08 王都ガルドラ
目を覚ますと、誰かの膝の上だった。
顔を上げるてみると、知らない少女の顔がある。
誰だっけ? ん~、見た事があるような気がするが......
それよりも、知らない者に拘束されるなんて、少し無防備すぎるようだ。
そう自分を戒めつつ、素早くその少女の膝から下りる。
「あ、ミーシャ!」
膝からササっと降りた俺に向けて、その知らない少女が聞いた事のない名前を呼ぶ。
間違っても俺の名前では無い。ミーシャなんて完全にメス猫用の名前だ。では、ミユキはと言うと......まあ、いいではないか、そんな些細な事に拘る必要はないだろう。
「あ、ミユキ、起きたのですね。珍しく寝坊なのですか。と言うか、気絶するように寝てたのですよ」
そんなレストの問い掛けで思い出す。
そう、気絶させられたんだ。くそっ、不意を突かれたとはいえ、マルラのパンチを喰らうとは、強化猫の俊敏性が鈍ったのだろうか。
それよりも、レスト、知らない人の前で普通に話し掛けるなよ! バカちん!
俺の冷たい視線で気付いたのか、レストは「な~んて、あは、あははは」と誤魔化しているが、全くもって誤魔化せていない気がする。
「ニャ~~~!」
取り敢えず、この一鳴きで締め括った。
そんな俺を眺めつつ、マルラは亜空間収納からリンゴモドキを取り出す。
「じゃ、朝ごはんにしましょうか」
そう言って、マルラは全員にリンゴモドキを配って行く。
知らない少女も、おずおずとそのリンゴモドキを受け取る。
当然ながら、俺は食べない。と言うか、食べる必要が無い。しかし、同様に食べる必要性の無い筈のレストは、ニコニコ顔でその果実を受け取っている。
もう、この娘については語るまい。
昨夜の事など無かったかのように、清々しく和やかな朝を迎えているのだが、一番年若い少女が果実を受け取ると不平を漏らした。
「また、アプア?もう飽きちゃった。偶には、他の物が食べたい」
確かに、彼女の言う通りだろう。
俺は何も食べないし、全く食欲も湧かないので、それほど気にしていなかったのだが、エルカの不平もここ最近の食糧事情からすると当然の産物だろう。てか、あの果実の名前はアプアと言うんだな...... 初めて知った......
しかしながら、世の中とは厳しいものだ。
エルカの不平を耳にしたマルラは、その和やかな表情を一瞬にして般若の形相と入れ替えた。
「贅沢を言うなら、食べなくてもいいよの。アプアすら食べられない人達も居るんだからね」
その様相は、まるで母親が娘を叱り付ける姿に感じられた。
恐らく、マルラは亡くなった両親の代わりに躾をしているのだろう。
彼女自身がまだ十四歳だという事を考えると、とても立派な姿だと言えよう。しかし、かれこれ何週間もアプアしか食べていないのだ。そこは、もう少し譲歩してやっても良いだろう。
『マルラ、まだ店が開いていないから仕方ないけどニャ。今日は食料品や調理具、食器を購入するニャ。それと、お昼は何処かの食堂で食べることにすればいいニャ』
別に甘やかすつもりは無いが、幾らなんでも可哀想だろう。
同情的な俺の念話を受け取ったマルラが、般若の表情を消して問い掛けてくる。
『本当に良いのですか? 無理をしている訳では無いですよね?』
『勿論だニャ。今後の事もあるからニャ~、旅でも使える調理具や食器がいいニャ』
『有難う御座います。そう言って頂けると、本当に助かります』
俺とマルラの念話が飛び交うが、二人だけの交信なので、他の少女は黙々とアプアを食べているかと思いきや、レストが芯まで食べ尽くした挙句、マルラに手を差し出している。
こいつは、どこかで大食い大会を見付けてぶち込めば、絶対に優勝できるぞ。というか、その内、豚伯爵みたいになるんじゃないのか?
おっと、そんな話は如何でも良くて、あの少女の件だな。
恐らく、昨夜に訪れた不審者が、あの少女なのだろう。
『マルラ、彼女と何か話は出来たかニャ?』
『いえ、特に襲ってきたりとか、反抗的な態度をとるとかは無いのですが、口を利いてくれませんね。ここは師匠の出番だと思います』
どうも、うちの女共は直ぐに俺を使おうとする。でも、俺は既にエルカからダメ出しを喰らったのだ。今更、猫なで声で擦り寄るなんてできるか。
俺の不平を感じたのか、マルラは即座に俺を抱き上げると、自分の胸に押し付ける。
くそっ、俺はそんな色仕掛けには負けんぞ。
幾らオッパイが好きでも、それとこれとは話が違うんだ......
結論から言おう。オッパイは偉大だ。乳無くしてこの世が成り立つものか!
いや、別に誤魔化している訳では無く、純粋に評価しただけなのだが......マルラの胸のむにゅむにゅ感が最高なのが悪いのだ。
まあ、あれだよ。人は助け合って生きて行かなきゃ。あ、猫だって助け合いだよ。
『師匠って、本当に猫なんですか? ちょっとスケベ過ぎやしませんか?』
「ニャ~」
『都合が悪くなると鳴いて誤魔化すんですね』
『にゃ~』
あ、このアマ、俺を放り投げやがった。
まあ、強化猫はそれくらいでダメージを受けたりしないのだよ。フフフ。
白目を向けるマルラを余所に、猫パワーを見せつけるべく、昨夜転がり込んで来た少女へと足を進め、いざ、転がろうとした処で、少女から取り押さえられた。
なぬ~~~~! なんて速さだ。そして、なんて無体な!
「ミーシャ、捕まえたの! どうして逃げるの?」
少女は俺を力強く抱きしめ、軽く叱り付けるように囁く。
しかし、俺はあることに気付く。
なんだと! マルラよりも大きいだと! あうっ、ダメだこんな大きなオッパイに押し付けられたら、力が抜けてしまう......あ、あ、別に他意はないんだ。そんなに冷たい眼差しを向けるなよ。
そう、知らない少女の胸で幸せそうに抱かれる俺に向けて、マルラとレストが凍り付く様な鋭い視線を投掛けていた。
しかし、俺を抱く少女は全く気にする事無く頭を撫でてくる。
「如何したのミーシャ? なんで震えているの?」
いや、俺はミーシャじゃないんだけど。何故、俺の事をミーシャと呼ぶのだろうか。
まさか、母ちゃんの事じゃないよな? あれは、唯のアバズレだぞ?
てか、ミーシャってメスの名前だろ! ......いや、メスの名前でもいいよね......
自分の名前を顧みて、ミーシャという名前も悪くないと強引に納得する。
そんな俺に、少女は更に囁き掛ける。
「もう、何処にも行かないの」
いや、それは無理だ。俺には使命があるから。だからここはキッパリと断ろう。俺はノート言える男だ。
「イニャ~~ン」
無理だと伝える為に鳴いてみたのだが......レストが大爆笑を始めやがった......くそっ! あの暴食娘、絶対に断食の刑だからな!
更に、視線を横に向けると、マルラが生暖かい眼差しを向けてくるのは良いとして、エルカが残念なものでも見たような表情で、俺のことを眺めていた。
うぐっ、どうやら墓穴を掘ったようだ。
そんな自己嫌悪にどっぷりと浸っている時に、幌馬車の外から詰問の声が上がる。
「貴様らここで何をしとる! 誰がここに荷車を置いて良いと言った!」
いや、誰からも許可なんて貰ってないよ。というか、お前等こそ誰やねん。
そんな表情で幌馬車の外に視線を送ってみたが、やはり、猫の表情を読んではくれないようだった。
俺が観察したところ、どうやら見回りの衛兵らしい。
言われてみれば、確かにこんな処に荷車を置いてゴロゴロしていると怪しいよな。
自分達の怪しさを顧みていると、三人の衛兵の中から偉そうな男が出て来て、更に偉そうな態度で詰問してくる。
「怪しい奴等だ。何処の誰だ! 身分証明書を見せろ」
俺を抱く少女の腕が強まる。恐らく彼女も見つかると拙い事情があるのだろう。
周囲を見回すと、衛兵から詰問されているのにも関わらず、連れの少女三人が困った様な表情で、俺に視線を向けていた。
お前等~~~! いつも好き勝手やってる癖に、困ったときの猫頼みか!
くそっ、しゃ~なしか!
「にゃ~~ん、にゃ~~ん、にゃ~んにゃ~~~」
俺はその鳴き声を終わらせると、きつく締め付ける少女の手から逃れて、地面へと飛び降りる。
『いくニャ! マルラ、その少女を連れて来てくれ。早く降りないと馬車ごと収納するぞ』
硬直している少女達にそう言うと、少女達が慌てて降りるのを確認して、幌馬車を亜空間収納へと仕舞う。
すると、暴食レストが固まった衛兵達を見遣りながら問い掛けてくる。
「ミユキ、何をしたのです?」
余り時間的な余裕が無いので、その質問には答えず、『急ぐニャ』とだけ伝えて、歩みを速めたのだが、あっという間に、俺の事をミーシャと呼ぶ少女に捕まってしまった。
この女、出来る。強化猫の俺を有無も言わさず捕らえるとは!
てか、今はそれ処ではないのだ。
俺が掛けた忘却の魔法の効果は、精々もっても二十分くらいだろう。
結局、俺をミーシャと呼ぶ少女の正体は解らず終いのまま、俺と四人の少女は街中へと逃げ込むのだった。
古惚けた壁、歩くと軋む床、隙間風が入って来そうな窓、ここは三流とも言い難い安宿の一室だ。
豚伯爵から頂戴した資金があるので、こんな低級な宿に泊まる必要は無いのだが、良さそうな宿は、身分の確かな者しか宿泊させないようで、結局はこんなノミが付きそうな宿に入る事となった。
「なんか、カビくさ~い!」
「そんな贅沢を言ってはいけません」
正直な感想を述べたエルカをマルラが窘める。
これって、教育的には微妙だよな? 我慢は必要だが、カビ臭いの妥当な意見なのだから。
それはそうと、まずは、この正体不明の少女を何とかする必要があるな。
『マルラ、その少女の情報を何とか聞き出せないかニャ。そうでないなら、無視して行動するしか方法が無いニャ』
『確かに、そうですね。と言うか、私も師匠の目的を知りませんが......』
ぐはっ~~! そう言えば、マルラとエルカには旅の目的を教えてなかった......
仕方ないので今更ながら教えてやると、マルラは納得の表情で感想を伝えてきた。
『ふむふむ、流石は使徒様ですね』
思わず首を傾げてしまったが、その言葉の意図するところをマルカに尋ねてみた。
『レストも行ってたが、使徒ってなんだニャ?』
彼女は少し驚いた表情をしていたが、丁寧に説明してくれた。
『物語があるのです。それは、女神の使徒として神器を集めるというお話なんですが、それに登場する使徒が言葉を話す猫なんですよ。だから、師匠が言葉を話した時に、これは使徒だと思ったんです』
その割には売ろうとしたよね。一攫千金とか、遊んで暮らせるとか、そんな事を言ったよね?
まあいい、それは過去の話としておこう。
という訳で、マルカに少女の事を頼んだのだが、結論から言うと何も得るものは無かった。故に、俺達はその少女を居ないものとして対応する事に決めた。
『じゃ、買い物に行くニャ』
『はい』
「買い物に行きますよ~」
正体不明の少女が居るので俺が喋る訳にも行かず、マルラに通訳して貰う事にしたのだが、なんとも面倒臭い限りだ。
それでも、レストとエルカは買い物という言葉に喜んでいる。
恐らくは、美味しいものが食べれると考えているのだろう。
まあ、それも偶には良いと思うので特に言及する事はない。
薄汚れたと言っては失礼だが、それ以外の表現が当て嵌らない安宿を出て、活気の満ちた露店街へと繰り出したのだが、何故か俺は正体不明少女に抱かれている。
歩いていると、必ず抱え上げてくるのだ。というよりも、何を考えているのか全く分からないのだが、俺達が行動すると必ず付いて来るのだ。
『一体、如何いうつもりなのかニャ』
『さあ、一人は寂しいとか』
『それにしても、俺達を怪しまないのも不思議じゃないか?』
『それもそうですね』
何故か、俺達と行動を共にする少女についてマルラと遣り取りをしながら、必要な物を買い込み、レストとエルカのお腹の虫を黙らせる事にした。
ところが、店に入ると猫はお断りだと言われてしまった。
なんて店だ! こんな店、二度と来るか! こんニャろう!
という訳で、四人の少女が食事をする間だけ、俺は外で猫の真似ごとをすることにしたのだが、そこで耳寄りの情報を得る事が出来た。
情報源はと言うと、街を巡回していた衛兵達だった。
「くそっ! 神器泥棒の所為で、休みがぶっ飛んだぜ」
一人の衛兵が周囲を警戒しながら愚痴を溢すと、やはり隣で警戒の目を緩めない衛兵が、その男にぼやく。
「そうだよな。だって、神器は無事だっただろ? おまけに、昨日は泥棒を見付けて酷い怪我を負わせたと言うじゃないか、今頃どっかで野垂れ死んでるんじゃないか?」
すると、その台詞を黙って聞いていた三人目の男が毒を吐く。
「抑々、何で逃がしてんだよ。怪我まで負わせて逃がすなんて、とんだ間抜け野郎だな。何処のどいつだ」
「その間抜けな男はオレのことだ。悪かったな!」
その声で慌てて振り返った衛兵達の毒が一気に霧散した。そう、そこには筋肉モリモリの厳つい騎士が立っていたのだ。
俺の見立てだと、噂の間抜け男の実力なら、ここに居る三人の衛兵なんて瞬殺することだろう。
だが、三人の衛兵達は、どうやらこの男の存在を知っているようだ。直ぐに直立不動の姿勢を取って謝り始めた。
「大変申し訳ありません」
「ふんっ!」
その謝罪を聞いた男は鼻を鳴らしたかと思うと、何も言わずに衛兵に背を向けた。
すると、衛兵達がホッとするのが解ったのだが、次の瞬間、背を向けた筈の騎士が振り向き様に、巨大な剣で三人の衛兵を切り捨ててしまった。
周囲では悲鳴が上がっているが、その間抜けと言われた騎士は、周囲の事など気にせずに巨大な剣を一振りすると、先程と全く変わらない表情で唾を吐き捨て、この場から堂々と去って行った。
あれはヤバイ男だ。あの男は人を殺すのを何とも思っていないのだろう。
まるで、丸太でも切り倒すかのように、喜々として三人の衛兵を切り捨てたのだ。
俺も神器を狙う者としては、あの男に気を付ける必要があるな。
そんな事を考えていると、周囲から興味深い話が聞えてきた。
「おい、あれって、ドーズだろ?」
知らない男がそう言うと、隣に居た者が問い返した。
「あれが、千人切りのドーズか?」
その質問に、何故か他の者が答えている。
「間違いね~、あれは千人切りドーズ、またの名を狂犬ドーズと呼ばれているキチガイだ」
「おい、聞こえたら殺されるぞ!」
ふむ、思った通り、かなりヤバイ男のようだな。しかし、話はそこで終わらなかった。
「あれだろ。確か、王様の命令で何とか言う貴族を皆殺しにしたとか」
「ああ、そんな話があったな。あの貴族は民衆に評判が良かったからな。ここの王様からしたら目の上のコブだろうよ」
「違いね~。ここの王様は糞だからな。民衆から金と女を巻き上げる事しか考えてね~」
「おい、迂闊な事を言うと、しょっ引かれるぞ。そうなったら家族全員が死ぬか奴隷だ。滅多な事を口にするなよ」
その後は現王様の批判でもう滅茶苦茶だった。誰もが口にするなと言いつつ、毒が止まらなくなっていた。
まるで、何処かのコメント欄でも見ているかのように、様々な情報がダダ流れだった。
しかし、それに終止符を打つ者が現れる。
「引け~。散れ散れ!」
どうやら、役人と新たな衛兵が到着したようだ。
「ちっ、またか、いい加減にすればいいのに」
真っ二つになっている衛兵の姿を見た役人がぼやく。
まあ、確かに口が滑っただけで殺されるのも、あんまりだと言えるだろう。
この世界も人間って大変だな。やっぱり、猫が一番だ!
なんて考えていたら、俺の身体が持ち上げられた。
仰ぎ見ると、やはり、ミーシャ呼びの正体不明少女だ。
いい加減、嘘でもいいから名前くらい言いやがれ。
「どうしたのミーシャ。ご機嫌斜めなの。ミルラエラの事が嫌いになったの?」
有難う。俺の気持ちが伝わったんだな。
どうやら、彼女の名前はミルラエラらしい。
というか、ここまでの話を纏めると、自ずと答えは出ているな。
『ミルラエラ、お前が神器を盗みに王城へ入ったんだな』
俺の念話を聞いたミルラエラが凍り付く。
てか、俺からすると、凍り付くのも毎回の事だからいい加減ウザいんだけど......
「今、ミーシャの声が聞えたの! もしかして、心が通じ合ったの?」
どうやら、彼女は妄想の世界に飛び立ったようだ。
まあいい。ここで騒がれても困るし、続きは宿に戻ってからにしよう。
結局の処、買い物に出掛けたことで様々な情報を得る事が出来た。それに気を良くした俺は、大盤振る舞いで残りの買い物を済ませて宿に戻るのだった。




