~ 第三話 襲来! ブラッディベア! ~
その一報が入ってきたのは、一日のちょうど半分が終わった頃だった。
『ぶぎゃ、ぶがぁ! びゅぎゃ!』 (大変だ! 赤い熊が出た!)
その声に、村中のオークに緊張が走る。
“赤い熊”。正式名称をブラッディベアという。
ごく稀に森に現れるそいつは、普通の熊の何倍も強い。その特徴は圧倒的なパワー。純粋な力比べでは、俺たちオークでも敵わない。しかも、鋭い爪と牙まで持ち合わせてやがると来た。
基本パワー比べでは負けないオークにとって、もっとも相性の悪い部類の敵だ。なにせ、こちらの唯一にして最大の長所を潰されるのだから。
偉そうなことを言っているが、俺は実物を見たことがない。以前に現れたのは俺が生まれる前のことだったらしい。ちなみにその時は八人のオークが、そいつ一匹に殺されたそうだ。
『ぶぎゃ! ぶがっ、ぶがぁ!』 (皆の者! 熊狩りに行くぞ!)
集落の周りで採集をしていたり、森を切り開いて農業の準備をしていたオークが一斉に声を挙げる。赤い熊に油断は禁物。オーバーキルがちょうどいい。
とはいえ、数が多すぎても戦いにくい。若く力のある十数名のオークの先鋭が狩りに出て、熟練のベテランが集落を守る、という形になる。何が何でも女子供は守り抜くというその価値観が、俺は嫌いじゃない。
俺も、狩りの際に使う堅い木を削り出して作ったこん棒を手に、狩りに加わる。重く堅いこの鈍器は、普通の熊であれば一撃で頭を潰せる代物だ。
こうして、集落をあげての死闘の幕が切って落とされた。
※
『ぶぶ……ぶがぁ』 (こいつは……ひでぇ)
むせかえるような血の匂いの中、誰の声か、森にオークの鳴き声が響く。
ブラッディベアが目撃された地点。その周辺には、すでに二体のオークの亡骸が転がっていた。どちらも気の良いおっさんオークであったが、今は無残な姿となってしまっている。
『ぶぎゅ、ぶがぶご』 (喰いちぎられてやがる)
どこが、というのが憚られるほどに、遺体の損傷は激しい。決して柔らかくはないオークの肌、そして筋肉が無残に噛み千切られていた。
『ぶごぶ、ぶがふが』 (血の跡を辿ろう)
俺のその声に、一同が同意する。こういう時、誰でも思ったことを言い合えるのが、オークの関係性の素晴らしいところだ。先輩の意見がどうだ、とかを考えなくて済むのは、緊急時は特にありがたい。
ガサガサと大きな音を立てて俺たちは森を進む。なにせこの巨体だ。端から隠密行動など考えてはいない。大勢で圧力をかけ、短期決戦で一気に仕留める腹積もりだ。
空気が変わる。
『ぶごっ』 (近いぞ)
生々しい血の跡がヌラヌラと光り、濃い殺気が辺りを包む。全員に緊張が走る中、武器を構えた先頭のオークが慎重に一歩を踏み出した瞬間、恐ろしい金切り声が響いた。
『ブギャァァーッ!』
その声が聞こえたのは後方。全員が即座に後ろを振り向く。
その時には既に、しんがりを務めていたオークが紅い巨体によって森に引きずり込まれていた。
――ブゴ、ブギャーッ!
二人のオークが気勢を上げ、その後を追う。しかし、そこに既に熊の姿はなく、あるのは喉元を喰いちぎられて苦悶の表情を浮かべたオークの死体だけだ。
(デカイ……そして、速い!)
一瞬見えたその巨体は、想像以上に大きかった。例えるならば2tトラック。そんな化け物が、あり得ない速度で襲い掛かってきた。全身に鳥肌が立つ、豚なのに。
『ブゴブガッ! ブギャブ、ふごっ!』 (全員で円を作るよ! バラバラじゃあやられる!)
ナディアだ。
彼女は、ただ力が強いだけではない。狩りや戦いの際に、誰よりも冷静でいられる、まさに女将軍の器である。
ジリジリとした緊張感が続く。間違いなく、赤い熊はすぐ側で俺たちの隙が出来るのを待っている。
一分、いやもっとか?時間がヌルリと過ぎた。
――ガァーーッ!
茂みの中から、とんでもない勢いでブラッディベアが突っ込んでくる。
狙われたオークは、必死に自分のこん棒を使ってその勢いを殺そうとするが、あえなく弾き飛ばされた。陣形が一気に乱れる。動ける三人のオークが攻撃を加えるも、ダメージが通っている様子はない。
『ぷぎゃぁ!?』
鋭い爪に腹の肉を切り裂かれたオークが、苦痛の叫びをあげる。もはや熊は茂みに戻る様子を見せない。自分一人でも、ここにいるオーク全員を殺せると見込んだようだ。舐めやがって!
『ぶがぁ!』
アルト、渾身の一撃。
ブラッディベアの側頭部に命中、効果はいま一つのようだ。
ブラッディベアの攻撃! 頭突き!
アルトは吹き飛ばされた。あーれー……。
なんて冗談言ってる場合じゃねぇ。ただの頭突きでとんでもない距離吹っ飛ばされたぞ? ったく、こんなに吹っ飛ばされたのは二度目だよ。一度目は死んだことを考えると、俺も成長したもんだ。
体勢を整えた俺の目に入ったのは、一人のオークがブラッディベアと戦っている姿。あの巨体、そして巨乳。ナディアだ。
あのナディアですら、力負けをしている。素早さも相手の方が上だ。なんとかこん棒を上手く扱うことで戦えているものの、苦戦している。
助太刀? 出来るわけねーだろ!
巨体同士が怪獣大戦争やってるんだぞ? そんなところにこん棒一本で割って入ってみろ。間違えてナディアを殴る可能性大じゃねぇか。その前に吹き飛ばされる可能性はもっと高いけどな。
ってなわけで、俺たちはいつでもナディアを助けられるように、そして彼女の邪魔にならないように、距離を保って武器を構える。
『ぶっ!』 (くっ!)
いかん! 押し負けたナディアがバランスを崩した。ブラッディベアが追撃を掛けてくる。全員が彼女を助けに行こうとするが、間に合わな……。
『ぶぎゃぁぁあぁぁ!』 (おらぁぁぁっ!)
アルミン!?
全体重を掛けたタックル。それでもブラッディベアは軽く弾き飛ばされた程度だ。
そのまま熊にしがみつき、動きを封じようとするアルミン。熊の鋭い爪が、アルミンの肩から背中を削る。
『ぶご、ぶがが、ぶぎゃぶぶ!』 (ナディアのパンチに比べたら、痛くない!)
アルミンは我慢した!
『ぶごぶごふが! ぶぎゃ!』 (そのまま踏ん張りな!アルミン)
動きを封じられたブラッディベアの頭を、ナディアが思いっきりこん棒でぶん殴る。一撃じゃあどうしようもないので、何発も何発も……。
『ぶぎゃ! ぶぎゃ! ぶぎゃ!』
アルミンの悲鳴だ。
ブラッディベアを殴った衝撃は、それを押さえつけているアルミンにも当然伝わる。すなわち、超痛い。
『ぶぎゃ! ぶがぶが!』 (我慢しな!アルミン!)
『ぶぶっ!』 (はいっ!)
訓練された豚であるアルミンは、決してブラッディベアを離さなかった。何発、いや何十発もの攻撃が熊の頭を襲う。
そしてついに、ブラッディベアから力が抜ける。地面へと崩れ落ちる熊。
『ぶごぶが?』 (やったかい?)
いかん! それはフラグだ!
即座に俺の身体が熊へと躍りかかる。
『ぷぎょーっ!』 (チェストー!)
最後の力を振り絞り、アルミンに噛みつこうとしたブラッディベア。全員が虚を突かれる中、フラグ万能説を信じる俺だけがこん棒を振り抜いた。……止めを刺したの、俺じゃん!?
こうして、化け物・ブラッディベアは退治された。犠牲者も前回に比べれば少ない。
めでたしめでたし……おや? ナディアの様子が?
『ぶご? ぶががっ?』 (アルミン?大丈夫かい?)
そんなナディアに、ニヒルな笑みで大丈夫だと返すアルミン。間違いない。やせ我慢だ。だって、背中ズタボロだぜ?
『ぶほ……ぶぎゃぷぎょ』 (よく……頑張ってくれたね)
これは……ひょっとしていい雰囲気なのでは?
アルミン!チャンスだ!行けっ!行けっ!
『ぷぶ……ぶがぶぎゃ、ふご』 (ナディア……これからも、僕は君の助けになりたい)
『……』
『ぶぼ、ぷごふが』 (僕と、夫婦になってくれないか?)
『ぷぶ』 (はい)
乙女のように優しい声で、ナディアがプロポーズを承諾する。同時に、漢のように激しく、アルミンの身体を抱きしめた。男女が逆な気もするが、ロマンチックじゃないか!
……あっ。
『ぷぎゃぁぁっぁぁぁぁ!』
アルミン、背中血だらけだった。抱きしめられたらそりゃ、痛いよな。……南無。