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39 奪還作戦


 カビと糞尿ふんにょうの臭いがただよう。

 周囲は石に覆われ、辺りは薄暗い空間。

 通路側の壁を鉄格子で覆われたこの場所は、王都ディロンにある王城の敷地に設けられた地下牢獄。

 出来れば、こんな悪臭漂う場所には来たくないのだけど、捕らえてきた少女が居るとなれば、こんなゴミ溜めのような場所に足を踏み入れるのも致し方ない。


「この娘です」


 感情の篭らない声で、そう告げてきたのはカルラという盗賊の少女だった。

 あの面倒臭いキャサリンという女は、少女をさらう時に怪我を負ったらしくて、今は修道女のアイリーンが治療を行っていると聞いている。


「ふ~~ん。唯の娘に見えるけど、まあいいわ。取り敢えず、ご苦労様」


 牢獄の中には水色の服を着た少女が座っている。

 年齢的には私より年上に見えるけど、私の実際の齢から考えると小娘というより、赤ちゃんと言った方が良い年齢ね。


 いえ、年齢の話は辞めましょう......


「それと、白い獣に遣られたというのは本当なのかしら?」


「はい。キャサリンが右腕を食い千切られました」


 カルラはその表情を憎しみのものに変えたけど、言葉だけは淡々と発した。


『姉様だよ。拙いよ。あれが出てきたら、うちじゃ敵わないかも』


 私の可愛いメルティが焦った声で伝えてくる。

 確か、メルティの姉は、トアラルアの使徒だったわね。

 それは本当に拙い事になったわ。


「あの、使徒様」


 気が付くと親指の爪を噛んでいた私に、カルラが話し掛けてくる。


「何かしら」


「ビアンカと猫の始末は継続で良いでしょうか」


 そうね~、カルラの言う話が本当なら、今更、手を割いてまで始末するというのは、ただただ面倒なだけなのだけど......


「継続でいいけど......」


 私が継続というと、カルラの憎々し気な表情がパッと明るくなった。


 この娘の思考回路は私にも意味不明だわ。


「けど、とは、何か御座いますか」


「恐らくだけど、態々《わざわざ》出向かなくても、向こうから来るんじゃないかしら」


 そう、私の勘が、奴等はこの少女を取り戻しに来ると言っている。


「えっ? 彼女達が取り戻しにくると?」


「そう考えてるわ。そうでないと、ビアンカが少女を連れて逃げた理由が解らないもの」


 カルラは私の言葉に驚いているけど、何を驚く必要があるのかしら。

 だって、ビアンカは一人で逃げる事が出来たのに、少女を連れて逃げる事を選択した。だったら、奪い返しに来るに決まってるわ。

 ただ、彼女が何を考えて少女を連れて逃げ出したかは不明だけど。

 確か、ビアンカにはこの少女の有用性なんて教えてない筈だから、他にも理由がある筈なのよね。


 私がそんな事を黙考していると、カルラが再び問い掛けてくる。


「では、待っていればいいと?」


 この子も、イマイチよね。だから、教えてあげるの。如何すれば良いかを。


「そうね。でも、ただ待つだけでは駄目かな。ちゃんとお出迎えをしてあげないとね」


 その言葉を理解したカルラは、黙って頷いたかと思うと、その場から姿を消した。

 ああ、この場合は比喩ひゆで無く、本当に姿が見えなくなったのよ。


 それはそうと、きっと、彼女達だけでは太刀打ちできないでしょうね。

 だって、メルが恐れる程の星獣が来るのだから。

 さて、どんな対策を打とうかしら。

 ふふふ。この処は退屈していたから、とっても楽しみだわ。







 目の前は真っ白な世界だ。

 その世界は荒い吐息と蒸せる匂いを漂わせていた。

 更に、べちゃべちゃと粘性のある液体が付着する。


『会いたかっただギャ~、ご主人様~~~~!』


 ぐあ~~、何だ。何なんだこの白い獣は......てか、だぎゃって、お前は名古屋人か!?

 こら、そんなに舐めるんじゃない。俺はキャンディじゃないぞ~~~~!


『ご無沙汰しておりましただギャ~。ご主人様。ずっと探し回ってましただギャ~』


 てか、この獣はなんだ? それにご主人様ってどういうことだ?


 この白い獣は如何見ても、普通の動物には見えない。

 しかし、それについては、俺の知識が自然と答えを出してくれた。

 これは星獣だ。顔の作りは何処か犬のようだが、瞳は猫といった感じで、猫より少し間隔の広い両耳の直ぐ上あたりからは、曲がりくねった二本の角が前に突き出している。


 ん~~、なんと言えば良いだろうか、男牛の角みたいな感じと言えばよいのかな?

 いや、そんなことよりも、俺の顔が涎だらけに......

 お願いだから、俺を放してくれ......


「お、お前は、ニルカルアの使徒じゃないのか?」


 ビキニアーマー戦士ビアンカが、恐る恐る白い獣に声を掛けると、その白い獣が即座に顔を上げて答えた。


『なに!? メルティがいるだギャ? もう真っ黒になってただギャ?』


 何の話をしているのか解らないが、今はそれ処じゃないだろ。


 白い獣が顔を上げたタイミングで、その懐から抜け出して倒れているミトのそばへと近寄る。


 ぬっ、拙い、このままだと死ぬんじゃないか? 背中からバッサリと遣られていて、相当な血が流れ出ているぞ。


 そう思った俺が、何時までも白い獣と向き合っているビアンカに視線をやると、彼女はそれに気付いたようで、俺の傍へと遣ってくる。

 しかし、彼女はミトを見ると、静かに首を横に振る。


 それは、手の施しようが無いという合図なのだろう。

 それでもここまで一緒に遣って来たのだ。何とかして助けて遣りたい。


 無念の思いでミトのほおめていると、白い獣がゆっくりと歩いてくる。

 その姿は、まるで猛獣もうじゅうが俺を狙ってやって来ているように見えるが、その獣は俺の傍に座ると首を傾げたまま念話を飛ばしてきた。


『どうしただギャ~? 早く治癒ちゆしないと死んじゃうだギャ~』


『いや、その方法が無いから困ってるんだニャ』


 俺の返事を聞いた獣が驚いた表情となる。


『何を言ってるだギャ~。ご主人様なら簡単なことだギャ~』


 お前こそ何を言ってるんだ? 抑々、なんで俺がご主人様なんだよ。


『お前のご主人様って、いったい誰だニャ。多分、俺は違うニャ』


 獣に向けてそう返してみたのだが、奴は俺の倍以上ある頭を頬に擦りつけながら、その事を教えてくれた。


『ウチのご主人様はトアラルア様だギャ。ご主人様こそウチを忘れただギャ?』


 トアラルア......聞いた事のある名前......いや、なつかしい名前......

 俺の知識では、トアラルアとは癒しの女神、そして、白の女神となっている。

 それが俺だと? いや、違う。それは違うという確信が俺の中にある。


『俺はトアラルアじゃないニャ。なんで、俺を彼女だと思ったんだニャ?』


『匂いがするだギャ~。ご主人様の匂いだギャ~。大好きな匂いだギャ~~~~』


 ぐあっ! だから、顔をしゃぶるな~~~~!


 でも、トアラルアという響きで何かを思い出せそうだ。

 俺は何をしたいんだ? ミトを助けたい......ミトを治癒したい......これは......


 ミトを助けたいと考えていた俺の脳裏に詠唱えいしょうが浮かんでくる。そして、俺は迷う事無くその詠唱を口遊くちずさむ。


『癒しの女神トアラルア名を持って命じるニャ。この者の命を救い賜えニャ!』


 頭に浮かんだ詠唱を口にした途端、その奇跡が起こった。

 ミトの背中をバッサリと切り裂いていた傷が、瞬く間にふさがっていく。


「な......」


 それを目の当たりにしたビアンカの声が止まり、その表情が唖然あぜんとしたものとなる。


『ほら、ご主人様なら造作もないことだギャ~』


 全く驚く様子の無いその白い獣は、再び俺に乗り掛かろうとするので、瞬時に飛び退く。

 その様子は、こっそり後ろに置かれたキュウリを見て驚いた猫ほどに俊敏な動作だった。


『あ~~ん、逃げないでだギャ~~~』


 悲しい表情? で、苦言を述べてくる獣から、いつでも逃げられる体勢を取ったままで問い掛ける。


『お前の名前は?』


『ウチは、ロロカーシャだギャ。ロロカって呼んでだギャ。それとメルティは不肖の妹だギャ』


「な、あのニルカルアの使徒が妹? それに、お前は何の使徒だと言ったんだ? 聞こえなかったんだが」


 ロロカーシャという獣の念話を聞いたビアンカが、驚いた様子で話しに割り込んでくる。

 すると、ロロカはお座りしたまま、欠伸を一つすると、面倒くさそうに説明する。


『トアラルア様の名前は使徒じゃないと聞こえないだギャ~。そういう風にニルカルアが世界を作り替えただギャ~。あと、あのバカ妹はウチがらしめるだギャ。ウチら星獣は悪行あくぎょうを重ねれば重ねるほど、身体の色が黒くなっていくギャ。あのバカはもう真っ黒の筈だギャ~』


「ああ、真っ黒だったな」


『うむ。真っ黒だったら、ぶっ飛ばせっておんに言われてるだギャ』


「あ、あれ? 私は......えっ、これは血? きゃ~~~~~!」


 ロロカとビアンカが話している最中にミトが目を覚ましたのだが、自分の血を見て卒倒したかと思うと、そのショックで再び意識を失った......


 う~ん。助かったのは良いが、それはそれで面倒な娘だな。


「エロ猫、それで如何するんだ?」


 面倒な娘が静かになったところで、ビアンカは今後について尋ねてくるのだが......


 てか、エロ猫いうな~~~~~! てか、それどころじゃないな......


「なあ、ビアンカ、何であの国は彼女を狙うニャ」


 気を取り直してビアンカに、根本的な話を尋ねたのだが、彼女は首を横に振る。しかし、別のヒントを与えてくれた。


「奴等がクラリスを狙う理由は解らん。ただ、あの国は隣国に戦争を吹っ掛けようとしているようだ。それも聖戦という名をかたってな。そのために神器を集めてたんだ。彼女もきっとそれに関わる何かがある筈だ」


 なるほど......って、良く解らんけど、ウエルーズ王国に彼女を渡すとろくでもない事だけは、嫌というほど解った。


 というか、それが無くても、元々助け出すつもりだけどな。


「俺はちょっと助けに行って来るニャ」


 ビアンカはその言葉に驚く事無く、ゆっくりと頷いて答えてきた。


「エロ猫ならそう言うと思ったぞ。流石はエロ猫だ」


 だから、エロくね~~~! エロ猫、エロ猫って連呼するんじゃね~~~~~!


 クラリス救出の決断を行う格好いいシチュエーションで、俺は悲痛な叫びを上げるのだった。







 星空が輝く夜空を俺達は飛んでいた。

 足元はふさふさの白い毛に覆われて、まるで柔らかい絨毯じゅうたんのようであり、心地よい暖かさが伝わってくる。

 なんと、俺達はロロカの背中に乗って夜空を駆け巡っているのだ。


 結局、クラリスを助けると決めた時点で、ロロカは参加する気満々だったのだが、そこにメルティという妹がいると聞くと、自分だけでも行くと興奮し始めたのだ。

 ただ、如何やって行くかという話になった時、ロロカが自分に任せろと言ってきた。

 彼女は自信あり気な表情でそう言うと、暗くなるや否や、唸り声を上げたかと思うと、その体を中型トラックサイズまで巨大化させたのだ。

 その光景を目の当たりにして、俺とビアンカは唖然となり、やっと復帰したミトは再び眠りの世界へと旅立ったのだった。


 そんな騒動もありつつ、みんなでロロカの背中によじ登って出発となったのだが、その空を飛ぶスピードは速い速いと大騒ぎする程に圧巻だった。


「じゃ、私は王都外に待機でいいのですか?」


「そうだニャ。潜入するなら、不慣れなミトは居ない方がいいニャ」


「分かりました。私も足手まといには、なりたくないですから」


「悪いニャ」


『そろそろ到着するだギャ』


 ロロカの背中で作戦会議を開いていると、空を駆ける彼女から到着を知らせる念話が届いた。

 俺達は、王都の近くにある平原にミトを降ろし、再び空から王城へと向かった。


「このまま飛んで行ってもバレないかニャ?」


「恐らく大丈夫だろう。奴等もまさか空から来るとは思っていないだろう」


 俺の疑問にビアンカが答えてくる。

 そう、俺達は空から城に潜入しようと考えているのだ。


「それはそうと、クラリスは何処に居ると思うニャ?」


「分からんが、一番有力なのは牢獄ろうごくだろうな」


「歩けない少女を牢獄に......」


「奴等に人情なんてものは期待するな」


 クラリスの居場所を聞いてみたのだが、ビアンカの返答を聞いて胸糞むなくそが悪くなってきた。

 俺的には、容赦なく暴れたくなってきたのだが、多勢に無勢は避けたいところだ。


「牢獄の場所を知ってるかニャ」


「ああ、それは任せろ」


 抑々、このビアンカという女を信用していいのかという問題があるのだが、俺の勘がそれについては問題ないと言ってるんだよな。

 まあ、ロロカが強そうだし、空も飛べるから、最悪のケースになっても逃げる事は出来るだろう。


「ロロカ、あの塔の辺りがいい」


『分かっただギャ』


 場内に詳しいビアンカの言葉に、ロロカは素直に応じている。

 それも、不思議なのだが、もしかしたら俺という存在の所為かな?

 まあいい、それよりも、さっさとクラリスを奪取だっしゅして逃げ出そう。

 

 だが、出てきた奴等には容赦しない。目に物を見せてやる。


 無事に王城の敷地に降りると、ロロカが瞬く間に縮んでいく。

 どこまで縮むのかと思ったら、オレと同サイズまで小さくなった。

 立派だった二本の角も小さくなり、まるで白い猫みたいだ。

 しかし、俺は何故か嫌なものを見たような気分になる。

 更に、何故か脳裏では『ダンニャ~~~』という言葉が響き渡ったような気がする。


 や、ヤバイ、なんか幻聴げんちょうが聞えてきた......もしかして、俺って末期なのか?

 いや、さっきのは空耳だ。気にするな。大丈夫、大丈夫だ。


「どうしたんだ? 頭でも痛いのか? エロ猫」


『ご主人様、しきりに首を振って如何しただギャ?』


 ビアンカとロロカがいぶかし気な表情で俺を心配してくるが、一鳴きだけ返して歩みを進めた。


 てか、エロ猫いうなって~~~~~~!


 心中で俺の悲鳴が響き渡っているのだが、それを無理矢理に抑えつけて牢獄の場所へと向かう。

 どうも、牢獄の場所は城の地下では無く、敷地内の塔の地下にあるようだ。

 ビアンカは城へと向かわず、塔の方向へと用心しながら進んでいる。


「なんか、怪しいな」


 植木や花壇に隠れながら塔へと進んでいると、ビアンカが不審だと言い始めた。


「何が怪しいニャ?」


「警備の兵が見当たらない。あれだけ躍起やっきになって捕らえたんだ。厳重げんじゅうな警備を行うのが普通だろ?」


 ビアンカの推察すいさつは、まさにその通りだと言えるだろう。

 だが、ここで引く訳にはいかないし、罠だとしても強行突破するしかないのが、現在の俺達に与えられた状況だと言える。


「作戦の変更はないニャ」


「そうだな。チャンスはそれほど多くないだろうしな」


 無茶な返答だが、ビアンカは否定する事無く頷いてくる。

 そうして、塔の前にいた衛兵を猫パンチで沈黙させて、地下へ通じる階段を下りる。


『酷い臭いだギャ』


 それまで黙って付いて来ていたロロカが苦言を口にする。

 確かに、最悪の臭いだ。てか、おおよそ人間の居る場所では無いと言えるだろう。


「こんな場所にクラリスを......許せんニャ」


 クラリスの状況を考え、思わず殺気に満ちた声が漏れてしまう。

 しかし、それを気にする事無く、先を歩くビアンカが小さな声で伝えてくる。


「あそこだな」


 その声に、俺は周囲を警戒しながらも、急いで前に飛び出す。

 すると、眼前の鉄格子の奥には、攫われた時の服を着たままの少女がうつぶせに転がっていた。

 それも、彼女の腕には手錠が掛けられ、足にも枷が付けられていた。

 それを見た瞬間、俺の心の炎は何もかもを焼き焦がす程の熱を発する。

 更に、気が付くと、知らない筈の魔法を発動させていた。


『我が望むのは、何人たりとも妨げざる世界ニャ。解錠ニャ』


 その魔法が発動した途端、格子状こうしじょうの扉の鍵がカチャリと開き、クラリスをいましめていたかせが外れる。

 それに気付いたクラリスが顔を起すと、俺達の姿を見詰める。

 しかし、薄暗くて良く解らないのだろう。


「だ、だれ。私は何も知らないわ」


 クラリスは怯えた表情で声を漏らす。

 恐らく、とても怖い目に遭わされたのだろう。

 痛む心を抑えつけながら、彼女に優しく声を掛ける。


「クラリス、大丈夫かニャ。助けに来たニャ」


 その声を聞いた途端、クラリスは上半身を勢いよくこちらに投げ出して叫ぶ。


「だめ! タイガ、逃げて! 罠なのよ!」


 彼女の声が牢獄に響き渡った時、彼方此方あちらこちらの牢からワラワラと兵士が出て来るのだった。


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