37 逃走の始まり
豪華とは言えないが、それなりに調度の整った部屋。
ここはウエルーズ王国の王都ディロンにある王城の一室だ。
それほど良い部屋ではないが、オレ達の様な者に王城の一室を与えてくれるだけマシだろう。
「今回はとんだ不手際ですね。ビアンカ」
オレの前では、豪奢な金髪を三つ編みで一本に束ねた女が睨み付けている。
ハッキリ言って、この女騎士は苦手だ。
規律だの、騎士の心得だの、女の嗜みだの、色々と口煩くて敵わない。
元来、流れの傭兵を家業としているオレに取って、このキャサリンという女騎士は面倒臭いにも程がある。
ところが、この女騎士は勇者付きらしく、否応なしにオレ達の担当となっている。
抑々、オレはお前の部下じゃね~ての。
いやいや、それだけでは無い。更に質の悪い事があるのだ。
それは、勇者と行動を共にすると、発生した失敗を全てオレの所為にしやがることだ。
内心で憤慨しながら当の勇者を見遣ると、そのいやらしい視線で侍女の胸や尻を追い掛け回している。
本当に最悪の男だよな! 叩き斬ってやろうか! てか、あの恐ろしい存在と出会った時に助けるんじゃなかったぜ。
大体、奴が聖剣を紛失したのも、オレの所為となっているようだしな。
くそっ、こんな仕事、受けなきゃよかったぜ。
行く先々で猫に襲われるし、本当にサバトラ柄の猫がトラウマになりそうだ。
「それで、現在はどんな状況なんですか?」
「ああ、カルラが探しに出てるよ」
顰め面のキャサリンにそう答えると、座り心地の悪いソファーに身を投げ出す。
すると、オレの邪魔臭い二つの胸が揺れるんだが、即座に勇者の視線が突き刺さる。
糞うぜ~~男だ。仕事じゃなけりゃ、速攻で切り落としてやるのに......
「カルラ一人で大丈夫ですか? 彼女はかなり病んでますよ?」
オレとキャサリンの話を聞いていたアイリーンが、心配そうな表情で尋ねてくる。
まあ、その気持ちも分からんでもない。
なにせ、カルラときたらあの神殿からこっち、サバトラ柄の猫を見ると虐殺しようとしやがるからな。
右手首を切り落とさたことを異様に怨んでいるようだ。
「まあ、猫が死ぬくらい何の問題ないだろ」
オレの胸から視線を外したバカ勇者がアイリーンの問いに答えるが、オレからするとお前が死ぬ事の方が問題ないだろと言いたくなってくる。
お前よりは、猫の方がずっと可愛いっての。
「それにしても、またサバトラ柄の猫ですか......」
「暗くて良く分からなかったが、その姿は見たぞ」
キャサリンの声に返事をしつつバカ勇者を見遣るが、そのバカはどこ吹く風といった表情で侍女に視線を戻していた。
ちっ、本当に......くそっ、死ねばいいのに。
バカ勇者は猫に遣られたと言いたくないらしく、標的の所に猫が居たことを一切口にしないのだ。
視線をキャサリンに戻すと、隣にいるアイリーンが申し訳なさそうにしていた。
というのも、このエロいだけが取り柄の勇者を召喚したのは、何を隠そうこの助祭アイリーンなのだ。
本当に、ニルカルア教は腐ってやがる。
まあいい。それよりも、話を本題に移そう。
「キャサリン、抑々、なんであんな足の動かない少女を狙うんだ?」
「さあ、私は存じません」
ちっ、しれっとした顔で嘘を吐きやがる。
オレの感が嘘だって言ってるぞ。この腐れ女が!
しゃ~ね~、質問を代えるか。
「じゃ~この国は神器なんて集めて、何をおっぱじめる気なんだ?」
「さあ、私は一介の騎士ですので、国の目的など存じません」
嘘つけ! お前等はニルカルア教と結託して聖戦を起すつもりなんだろ?
まあ、あの腐れ神器を使うとは思えないが......
だって、あれを使ったら国を落とす意味がなくなるからな。
それに、あの恐ろしい少年......
「で、あの猫は何者なんだ? あの人間に変身してたんだよな?」
「はい。あれは邪神の使徒です。早急に葬る必要があります」
その質問に速攻で答えてきたのは、厳しい表情を露わにするアイリーンなのだが、オレに取っては、ニルカルア教の方がよっぽど胡散臭いっての。
だが、ここでその話をしても揉めるだけだし、それは棚上げして次の質問にいくか。
「例の猫はどうなってるんだ?」
そう、死国で遭遇した猫の事だ。
ハッキリ言って、奴は半端ない。いや、奴等はと言った方がいいな。
数々の戦場で戦ってきたオレには解る。
奴等は歴戦の勇士をも超える存在だ。
生半可な戦力では倒せないだろう。
「偵察隊の話では、未だにアルルのダンジョンに篭ったままのようですね」
キャサリンの言う偵察隊が真面目に働いているのなら、この王都ディロンに居る猫は別物か......だが、やたらとよく似ていたな。
でも、オレ達と遭遇した時、見知った者を見たような風ではなかったな。
やはり、別物か......となると、何処かでサバトラ柄の猫を強化する施設でもあるんじゃないか?
そう思える程に、あの猫は在り得ないくらいに強いからな......
「ただいま~」
「お帰りなさい」
何故か窓から戻って来たカルラにアイリーンが返事をするが、オレの鼻は血の臭いを感じ取った。
「如何でした?」
「見つかったのか?」
勘の鈍いキャサリンとバカ勇者が喰い付く様に問い掛ける。
全員からの視線を受けたカルラは、トトトっと歩いてオレの向かいに置かれたソファーにドサリと座り、大あくびの後に愚痴を溢し始めた。
「まあね~。もう大変だったよ~~! お腹が空いちゃった~」
どうやら、見付けたようだな。
オレとしては見つからない方が良かったのだが、これもあの少女の運命なのだろう。
哀れな少女に若干の同情を感じながらも、オレはカルラに問い掛ける。
「で、何匹殺したんだ?」
「ん? 何の事かな?」
カルラに猫を殺した事を追及すると、彼女は惚けた様子で知らない振りをしている。
まあ、この娘は一番狂ってるからな。
手を切り落とされる前から、心中に狂気を宿している娘だ。
それを巧みに隠しているつもりなのだろうが、オレには解るんだよ。
どうやら、そろそろこの国に見切りをつけた方が良さそうだな。
だが、ここまで知ってしまっては、簡単には足抜けさせて貰えそうにない。
さて、如何したものだろうか。
この国の何もかもに嫌気が差してきたオレは、逃亡の方法について黙考するのだった。
今日も良い天気だ。
古惚けた木製の窓枠に填め込まれた透明度の低いガラスから、暖かい陽が射しこむ。
本当に日向ぼっこをするには最高のシチュエーションだと言える。
猫に成って本当に良かったよ。
しかし、そんな俺の安息を邪魔する者がいる。
「タイガ! いい加減に本当の事を言いなさい」
声の主へと視線だけをチラリと向ける。
そこには、ベッドに座るクラリスの姿があるが、起きてからというもの一日中あの有様だ。
どうも、俺が普通の猫じゃない事に勘付いているようで、頻りにああやって問い詰めてくる。
可哀想だけどちょっと面倒になって、彼女の手の届かない処で日向ぼっこと洒落込んでいるのだ。
「もう、タイガの意地悪! どうせ私の言ってる事も理解してるんでしょ!」
ああ、勿論、理解してるさ。だけどねぇ~、俺も猫としての生活を捨てたくないのだよ。いや、それ以前に自分でも解らないんだニャ~。
「あの~お嬢様、あまり大きな声を出すと......」
「あっ、ごめんなさい」
クラリスの大きな声に、彼女の実家であるメッサーニ伯爵家の侍女がおずおずと諫めている。
「では、私は買いものに行ってきますので、鍵は私が掛けて行きますね」
彼女はクラリスが素直に謝罪すると、食料の買い出しに出掛けた。
そう、ここは侍女であるミトが借りているアパートの一室なのだ。
昨夜、賊に襲われたメッサーニ伯爵の屋敷から、彼女に手伝って貰ってここまで逃げてきたのだ。
しかし、賊の口振りからすると、奴等の狙いがクラリスである事が予想される。
だって、伯爵を殺したのに、彼女の事は連れて行くと言っていたからね。
何が目的でクラリスを狙っているのかは知らないが、十中八九は彼女が標的だと考えられる。
故に、なんとかして逃亡したいのだが、彼女は見ての通り歩くことが出来ないのだ。
確か、昨日聞いた話しでは、三年前の事故で歩けなくなったのだという。
それよりも、これから如何するかだな。
こんな場所では直ぐに見つかってしまうだろう。
仮に彼女を連れて逃げるにしても、ミトが背負って逃げる事になるだろうし、馬車でも無ければ到底逃げられるとは思えない。
幾ら、俺が普通の猫よりも優れた超猫だとしても、彼女を背負って走り抜ける事は出来ないのだから。
「ねえ~タイガ、もうしつこくしないから降りて来て」
どうやら、クラリスも諦めたようだな。
可哀想なので、少し相手をしてやろう。
だけど、猫に相手をして遣ろうと思われる人間というのも可笑しな話だ。
俺はのっそりと立ち上がると、普通の猫っぽく窓際の台から飛び降りてクラリスの処へと向かう。
「ナ~~」
ほら、この動き、この歩き方、この鳴き声、如何見ても唯の猫だよね?
猫らしさをムンムンとアピールしながらクラリスの膝上に乗ると、彼女は優しく、強く、俺を抱き締める。そして、声を発した。
「捕まえたわ! さあ、タイガ、キリキリ吐きなさい」
がーーーーーーん!
どうやら、俺はまんまと彼女の罠に嵌ったようだ。
なんて姑息な......俺の良心に付け込んだ作戦だったんだな。
う~~~む。俺もまだまだ甘いということか。
「ニャ~~~ン」
「誤魔化してもだめよ!」
う~~む。この女、実は悪党では無いのか?
その吊り上がった視線、まさに俺を射貫くかのようだ。
さて、どうやって逃げ出そう......
窮地に陥って悩んでいると、突然、窓ガラスが割れて室内に何かが転がった。
「きゃ!」
その拍子にクラリスの小さな悲鳴が上がる。
拙い、手榴弾でもぶち込まれたのか? って、この世界にそんなもんは無いか......
しかし、その事で驚いたクラリスは、思わず俺を抱く手を緩めてしまう。
フフフ、抜かったな。これで俺は自由の身だ。
ニヒルな表情でクラリスの腕から飛び出して床へと降りると、俺の名前を呼ぶクラリスに向けて、勝ち誇ったように一鳴きする。
「あっ! タイガ!」
「にゃ~~~」
クククっ、俺の勝ちだな。って、それ処じゃないんだった......
我に返った俺は、床に転がる物体へと即座に向かう。
パッと見では、その物体は布の塊のように見える。
その物体を右前足でコロコロと転がしながら......ニャ! ニャ~! ニャウ! ニャニャ! フウフウ! あう......気が付いたら遊んでいた。
「タイガ、危ないわよ。止めなさい」
静止するクラリスの声で、必死に布玉とじゃれ合っていた俺が我に返る。
はっ! ヤバイヤバイ! 本能が、本能が悪いんだ......いや、それよりも、この物体を調べなきゃ。
その布を前足で器用に広げると、後ろからクラリスの声が聞えてきた。
「ねえ、その動き、猫とは思えないわよ......」
ぐはっ、思わぬところで猫らしからぬ行動を指摘されてしまった。
ぬ~~~、猫の振りをするって、思った以上に難しいんだな。てか、本当に猫なんだけど......
ああ、そんなことより、布を広げると、中には唯の石が入っているだけだった。ただ、広げた布には危機を知らせる言葉が記されていた。
『その場所はバレている。直ぐに逃げろ』
ぬぬ、これは如何いう事だ?
バレるのは時間の問題だと思っていたのだが、それを知らせて来る者が居るとは思ってもみなかった。
「ねえ、タイガ、それは何?」
ミトは買い物に出かけてるし、これをこのまま放置する訳にもいかない......
仕方なくそれを銜えてクラリスの下へと戻る。
すると、彼女はその布を広げて驚いたような表情となるが、口にした言葉は全く予想外なものだった。
「タイガって文字も読めるのね」
がーーーーーーん!
いや、俺はお手玉して遊んでただけだし、偶々布が解けただけだし、文字を読むなんて全く記憶にございません。
俺は必死に首を横に振るのだが、それが更に異様だと思われたらしい。
「猫が否定の仕草をするのもおかしいよね?」
違うんだ! 俺は遊んでいただけなんだ! 文字なんて全然よめまへん。
心中で言い訳をしているのだが、その心の声が聞こえる訳も無く、猫らしくない仕草でアセアセしている。
「いい加減に諦めなさい。もし話せる事が解ったとしても、別に危害を加えたりしないわよ」
仕方ない......もう諦める他ないようだ。
バレたからといって、何処かの星に帰らなければ、なんて事も無いのだ。
「しょうがないニャ」
「きゃ~~~可愛い~~~~!」
一言喋ると、感動したクラリスが俺を抱き締める。
「うっ、今はそれ処じゃないニャ」
「そ、それもそうだわ。って、タイガって使徒なの?」
「使徒ってなんニャ?」
「あれ? 違うのかな?」
「分からないニャ。てか、今はそれも如何でも良いニャ」
「そうだったわ」
ん~少女と話してると必ず話が脱線してしまう。本当に困ったもんだ。って、何処かで少女と話した事なんかあったっけ?
いや、今はそれも棚上げだ。
「それよりも、この内容を信用するかどうかだニャ」
「ん~~~、信用しても良さそう」
俺は話を進めたのだが、彼女は記されている内容を怪しむ様子は無かった。
その理由が解らず、思わず尋ねてみたのだが、ただの感だと言う。
「だって、嘘を言って連れ出す理由がないわ。私なんてどうせ歩けないんだから、捕らえるなら攻め込めば済むでしょ?」
確かに彼女の考えは理に適っているように思う。
「じゃ、ミトが戻りしだい逃げ出すニャ」
「ただいま~~~」
何てタイミングのいい女なんだ。
こんなタイミングで戻って来るなんて、実はお前が犯人だろ! って、バカな話は置いといて、俺達はミトのアパートから速攻で逃げ出すのだった。
街を走り指定された場所へと向かう。
予想していた敵兵が現れる事も無く、難無く移動できる事を訝しく思いながらも先へと進む。
ただ、時折、俺の耳に伝わってくるメス猫の鳴き声は、きっと空耳ではないだろう。
結局、何事も無く目的地へと到着した俺達が見たものは、二頭の馬が繋がれた幌付きの馬車と屋敷を襲った賊だった。
「あれ? 騙されたのかな? てか、お父様の仇! 今こそ」
「静かにしろ!」
唖然とした表情を一気に憎しみのものと変えたクラリスが叫ぶが、そのビキニアーマーの女は、顰め面で周囲を見回しながら叱責してくる。
その声の厳しさに、クラリスは思わず口を噤んでしまった。
そんなクラリスを見遣り、次に俺に視線を向けたビキニ女は、静かに告げた。
「お前達をここから逃がしてやる。その代わりオレが逃げるのを手伝ってくれ」
いやいや、もし逃げるなら、足の動かないクラリスを連れるより、お前一人で逃げた方が楽だろう。
彼女の言動にそうツッコミを入れたくなったのだが、話せる事を知られたくないから押し黙った。
しかし、ビキニ女は俺に向けて話し掛けてくる。
「お前が何でこんな所に居るのか疑問なのだが、それは良いとして、お前が話せることは知っている。だから気にする事は無い」
俺が話せることを知らないミトだけが首を傾げていが、相手がそう言うなら遠慮なく喋らせて貰うとしよう。
「何故、俺達を逃がすニャ。いや、なんで一人で逃げないニャ」
「ね、猫がしゃべった......」
「恐らく一人では逃げきれないだろう。だから、オレはお前に賭けたんだ」
俺が喋ったことで、クラリスを背負ったままのミトが更に硬直したが、今はそれ処では無いので放置だ。
それよりも、このビキニ女は俺の事を知っているのか?
俺に何があって、賭けると言っているんだ?
全く以て意味不明だ。
「お前はオレの事を知らないのか? それとも忘れたのか?」
「俺はお前の事を知らないニャ。ビキニアーマーなんて初めて見......」
いや、初めてじゃない気がする。
なんでだ? こんな強烈な格好なんて、一度見れば忘れないだろう。
でも、いつどこで見たのか覚えていない。
「どうやら、オレの知っている猫のようだな。左足の足輪がその証拠だ。昨夜は毛布で見えなかったが......間違いない。お前はあの猫だな」
ビキニ女が何を言ってるのかさっぱり解らないが、俺は自分の足に填められた腕輪を見遣る。
その時だった。
ビキニ女が背に抱えていた大剣を物凄い勢いで振り下ろした。
すると、バキッという音と共に矢が折れるのが視線に映る。
「くそっ、もう勘付かれたか。今は話している時間が無い。さっさと逃げるぞ。急いで馬車に乗れ!」
焦るビキニ女の声で我に返ったミトが、慌てて馬車へと乗り込み、俺も後を追って乗り込む。
それを確認したビキニ女は、透かさず御者台に座ると、馬に鞭を入れて猛然と馬車を走らせる。
結局、何が何やら解らないまま、俺達はウエルーズ王国の王都ディロンから逃げ出すのだった。




