いていて、力が出なかったのです」
作戦と空腹にどんな関係があるのだろうか。
まあいい。彼女に案があるというなら、俺はそれを見物する事にしよう。
というか、この女がいると、この臭さのお蔭でメス猫が寄って来ないから、俺としても助かるし、貴族の屋敷になら何か情報があるかもしれない。
この後も彼女と色々と話をしたが、彼女は既に貴族の屋敷も偵察済みで、後は作戦を決行するだけだと言っていた。
「じゃ、夜までのんびりとするかニャ」
その言葉に、彼女は少しオドオドしながら、申し訳なさそうな視線を俺に向けて来た。
何となく解らなくも無かったが、知らん振りをしていると、彼女はおずおずと話し出す。
「実は、お腹が空いてしまって......」
それは、俺に盗んで来いと言っているんだよね?
と言うか、散々食ったじゃないか!
結局、俺は溜息を吐きながら、露店のオヤジ達の隙を伺うのであった。