25 アーニャの企み
王城のセンスには些か辟易としたが、この屋敷は中々に良い雰囲気を漂わせている。
美しい木目の壁と落ち着いた深い紫を基調とした絨毯。
気品という言葉に相応しい部屋だった。
「ああ、この部屋からは王や公爵の好みを排除したからのう」
俺の心中を見透かしたように語るアーニャが、目の前のソファーに座っている。
その横には、何故かレーシアが座っているのだが、その膝の上には豆柴レストが大人しく座っている。
そんな彼女は食後という事もあって満足げな表情でいるが、その塞がりそうな瞳はお花畑に旅立つことを表明しているように見えた。
俺はというと、強引な捕縛によりミララの胸に抱かれている状態なのだが、それよりもその直ぐ傍で恨めしそうな表情をしているミリアが印象的だ。
今やミリアもフォロモンにやられて、完全に虜となっているようで、片時も俺の傍から離れようとしない。
まあ、それは良いのだが、その鳴き声をやめろ! 頼むから止めてくれ!
「ニャ~~ン、ニャ~~ン、ダンニャ~~ン!」
何度も言うようだが、俺はお前の旦那じゃないからな。
彼女はミララに抱かれている俺に向けて、その白い足を頻りに伸ばしてくる。
「ダメ。ミーシャはあげないの」
だが、ミララの防御は鉄壁だ。ミリアの誘いの手を事も無く退けている。
そんなミララを挟んで、反対側にはマルラが座っている。
僕っ娘の目もやや怪しげだが、ここで論ずるのは止めることにする。
他にはメルを抱いたエルカが別のソファーに座り、メルにお菓子を与えていたりするが、メルの方も食後で満腹なのか、いつもの様にがっついたりはしていない。
「これで揃いましたね」
エルカの隣にすわるルーラルがこの場を見渡した後に声を発した。
その言葉で一番初めに反応したのは、この部屋の主であるアーニャだった。
「今回は色々と済まなかったのじゃ。いや、大いに感謝しておるのじゃ」
謝辞を口にした彼女の表情は、言葉以上に感謝の意を表していた。
まあ、自国の大事に救いの手を差し伸べて貰ったのだ。それも当然なのだろう。
俺としては、確かに働き詰めだったが、別に感謝して貰いたいとか思っている訳では無いので、その言葉をさらりと流す。
『別に構わないニャ。困った時はお互いさまニャ』
「そう言ってくれると助かるのじゃ」
「あの~~~、アーニャ様は誰とお話しているのですか?」
ああ、俺は念話だし、アーニャは発声しているので、俺が念話を飛ばしていない者が見れば、誰もが首を傾げる事だろう。
いや、レーシアの場合は目が不自由なので見る事も出来ないのだが...... この場合は誰が聞いてもと言い直した方が良いかもしれない。
「ああ、気にするでない。ここに居る者は念話で話しておるのじゃ」
「そうなのですか。今回は沢山助けて頂いたし、その方とお話したいのですが......」
「う~む」
ミララの腕の中で、俺はゆっくりと首を横に振り、念話で意思を伝える。
『念話でしか話が出来ない事にしておいてくれニャ。あと、相手が俺だと言わないで欲しいニャ』
『そうじゃな。このままだと付いて行くと言いそうな勢いじゃからのう』
アーニャは頷きながらそう伝えてくるが、俺としてもこれ以上行動を共にする者を増やすのは辛いのだ。
唯でさえ、マルラとミララは毎日のように俺の取り合いをしているし、豆柴とメルは直ぐにジャレ付いてくるし、楽しいのも嘘ではないのだが、思いのほか大変なんだよ。
「残念じゃが、この者と話が出来るのは妾だけなのじゃ」
「それは本当に残念です。ですが、本当に有難う御座いました」
俺の意を汲んでくれたアーニャがレーシアを宥め、何とか彼女を諦めさせてくれた。
そんな処へ、更に闖入者が現れる。
「ワンワ~~~~ン!どこ~~~~!ワンワ~~~~~ン!」
「クゥ~~~~ン」
そう、そこに現れたのは、あの凛々《りり》しかったカール王子だ。でも、あの時とは打って変わって子供らしい雰囲気を漂わせている。
それよりも笑ってしまったのが、豆柴レストの態度だ。
それまでとても眠そうにうつらうつらしていたのだが、その声を聞いた途端に尻尾を股の間に挟んでガクガクと震え始めた。
「こら、カール! ワンちゃんが怯えてるじゃない」
トトトとやって来るカールにレーシアが叱責を飛ばす。
それよりも、真面目な話が沢山あるのだが、この状況はどうにかならないものだろうか。
ここは、豆柴レストには悪いが犬身御供になって貰おう。
『アーニャ。犬を連れて行っていいから、レーシアとカールを別の場に移せないかニャ?』
『そうじゃのう。これでは全く話が進まんしのう』
『ルーラル、悪いが護衛に就いてやってくれニャ』
『分かりました、主様』
「クゥ~~~~ン! クゥ~~~~ン!(助けて~~~~!助けて~~~~!)」
すまん。あとで美味い物をたらふく食わしてやるからな。達者でな~~~!
マルラとミララの視線がやや痛かったが、俺は心を鬼にして寝たふりを決め込んだ。
結局、全員が豆柴レストの悲痛の叫びに目を背けて、肝心の本題へと突入するのだった。
俺の目的は簡単だ。アーニャから神器の情報とあわよくば神器を貰えれば、それで良いのだ。
だが、どうやらアーニャの表情からすると、彼女にも思惑があるように感じる。
さて、駆け引きとか、俺のだっ嫌いな部類なんだが......
「さて、本題に入るかのう」
アーニャはそう前置きをすると、遠回しな物言いで話を続けてきた。
「今回はお主達の力もあって事無きを得たのじゃが、カール王子もあの調子だしのう。今後、この国はどうなるやら......正しき力を持つ者が手助けしてくれたらと、心底思うのじゃが、世の中とは思うた通りに行かぬものじゃ。何か良い案はないじゃろうか」
確かに、俺に手伝えとは言っていない。だが、彼女の黒い瞳は言葉以上に訴えかけてくる。
そう、立て直しの手伝いをしろと......
「アーニャ。悪いけど、何時までもここに居る訳にもいかなんだニャ。俺には遣るべき事があって、それを達成しないとこの国をどれだけ復興させても意味がないニャ」
「ほう~~。では、やはり荒れるのかのう」
どうやら、この女は全てお見通しのようだ。
ここに残る俺の仲間達ですら知り得ない情報を持っているようだな。
「それを知っているなら、俺を留めるのは諦めてくれニャ」
アーニャは俺の言葉に何の返事も寄こさず、その白く細い腕を組んで黙考を始める。
マルラ、ミララ、エルカに関しては、何の事やらといった感じで首を傾げている。更にメルに関して言えば、既に夢の旅人となっていた。
その後もアーニャの黙考が続き、暫しの沈黙がこの場を静寂へと塗り替えていたが、突然、彼女は立ち上がったかと思うと、部屋から走って出て行った。
「急に如何したんですかね?」
「意味不明なの」
「お腹が痛くなったとか? ウンコかな?」
マルラ、ミララ、エルカがそれぞれの考えを口にするが......最後のウンコはあんまりだろう。
マジで言ってんのか? エルカ!
「それより、師匠、これからどうするんですか?」
エルカの発言に心中でツッコミを入れていると、マルラがミララに抱かれた俺の頭を撫でながら問い掛けてきた。
「どうやら、ダンジョンの神器はアーニャが回収したみたいだから、ダンジョンに潜る意味が無くなったニャ」
「え~~~~! 楽しみにしてたのに~~~~~」
「残念なの」
ダンジョンに入らないと言ったら、エルカがショックだと言わんばかりに声を張り上げ、ミララはボソリと一言漏らして項垂れた。
「じゃ、アーニャさんから神器を頂くんですか?」
「いや、出来れば貰いたいが、所在がハッキリしただけでも収穫ニャ。先に他の神器を探しに行くニャ」
「僕も一緒に行って良いですよね?」
「私も行くの」
「うちも付いて行く~~~」
これからの予定を簡単に告げると、直ぐにマルラが同行の意思を示す。それに続いてミララ、エルカが自分達もと声を上げてくる。
「ま、ま、待たせて悪かったのじゃ。はぁ、はぁ、はぁ」
そんな処に、息を切らせたアーニャが戻ってきた。
何かを持って来た訳でもなく、手ぶらで戻って来たところを見ると、エルカの予想がズバリ的中しているのかも知れない。
「ト、トイレ、トイレじゃないぞ! 邪な想像は捨てるのじゃ」
彼女は見透かしたかのように、弁解の声を高らかにするが、その行為が逆に事実という想像を生み出しているような気がする。
「も、もうよい。さて、話に戻るが、お主の目的は想像がつく。じゃから、ずっとこの国に居てくれとは言わぬ。じゃが、困った時には手を貸して欲しいのじゃ」
どうやら、彼女も本音で話す気になったようだ。もしかしたら、トイレですっきりした所為かもしれない。
しかしながら、残念ではあるが、彼女の願いは不可能だ。
「俺達は世界を回る必要があるニャ。だから、手助けしたくてもここには居られないニャ」
そうなのだ。出来る範囲で手助けするのは吝かではない。だが、世界を回っていると、そうもいかないのが実状だろう。
ただ、その言葉を聞いたアーニャは全く気落ちした様子が無い。
きっと、何かを企んでいるとしか思えないのだが、俺の脳では彼女の考えなど読み解く事なの出来ないだろう。
そんな風に考えつつも彼女を観察していると、おかしなことに納得の表情で話し始めた。
「そうじゃろう。そうじゃろう。じゃからのう。これを用意したのじゃ」
彼女は頷きながら何処から出したのか、テーブルの上に幾つかのアイテムをバラ撒いた。
その中で、直ぐにそのアイテムの使用用途を理解できたのは絨毯だけだ。
恐らく、その絨毯は空を飛ぶ道具だろう。既に経験済みなので直ぐに気付くことができた。
それ以外は、ビー玉のような珠、綺麗な装飾が施された手鏡、新体操で使う輪っか......フープっていうのかな? そんなアイテムが転がっていた。
「うわ~~~、この手鏡ほし~~~~い!」
思わずエルカが手鏡に手を出すが、アーニャが手にしている扇子で叩かれる。
「これ! 気安く触る出ない!」
「きゃいん! え~~っ! ケチっ!」
エルカは叩かれた拍子に悲鳴をあげたが、直ぐにブーイングをしながら口を尖らす。
それを黙って眺めながらアーニャへと問い掛ける。
「これは何だニャ?」
「良くぞ聞いてくれた!」
自慢げに薄っぺらい胸を張るアーニャを冷たい目で眺めつつ、心中で「行き成りアイテムを出されたら、聞くに決まってるだろ。アフォか」とツッコミを入れる。
しかしながら、気分が高揚しているアーニャは、俺の心中を悟る事もせずに説明を始めた。
「まずはこの手鏡じゃが、こっちの手鏡と対になっておってな。魔力を通すとどれだけ離れていても会話ができるのじゃ」
だが、それって、アイテムボックスに入れてしまうと、着信が解らないから無意味なのでは?
「ククク、お前の考えが手に取るように解るぞ!」
止めてくれよ! まるで俺とアーニャが以心伝心みたいじゃないか!
彼女の台詞に毒づいてみたのが、彼女は満面の笑みで胸を張っていた。
というか、そんな事は如何でもいいから、さっさと説明を続けろ。
結局、アーニャの自慢話にまで発展したので、彼女の話は割愛するとして、このアイテム達だが、かなり有益な魔道具だと言えるのは間違いないだろう。
先程の手鏡について言うと、伝言が鏡に写し出された状態で残るので、常時手にしておく必要はないようだ。
次にフープだが、これがまたぶっ飛びのアイテムだった。
というのも、これは転送アイテムだったのだ。
転送したい者がこのフープを掴んで行先を願うと、決められた場所に転送されるという代物なのだ。
しかし、一度に転送できる数は十人もしくは十匹まで、更に複数の者を一度に異なる場所へ転送する事ができないという制約がある。
簡単に言うと、一度に転移可能な目的地は一カ所だということだ。
しかも、全員が転送されるとフープも付いて来るらしいので、何度も利用できるのが有り難い。
最後にビー玉だが、これについてはフープの付属品だ。
フープを使えば決められた場所へ転送できるが、その決められた場所を記すのがこのビー玉なのだ。
どういう事かというと、転送ポイントとしたい場所でこのビー玉を発動させれば、その場所を登録してくれるのだ。だが、これは消耗品らしくて、一回使うと消えて無くなるとの事なので、複数のビー玉を常備する必要がある。
「フフフ、これならどんなに遠くに居ても、何かあれば直ぐに戻れるのじゃ。鏡で連絡も取れるしのう」
てか、それって完全に管理下じゃね~か!
表情は変えずに心中で罵声を吐くが、何故か俺の心は読まれてしまうようだ。
「別にお主達を拘束する気はないのじゃ。お互いに上手く遣っていければ、その方が良いじゃろ?」
確かにその通りなのだ。俺としても空飛ぶ絨毯が欲しくて堪らない。
あれで空を飛ぶのは最高に気持ち良いのだ。
うぐぐぐぐぐっ......痛い処を突きやがるぜ! このロリババア!
「それにのう。言うたであろう? 妾は神器を持っておるし、それ以外の神器の情報も持っておるぞ? ほ~~~れ! ほ~~~れ! ほ~~~れ!」
俺の目の前で、アーニャは白く細い指で古惚けた槌を持ち、右へ左へと見せびらかす。
それを見過ごす事は、俺の本能が許してくれないらしい。
その手に釣られて、視線だけではなく、俺のスイートな顔が右へ左へと動き出す。
駄目だ! そんなに揺らすな! そんな事をされると、それが例え神器でなくても、俺は、俺は、俺は......
「ニャ~~~~! ニャウ! ニャウン! ニャ~~~ァン!」
「ニャ~~~ン! ダンニャ~~~ン! ニャ~~~~ン!」
ヤバイ、思わず飛び付いてしまった。だが、この女、思ったよりも出来る。
俺のハイパーな動きに付いてこれるとは、さては唯者では無いな!
というか、何故かミリアが俺の尻尾を追いかけてくる......
俺は何度も飛び付いたが、最後はアーニャの手の中で神器が消えて行き、俺はテーブルの上にべちゃりと腹這いに落ちてしまった。
更には、その上にミリアがべちゃりと落ちてくる。
「ウンニャ!」
「師匠......」
「ミーシャ、私と遊ぶの」
「猫ちゃん、その残念具合が可愛い」
「ダンニャ~~~ン」
テーブルの上でぐったりとする俺に、マルラがとても残念な光景を目にしたかのような表情で首を横にふり、ミララは自分と遊んで欲しいと望む。それに続いて、エルカからはお褒めの言葉を頂いた......
ミリアは何故か甘い声を上げながら俺の顔を舐めている。
アーニャはミリアに抱き付かれた俺を眺めながら溜息を吐くと口を開いた。
「お主、修行が足らんのう。今のは幻術じゃぞ?」
ぐはっ! 完全に遊ばれていたようだ。
やはり、欲に目が眩むと碌な事にならないという戒めだろうか。
誰も救いの手を差し伸べてくれず、テーブルの上で伸びていた俺は、ミリアをサクッと払いのけると、何事も無かったかのように立ち上がる。そして、そそくさとテーブルから絨毯へと飛び降りて猫座りする。
「ニア~~~ン! ダンニャ~~~ン!」
ミリアの抗議を余所に、全員の視線を一身に浴びる中、顔を洗う振りをして誤魔化してみる。
「な、何かあったのかニャ?」
俺の今更感が満載の態度に、その場は静寂に包まれたのだが、唖然としていたマルラがおずおずと口を開く。
「師匠......」
すると、抗議の声が次々にあがる。
「ミーシャ、それは無理なの」
「猫ちゃん、限界というものを知ってる?」
どうやら、全く誤魔化せなかったようだ......当たり前か......
マルラに続けて、ミララとエルカの二人から冷やかな視線を浴び、俺は渋々と白旗を上げることにする。
「わ、分かったニャ。ただ、飽く迄も手伝うだけだし、俺の遣るべき事を優先させるからニャ」
俺の行動の妨げない事を条件として承諾すると、アーニャはニヤリとした表情で手を叩いた。
「うむ。それで構わんのじゃ。これで交渉は成立じゃのう」
この交渉で、俺は画期的なアイテムを手に入れたのだが、それとは別に神器の情報も手に入れた。
それはとても有意義な交渉だったと言えるだろう。
更には、この国を拠点とするように勧められ、王城の近くに屋敷まで貰ったのだが、きっと、使う事はないだろう。
そんなこんなで、今回の報酬として様々な物を貰ったのだが、俺は、人として、猫として、何か大切なものを失ったような気がするのだった。
追伸、様々なものを貰ったが、決してこのメス猫を嫁に貰ったりはしないからな!




