~ 第九話 ユルサナイ ~
本日二話目です!
では、どうぞっ!
遠乗りに出掛けた翌日、私は辺境伯様と共にロアージュ大森海で狩りに興じていた。
さすがは有名な大深海である。どこまで続くのか分からない程に広がる緑は、まさに樹の海と呼ぶにふさわしい光景だ。
深くまで行くとオークなどの恐ろしい魔獣に遭遇することもあるらしいので、今回は浅い場所のみでの狩りとなるが、それでも十分すぎるほどの獲物の数である。
木の実が豊富に生っていることから、鳥は丸々と太っているし、狼や鹿などの獣にも多く遭遇する。また、それらを追ってきたのであろう、はぐれゴブリンにも遭遇した。
辺境伯様は、剣に弓、そして魔法までもを達者に扱われる。補助具の中でも扱いの難しい杖を使いこなし、風の魔法で獲物を仕留める様子は、まさに英雄であった。魔法の才能に恵まれず、簡単な補助具しか使えない自分としては、うらやましい限りである。
とはいえ、私も狩りを嗜む者のはしくれである。得意とする弓を使って、多くの獲物を仕留めた。特に、動きが素早く捕えるのが難しい野鳥を仕留められたことは、我ながら満足である。
さて、狩りも一段落がつき、森の側にある村にて一息をついているタイミングで、辺境伯様が私に問いかけて来た。
「どうだね……うちのアレクシアは?」
突然のその問いに、思わず言葉が詰まってしまう。すぐに立て直したつもりではあったのだが、百戦錬磨の大貴族である辺境伯様を欺くには至らなかった。
「昔は……あのような激情を露わにする娘ではなかったんだ」
そう告げる辺境伯様は、どこか疲れているように見えた。
「生まれた時、あの子は身体が弱くてね。生死をさまよったんだ。その後もしばらくは身体が弱くて……それはもう、大事に育ててきたんだよ」
「……」
「だが……それがいけなかったのかもしれないな。私達はあの子を大切にしすぎてしまったのかもしれない。あの子は、自分が一番愛されていないと許せないところがある」
それは、なんとなく分かる気がする。会話の相手がアレクシア様からリリー様に移っただけで、アレクシア様は怒りを露わにされていた。
愛情、感心、興味。その全てを、アレクシア様は独占したいのだ。
「だからだろうね……。あの子は、自分に向けられていた愛情が、リリーに奪われたと思ってしまったのだろう。そんなことはないのに。子供に向ける愛情に、上限など無いのに……」
「……」
「私達としては、アレクシアもリリーも大切な娘だ。共に、世界で一番に大切だ。愛情に差をつけたことは一度たりとも無い」
きっぱりと言い切る口調とは対照的に、その表情は渋い。
そこにあるのは、親としての苦悩、そして葛藤なのであろう。私のようなまだ親になっていない若造にはとうてい理解し得ないことだ。
「さて……帰ろうか」
しばしの沈黙の後、辺境伯様がポツリと呟く。その背中が、少し小さく見えた。
※
辺境伯様のお屋敷での滞在期間である一週間は、あっという間に過ぎていった。それだけ居心地がよかったということであろう。辺境伯様や奥方様、そして使用人。全ての人々が、私に親切にしてくれた。我がオルコット家も、客人を迎える際にはこうでありたいと、思わせてくださるような歓待であった。
そして、この滞在期間の間で一つ、決意したことがある。悩みに悩んで導き出した結論。しかし、もはや気持ちが揺らぐことはない。それは……。
――アレクシア様との婚姻をお断りしようということであった。
この滞在期間中、アレクシア様は常に私のことを気にかけてくださった。それ自体は、大変ありがたいことである。
しかし、彼女の行動は私にとって非常に疲れるものであった。
常に……それこそ無理にでも私に話しかけ、私が興味を持てない話題であっても延々と話し続ける。これは思った以上にし辛いものである。
元より男性と女性では、興味を持つ対象が異なることは認識している。自分にとって興味がないことであったとしても、話を聞いてあげることが必要なのも理解している。それがコミュニケーションを取る、ということだから。
だが、アレクシア様はその限度を知らなかった。明らかに私が困っている時であっても、彼女は自分の話を続けるのだ。
それは、辺境伯様がおっしゃっていた「愛情を独り占めしたい」という感情からくるものなのであろう。
特に、この屋敷の中においてはリリー様という存在がいらっしゃる。私とリリー様が話すことを、アレクシア様が快く思っていないことは明らかであった。
その感情が……正直重かった。恐ろしくもあった。
結婚して夫婦になったならば、アレクシア様は当然、私に対して「自分だけを見ること」を求めるであろう。それが、正常な大人と理性を前提にしたものであれば、私に文句はない。妾を作るなというならば、それにも従おう。
だが、貴族である以上、ある程度の女性との交流は必要になる。他家の奥方様やご令嬢とお話をする機会もあるだろう。社交場で顔を合わせれば、お世辞の一つや二つは言わなければならない。
果たしてその時、彼女はそれを受け流してくれるだろうか?社交辞令程度の褒め言葉では嫉妬に狂わないと、言い切れるだろうか?
さらに恐ろしいのは、その嫉妬が自らの子供に向けられる可能性である。
夫婦の間に子供が生まれれば、当然私はその子に最大限の愛情を与える。その時に彼女が、自分に向けられていた愛情を子供に奪われたと感じることが、絶対に無いと言えるだろうか?
脳裏をよぎる、鬼のように恐ろしいアレクシア様の形相。あれほどに憎しみを、実の妹に向けてぶつけることが出来る人なのだ。
あの表情がもし自分に向けられたら。もし、自分の子供に向けられたら。
私はそれに、耐えられそうにない。
ゆえに、私はアレクシア様とは結婚出来ないのだ。
………
……
…
領地への帰還を翌日に控えた夜、私は辺境伯様の私室を訪れていた。アレクシア様とのことを、どうしても話しておかなければならないと思ったのだ。
「君の気持ちは理解した。……仕方ないことだ」
「申し訳ありません」
大変に失礼なことを言っているのは理解している。そのうえで私は、正直に自らの感じたことをそのまま辺境伯様に告げた。私が下手な嘘をついたところで、辺境伯様には見破られてしまうと思ったのだ。
「残念だ。君が私の息子になってくれればいいと思っていたんだが」
その表情は心底残念そうに見えた。少なくとも、ご令嬢との結婚を拒んだ私への怒りのようなものは感じられない。本当に、器の大きい方だ。
「君は……リリーのことはどう思う?」
その質問に、私は少し驚く。しかし、変わらず正直に答えることを心掛けた。
「リリー様は……素晴らしい女性です。彼女のような美しい心を持った女性を、私は知らない。将来は素晴らしいレディになられることと思います」
「君は、リリーを嫁に迎えるつもりはないかね?」
キャンドルが揺らめき、辺境伯様の顔に影を映す。
「リリー様はまだ社交界に出てらっしゃいません。彼女ならば、引く手あまたでしょう。私などよりも素晴らしい男性に巡りあえることと思います」
「ふむ……」
「ですが……そうですね。もしも、多くの男性を見たうえで、それでも彼女が私を選んでくれるならば、彼女のような女性に妻になって欲しいとも思います」
リリー様を、妻として迎え入れたいという気持ちは大きい。しかし、それ以上に私は、彼女に幸せになって欲しいのだ。彼女に笑顔でいて欲しいのだ。
貴族という世界において、自分が選んだ相手を結婚することは難しい。女性であれば尚更である。
それでも私は、彼女が真に幸せだと思える相手と、幸せになって欲しいのだ。
「彼女のような女性に選んでもらえるような……魅力ある男になるべく、精進したいと思います」
その言葉を聞いた辺境伯様は、私には、笑っているように思えた。
※
オルブライト辺境伯家の廊下を、一人の女性が歩いている。その表情は、まるで能面のように色が無い。今しがた聞いてしまった、愛する人の言葉。自らを裏切る、冷たい言葉。
――許せない。
やはりあの男も、リリーを選ぶのだ。容姿以外になんの取り得もない女。自分のように努力したわけでもないのに、美味しい所を全て持っていく、ズルい女。
――許さない。
お父様は……婚姻を断るあの男を、止めなかった。それどころか、あの女を勧める始末だ。結局のところ、お父様もリリーしか目に入っていないのだ。私の気持ちなど、どうだっていいのだ。
――ユルサナイ。
自室のドアを開き、ベルを鳴らす。
まもなく、部屋付きメイドであるクラリッサが音も無く部屋へと入ってきた。
「およびでしょうか、アレクシア様?」
低く小さな、まるで何か密談をするかのような声。対する自分の声は、楽しそうに遊ぶ幼子のように聞こえた。
「ねぇ、クラリッサ?少し前に、庭の不愉快な薔薇を焼き払ったわよね?」
「はい」
「その時の魔道具……用意しておいてくれない?」
かしこまりましたと告げて、部屋を出て行くクラリッサ。おそらく、明日には魔道具が用意されていることであろう。
そうだ、不愉快なモノは処分してしまえばいいんだ。目障りなモノは壊せばいいんだ。
なんて簡単なことだろう。なんで気付かなかったんだろう。
笑いがこみあげてくる。
怒っているはずなのに、悲しんでいるはずなのに、なぜか笑いが止まらない。
自分は壊れてしまったのだろうか?
そんなはずはない。私は正しいのだ。私が正しいのだ。
壊れてしまった世界は、私が直さなければいけないのだ。
これにて幕間が終了です。長くなってしまってすいません。次回は、ひさびさの主人公登場です!お楽しみに!