40 王城脱出
息が詰まるような汚臭が漂う地下牢。
身体に染みつきそうな汚臭にも嫌気がするが、そこにワラワラと現れた者達に台所の黒い悪魔と同類の嫌悪感を懐かざるを得ない。
人数にして四十人くらいだろうか。
見るからに悪鬼の集団と言ったところだ。
ここは遠慮なく、いや、容赦なく暴れさせて貰おうと、白靴下を履いたような右前足を一歩踏み出した処で、隣に居た白い星獣ロロカことロロカーシャが念話で意思を伝えてきた。
『ご主人様、ここはウチに任せるだギャ』
彼女はそう言うと、白猫サイズの身体を瞬時に巨大化させる。
その巨大化は身体が人間の大人サイズになった処で止まったが、彼女の姿は目にも止まらぬ動きで敵の集団へと襲い掛かる。
そんな彼女が敵の肢体を食い千切る速度は、俺の猫パンチや猫キックを凌駕するものであり、同じ獣として、少しだけ劣等感を持ってしまうのも事実だ。
「うぎゃ~~~」
「ぐおっ~~~」
「うげっ~~~」
敵の悲鳴や呻き声をバックミュージックに、俺はクラリスへと近付き、彼女の頬を優しく舐める。
すると、クラリスが汚れた手で俺を抱き締めようとして止める。
どうやら、自分の手が汚れている事に気付いたのだろう。
バカだな~。そんなことなんて気にすること無いのに。
そんな事を考えながら、彼女の汚れた手を見ながら、俺の身体を擦りつける。
「タイガ......助けに来てくれたのね。ありがとう」
クラリスは思いっきり両目に涙を溜めたまま、俺を見詰めて感謝の言葉を述べてくる。
「勿論だニャ。さあ、逃げるニャ」
彼女の言葉を愚問だと斬り捨て、俺は覚えたての詠唱を行う。
『癒しの女神トアラルア名を持って命じるニャ。この者の傷を癒し賜えニャ!』
魔法の発動を確認した俺は、クラリスに優しく尋ねる。
「足は如何かニャ? 動くかニャ?」
その言葉に、魔法の発動を認識できない彼女は首を傾げていたが、暫くして懸命に足を動かそうとし始めた。
しかし、無情にも彼女の足が動く事は無かった。
それを確認した俺が直ぐにビアンカに視線をやると、彼女はクラリスの前に背を向けた状態でしゃがむ。
そう、彼女をおぶるためだ。
これに関しては、初めから計画していたことだった。
治癒魔法で治れば良いが、もしそうでないならビアンカが背負うと決めていたのだ。
「じゃ、ビアンカ、行くニャ」
「ああ、了解だ! エロ猫」
ぐあ! シリアスに決めていたのに......全てが台無しだ~~~~!
「ぐにゃ~~~~ん!」
絶望の呻き声を上げていると、それを不思議に思ったクラリスが尋ねてくる。
「タイガ、如何したの急に。それにエロ猫ってなに?」
「いや、このエロ猫、オレの用足しを覗いてたんだ」
その質問に慌てて答えようとしたのだが、先に答えたのはビアンカだった。
てか、答えるな~~~~~~~~! 破滅だニャ~~~~~~~~!
「えっ? ホントなの? そんな事に興味があるの?」
止めてくれ~~~~! 全てが台無しだ~~~~! 俺の猫生が破滅だ~~~~!
「ないニャ~~~! 全くないニャ~~~~~~!」
そんな否定、いや、抗議を行った時だった。
俺の有能なる髭が異変を察知する。
「ニャーーーーーーー!」
すぐさま、その場を飛び退り、気配の後ろに回り込む。
「ちっ、猫だけあって、勘がいいの~~! でも、その皮を引ん剥いてやる!」
動物虐待はダメなんだぞ!
「その声はカルラか!」
隠形の術を使う者が居るらしいが、ビアンカはその恨み言の声から誰なのかを直ぐに察したようだ。
ん~、それにしても、見えないのは辛い。相手を察知して逃げる事は出来るけど、攻撃となるとそうもいかないんだよね。
そんな俺の懸念を察したのか、ビアンカがローブの中から何かを取り出して、それを即座に振り撒いた。
「な、なに、なによこれ!」
「悪いなカルラ、お前の隠形は厄介だからな対策を打たせて貰った」
「ちっ! この裏切り者が!」
「何とでも言え」
どうやら、ビアンカは彼女の隠形の能力を知っていたようで、彼女にキラキラ光る銀粉を付着させたようだ。
そのお蔭で、カルラという女の姿が良く解るようになった。
確か、この女、以前に俺の攻撃を高速で避けた奴だな。
奴の姿を認識できるようになった俺は即座に攻撃へと転じたが、奴の動きは俺と同等か凌駕する程の動きだった。
ところが、そんな事を考えた途端に、俺の脳裏には新たな唱が浮かび上がった。
俺は迷う事無くその詠唱を実行する。
『俊敏ニャ! 加速ニャ!』
それにより発動された魔法は、俺の動きを更に速くするものだった。
その効果を発揮して、俺は透かさず奴の足に猫パンチを喰らわすと、乾いた音が響き渡る。
「ぐあっ、く、糞猫が~~~!」
カルラは罵声を吐き出しながら、襲い掛かる俺に向けて左右の手に持った短刀を振り回すが、今の俺にそんな攻撃が当たる筈も無い。
「がふっ!」
最終的に、猫パンチを喰らって吹っ飛ぶ事になる。
更に、吹き飛んだカルラに止めを刺そうとした処で、ロロカから声が掛かる。
『こっちは終わっただギャ~』
ちっ、命拾いしたな。今はお前を始末する事より、クラリスを連れて逃げる方が先だからな。
心中で舌打ちをしながら、ビアンカに視線をやり急いで地下牢から逃亡するのだった。
汚臭を放つ地下牢から階段を駆け上がって地上にでると、そこには二百人近い兵士が待ち構えて居た。
その先頭に立っているのは、確かキャサリンと言ったかな。ロロカに右腕を食い千切られた女だ。
しかし、どうやらその右腕は復活しているようだった。
「魔道義手だな。それにしても対応が早いじゃないか」
キャサリンの腕を見たビアンカが即座に告げてきたが、俺はそんな魔道具があるなんて知らなかった......
「ぐっ、魔獣め! かかれ!」
キャサリンはロロカを睨み付けた後に、兵達に一斉攻撃の号令を飛ばした。
「ここは、逃げる事を優先するニャ」
襲い掛かって来る兵達を見遣りながら、今まさに迎え討とうとしていたロロカに告げる。
その言葉を聞いて、ロロカはとても残念そうな表情となりながらも、己の身体を巨大化させるが、次の瞬間、煌く星空が一瞬にして消えて無くなった。
『結界だギャ~!』
ロロカの叫び声で、直ぐにその原因を理解する。
「くそっ、こっちの手の内を知ってる奴が居るな」
「逃がさないつもりのようだニャ。でも、それは愚策ニャ。ロロカ、思いっきり遣るニャ」
『了解だギャ~~~~~~~~~!』
俺の声を聞いたロロカは、待ってましたとばかりに、兵士の群れに突撃していく。
そう、ここでロロカを閉じ込めると被害が甚大になるだけだなのだ。
大人しく逃がした方が被害が少ないだろうに。
そんな事を考えていると、後方から男の声が聞えてきた。
「ビアンカ、残念だ。お前を犯す時間がないようだ」
確か、この声は俺が猫パンチで寝かせた奴だな。てか、あの時、サクッと始末しとけばよかった。
「ちっ、死ね! 下種が!」
クラリスを背負ったビアンカが、とことん嫌そうな表情で吐き捨てる。
ビアンカ、お前の気持ちは良く解るぞ。
心中でビアンカに同情しつつも、猫パンチをその男の顔面に炸裂させる。
すると、猫パンチを喰らった男は、他愛もなく吹き飛んで行く。
「少しスッキリしたぞ。エロ猫!」
「だから、エロ猫いうニャ!」
「ううう......タイガがそんなに悪趣味だとは......」
ぬお~~~~~~~! 俺のアイデンティティが~~~~~~~!
『グアォーーーーーー!』
俺が白ソックス調の両足で頭を抱えていると、ロロカの雄叫びが場内の空気を震わせた。
直ぐに視線をそちらに向けると、彼女の視線の先に、小型のロロカを連れた少女が立っていた。いや、その獣はロロカと違って一本角だし、体毛の色が真っ黒だった。
『ね、ね、ねえ、姉様~~~~~~!』
『このバカ妹ギャ~~~~~~~!お母んがカンカンなんだギャ~~~~~!』
その黒い獣は、ロロカを前にしてビクビクして、尻尾を股の間に入れている。
しかしながら、完全にビビっている黒い獣の隣に立つ少女が、不敵にも和やかに笑っているのが不気味だ。
「あら、猫ちゃんじゃない。どうやってここまで来たの? ダンジョンに居ると思ってたのだけど」
誰だ? この少女。 記憶にないのだが......
疑問に思っている俺が沈黙していると、少女は続けて話し掛けてきた。
「なにその顔、もしかして私の事を忘れたのかしら」
いや、全く記憶にございません。だから、答える気もありません。
「あれ? 無視? 無視なの? でも、その左足の輪は猫ちゃんと同じよね?」
それでも答える気はありません。早く消えて下さい。
ところが、その不敵な少女をシカトする俺に、ビアンカが小声で知らせてきた。
「あれはニルカルアの使徒だ。気を付けろよ」
ふむ。あれが使徒なのか。なら見た目通りの齢じゃないという事だな。
そんな観察を続けていると、その使徒は少し怒った表情で話を続けてくる。
「もしかして違うの? でもそっくりよね? まあいいわ。違う方が遣り易いもの」
勝手に自己解決したその使徒少女は、何処からか銃を取り出して引き金を引く。
その途端、俺の背筋が凍る気がした。
すると、また脳裏に唱が思い浮かんでくる。故に、その魔法を即座に発動させる。
『結界ニャ!』
間一髪、使徒少女が放った攻撃をドーム状の結界で防いだのだが、その炎の弾は結界にぶつかった瞬間に結界を覆う程の威力を持っていた。
「なんて威力なんだニャ」
視線を結界の外に居るロロカへと向けると、黒い獣と追いかけっこを演じていた。
おいおい、それどころじゃないってのに......
「あら、手も足も出ないの? 本当に猫ちゃんじゃないのかな? だったら、さっさと終わらせましょう」
使徒少女はそう言うと、立て続けに魔銃を撃ち放ってきた。
それは次々に結界にぶち当たると弾き返されるが、その攻撃力の所為で結界に歪が出始めている。
「くっ、結界がもたないニャ。ちょっと、俺が突撃してくるから、隠れてるニャ」
ピンチと悟った俺は、ビアンカにそう言うと、俊敏魔法を発動させて一気に走り始める。
「ちっ、速いじゃない猫ちゃん! 暗転!」
俺が使徒少女に迫ると、彼女は舌打ちをしながら、良く解らない魔法を発動させる。
その瞬間、彼女は真っ黒な暗闇の中に姿を消す。
こうなると、こちらも打つ手がない。
というのも、その暗闇は五メートル立方体だったが、その中の何処に居るかが解らないのだ。
「厄介な魔法だニャ」
そう愚痴を溢した途端、その闇から魔弾が撃ち放たれる。
即座に避けるが、奴からの攻撃が次から次へと放たれるので、対策を考える暇を与えてくれない。
二進も三進もいかない状況で焦れていると、またまた脳内に唱が流れる。
俺は即座にその詠唱を口遊みながら、黒い立方体へと突入する。
『我が望むのは、全ての盾を打ち消す完全消失の力ニャ。解除ニャ』
すると、暗闇が瞬く間に消えて無くなる。
このチャンスを逃すと拙いな。
飛び込んだ勢いをそのままに、使徒少女に向かって猫パンチを喰らわせようとした処で、使徒少女の口がニヤリと吊り上がる。
「遣りなさい!」
使徒少女がそう言い放った次の瞬間、俺の身体が痺れて動かなくなる。
その衝撃は最早攻撃する処の騒ぎでは無く、着地すら真面に行えずに地に転がる。
そんな俺に向かって使徒少女が嬉しそうに告げてくる。
「甘いわよ。猫ちゃん。あの猫ちゃんとは違うようだけど、詰めが甘い処は良く似ているわ」
何の事だか解らないが、彼女が何等かの手を打ったのだろう。
「次はあの白い獣よ! 遣りなさい!」
俺の前で仁王立ちする使徒少女がそう言うと、物凄い稲妻が発生してロロカに突き刺さった。
その一撃で、ロロカも堪らず倒れてしまったようだ。
くっ、どこから狙ってるんだ?
そんな思いで周囲に視線を巡らせると、ビアンカが倒れているのが目に映る。
更に、その後ろに立つクラリスの姿に驚愕する。
何故なら、倒れているビアンカの後ろに、クラリスが竪琴を持って立っていたからだ。
えっ、彼女は足が動かない筈では?
治癒魔法でも治らなかった筈なのに......なぜだ!?
「あ、猫ちゃんがまだ元気そうだから、もう一発やっちゃって」
無情にも、使徒少女がそう言うと、無表情のクラリスが竪琴で綺麗な音楽を奏でる。
その透き通るような音が響き渡ると、俺の身体に痛みと衝撃が走る。
どうやら、稲妻に撃たれたようだ。
う~~、万事休すだ。尻尾すら動かせない......
しかし、使徒少女は容赦が無かった。
俺の腹に、その小さな足を思いっきりぶち込むと、高らかな笑い声を上げる。
「あははははは。猫ちゃん、やっぱり偽物なのね。でも、悪く思わないでね。サクッと殺してあげるからね。きゃはははははは」
腹を抱えて笑う使徒少女は、動けない俺へと銃口を向ける。
「バン!」
その使徒少女の声と共に放たれた魔弾で、俺は肉片をバラ撒きながらぶっ飛んでいく。
くそっ、何だってんだ。
クラリスは助け出すことが出来なかったし、体中は激痛で死にそうだし、いや、これは生きてる方が不思議だな。てか、もう死ぬだろう。
無念の思いで瞼を閉じた時、懐かしい声が聞えてきた。
優しい声、しかし、その声を聞くと泣きそうになってくる。
女神の様な透き通る声。
心を和ませる声。
何もかもを癒す声。
『ミユキ、いつまで遊んでるかしら? もう寝坊助さんなんだから。そろそろ起きなさい』
ああ、トアラ......
ああ、蘇ってきた。
ああ、何もかもが鮮明に理解できるようになってきた。
そうか、俺は魔神の呪いに掛かってたんだな。
だけど、もう大丈夫だ。絶対に何とかしてみせる。
『癒しの女神トアラルア名を持って命じるニャ。愚かなる我の命を救い賜えニャ!』
身体が酷く痛む。
しかしながら、その苦痛は身体が瞬く間に再生してる証拠だろう。
痛む身体に鞭を打ち、空中で身体を反転させて四足で地に降り立つ。
「えっ! あの傷が......なんで治るのよ。クラリス、遣りなさい!」
俺の復活に驚く使徒少女は、透かさずクラリスへと命じる。
すると、無表情の彼女は竪琴で美しい音色を響かせる。
次の瞬間、俺に向けて稲妻が落ちてくるが、それは当たる前に打ち消される。
そう、左手に持つ闇帝で切り裂いたのだ。
瞬時に人間化した俺は、左の闇帝で雷を打ち砕きながら、エルカを見据えている。
そんな俺の姿を見たエルカは、表情を酷く歪ませていたが、俺には関係ない。いや、心地よい気分だった。
そう、今のエルカは敵対する者なのだから......それもニルカルアの使徒なのだ。
「クラリス、休まずに撃ちなさい」
焦るエルカが必死になってクラリスに指示を送るが、クラリスが竪琴を奏でる事は無かった。
刹那の間に、移動した俺が当身で寝かせたからだ。
「次はエルカ、お前だ」
「メル! 来なさい!」
その声を聞いたエルカは、弱ったロロカと戦っていたメルティを急いで呼ぶ。
しかし、逃げる時間は与えない。今の俺はそれほど甘くないのだ。
「炎帝!」
「黒障壁!」
俺の右手に握られた炎帝をエルカに向かって振り切ると、彼女は即座に魔法を発動させた。
それは、円柱型に彼女を囲む黒い障壁だった。
それを見た俺は即座に左の闇帝を振り切る。
「闇帝!」
「黒厚!」
エルカは黒い障壁に囲まれていても俺の姿が見えているのか、俺の攻撃に合わせて次の魔法を発動させると、闇帝の一撃は障壁の手前の地面を砂へと変えた。
どうやら、上から圧力を掛けて闇帝の見えない刃を地に落としたのだろう。
「黒星雨!」
今度は彼女の方から、俺の知らない魔法が放たれる。
すると、無数の黒い弾が俺に降り注ぐ。
「聖結界!」
上位の結界を張ってその攻撃を防ぐと、エルカを守っていた黒い障壁が消えて無くなっていた。いや、それだけではなかった。
エルカは勿論、メルティの姿すら消えて無くなっていたのだ。
どうも、彼女達は逃げる事を選択したようだ。
『ご主人様~~。痛いだギャ~~~』
誰もいなくなった周囲を確認していると、身体の彼方此方を傷だらけにしたロロカが近付いてきた。
『癒しの女神トアラルア名を持って命じる。この者の命を救い賜え!』
透かさず完全回復魔法を掛けてやると、行き成り俺に飛び掛かって来る。
『あ~ん。最高だギャ~! 流石、ご主人様~~! それにカッコイイだギャ~!』
「いや、俺はトアラじゃないからな。彼女は洞窟に閉じ込められている」
『えええ~~~~~~~!』
「まあいい。ここを逃げ出すぞ」
そう言いながら、左手に持つ闇帝を空に向けて振り切る。
すると、星々がその美しさを俺達に見せ付けるかのように現れた。
猫の姿に戻った俺は、倒れているビアンカに癒し魔法を掛けて遣り、元気になったロロカに乗って城から抜け出す。
星降るような夜空をロロカに乗って飛び去りながら、ウエルーズ王国の王城を見遣り、次こそは逃がさないと決意の言葉を口にするのだった。




