~ 第六話 そして彼女は新しい顔を手に入れる ~
――ちゅん、ちゅんちゅん。
鳥の声。木の匂いがします。
薄目を開けると、柔らかな光。うっそうと茂っている葉の陰から、お日様の光が差し込みます。もうすぐ夕日になりかけの、温かい日差し。
『ぶごっ?』
「ギャぁーーっ!」
突如、視界を覆いつくした緑の豚の顔。思わず悲鳴をあげてしまいます。
すると、豚の方も驚いた様子でのけぞりました。
「オーク……さっきの、男の人ですか?」
恐る恐る問いかけてみると、オークは頷いてくれました。
顔を見て悲鳴を上げるなんて……反省です。
『ぶご、ぶごご』
小さな声で、オークが鳴いています。なにか、話しかけてくれているのでしょうか。残念ながら意味は分かりません。
私に意味が伝わっていないことが分かったのでしょう。オークがガッカリしているように見えます。なんだか少し、かわいいです。
「ここ……どこでしょうか?」
誰に聞いたわけでもなく、言葉が出ます。思えば、破れかぶれになってここまで歩いてきました。自分がどこにいるのかも、どうやって帰ればいいのかも分かりません。
もっとも、結婚するはずだった相手との食事から逃げ出した私です。帰る場所は、もう無いかもしれません。それでも、今は無性に家へと帰りたいです。
『ぶごっ』
そんな私の背後に向けて、オークはその大きな指を指しました。その方向、遠くに見えるのは……。
「……村だっ!」
信じられません!オークがここまで運んできてくれたのでしょうか!?
なんて優しいんでしょう。
いや、この人はオークでは無いはずです。
私はしっかりと覚えています。この人の真の姿を。
「名前……教えてくれませんか?」
私はオーク……いえ、男の人に向かって問いかけます。なにかの事情があってオークの姿になってしまった、悲しい人に。
『ぶご? ……ぶきゅう』
返ってきたのは、やはり豚の鳴き声でした。ですが、きっと今、この人は私に名前を告げようとしてくれたはずです。
「村まで送ってくれて、本当にありがとうございました」
感謝の気持ちを精いっぱい込めて、私はオークの身体に抱き着きます。大きすぎて、手がお腹に回らないけど、気持ちが伝わってくれれば嬉しいです。
………
……
…
しばらく歩いて、村に着きました。
心臓が、ドキドキとうるさいです。やっぱり、怒られるでしょうか。
「メアリー! ……じゃない?」
私を呼ぶ大きな声は、尻すぼみに小さく、そして自信がなさそうな声へと変わっていきました。一体どうしたというのでしょうか?
声の主は、顔見知りのジョンおじさんです。といっても、村のおじさんとは全員、顔見知りなんですけれども。
「……ど、どちら様で?」
不審そうな、それでいて少し照れたような顔で、おじさんはこちらを見てきます。ふざけているのでしょうか?
「何言ってるの? 私だよ!メアリーだよ!」
私の答えに、おじさんは一層いぶかしげな顔をします。
「バカ言うんじゃねえよ。お前さん、メアリーとは顔が全然違うじゃねぇか!」
一瞬、まさかという思いが胸をよぎりました。
確かにあのオークさんは、私を美しくすると約束してくれました。ですが、顔を美しくするなんて……どう考えても有り得ません。
「おじさん……私の顔、どうなってるの?」
恐る恐る、聞いてみます。
「どうってお前……その、美人さんじゃねぇか」
おじさんの顔は真っ赤です。嘘を言っているようには……見えません。
「本当に……キレイにしてくれたの?」
思いが言葉となって溢れ出ます。
早く! 早く自分の顔を確認したい。
「ゴメンねおじさん! 急ぐからっ!」
「あっ! ちょっと!? おいっ!」
慌てたような声をあげるジョンおじさんを振り切って、私は駆け出します。ここから家まではそんなに遠くないはずなのに、いくら走っても家にたどり着かないようなもどかしい気分です。
「……っ! ただいまっ!」
息を切らし家に駆け込むと、お母さんがびっくりした顔でこちらを見ていました。目の下に、ひどいくまがあります。
「あ、あんた……あんた誰だいっ!?」
悲鳴のような声をあげるお母さん。
申し訳ないけれど、今は労わる余裕がありません。まっすぐ家の奥まで進み、棚にしまっている鏡を取り出します。すごく高くて普段は使うことのない、お母さんの嫁入り道具です。
「……うそ」
そこには、信じられないものが映っていました。
「私の……私の顔が!」
そこまで言ったところで、お母さんが鏡を奪い取っていきました。見たこともないような怖い顔です。
「誰だいあんたは!?」
「お母さん! 私だよ! メアリーだよ!」
「何を言ってるんだい! そんな嘘っぱち、誰が信じるんだい!」
「本当だよ! 見てよこの服! お母さんが作ってくれたじゃない!?」
この服は、街からやって来る行商人の人からお母さんが生地を買って、作ってくれたものです。とってもかわいくて、私のお気に入りです。
「……っ! あんた……あたしのメアリーをどこにやったんだい!?」
どうやらお母さんは、私がこの服を奪い取ったと思っているようです。
「違うって! 私が本物のメアリーなんだよ!」
「まだ言うか!?」
今にも殴り掛かってきそうな様子のお母さん。なんだか家の外の様子も騒がしいです。
「じゃあっ! 私とお母さんしか知らないような、そんな質問をしてみてよ」
その問いに、お母さんは少し考え込む様子を見せます。
そして……。
「分かったよ。じゃあ質問だ。あんたが絶対に他人には言うなっていう、赤ちゃんの頃の笑い話はなんだい!?」
「お尻のほくろでしょ!? 大きなほくろがお尻の穴の隣にあって、お母さんがうんちだと思って何度も拭き取ろうとしたっていう!」
お母さんが目を見開きました。
「あんた……本当にメアリーなのかい?」
「この質問で分かるって、なんか複雑なんだけど!?」
親子にしか感じ取れない絆とか、そういうものは無いんでしょうか。
「その声……その背格好……。なにより、あたしはメアリーのお尻のほくろのことは誰にも言ったことが、ない!」
改めて、大きな声で言われると恥ずかしいです。そんなに大きいのかな……ほくろ。
「メアリー!」
お母さんが私を抱きしめます。釈然としませんが、一応嬉しいです。
「ルイーズ! エミリー!」
お父さんが焦った様子で帰ってきました。
「あんた! メアリーが、メアリーが無事に帰って来たよ!」
「聞いていたとも!お尻のほくろのことを知っているんだ! この子はメアリーだよ!」
お父さんまでっ!
なんて思った私は、その背後に集まる大勢の人の姿に気付き、顔色を失います。
「みんな、ありがとう! この子は怪しい奴じゃない。メアリーだ!」
どうやら、私を不審者だと思ったジョンおじさんが村中の人に声を掛けたみたいです。
剣や鍬、鎌などを持ったおじさん達が、扉の前に集まっていました。
「もしかして……みんな、聞いてたの?」
答えは分かっています。それでも、否定して欲しい。
「ん? あぁ、ほくろのことか?そりゃあ、あれだけ大きな声で叫べば、聞こえるよ」
……いやぁぁぁっ!
もう、お嫁にいけません。せっかくブスじゃなくなったのに。
「いいじゃないか! お尻にほくろがあるくらい! それも含めて愛してくれる人を、ぶへっ!?」
大きな声で私にとどめを刺しにくるお父さんの頬を張り飛ばし、私はクッションに顔をうずめるのでした。