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ドドドドドド……と地響きを立てて走るのは、この『ゴールディロックス階層世界』第29階層の最強生物である走竜の群れ。
どうやら私達冒険者パーティ『方舟』の犬人狩人は、閃光と轟音の魔道具を上手いこと使い、打ち合わせどおりの地点にこの走竜の群れを誘導出来たみたいだ。
丈高い草の中に潜んだ剣士に盾役、射手と魔導士の私の配置に問題なし。
「手前最後尾オス、成体。釣りま~す!」
どこか気の抜けた兎人の言葉と同時に、宣言された個体へ向けて弓弦が鳴る。
狙い違わず草原の上を疾る矢は、走竜の後肢の付け根へとその矢尻をめり込ませた。
走竜は竜種の末端とはいえ、頭部から尾の先端まで全長7m。最大では10mに至ることもある大型生物だ。
巨体に見合った分厚い表皮は生半可な攻撃を受け付けはしないし、強弓での攻撃でもさしたるダメージは与えられていない。
それでも時速70㎞を越える速度での走行中に後肢に打撃を受けたのだから、バランスを崩しての転倒は避けられなかった。
「もういっちょ~」
草原の上に一回転……二回転。ゴロゴロと何度も転がり倒れた走竜が、状況の把握も出来ぬだろうまま立ち上がろうとしたところ、追い討ちの一射が空を引き裂く。
カーン……と甲高い音をたて金属の矢尻が、走竜の頭部を飾る骨よりも固い一角へと的中し、弾かれた。
縦長の瞳孔をもつ竜の目が怒りに燃え、兎人の射手を睨みつけた。
走竜の群れの本隊は犬人の閃光弾に追い立てられ、すでにこの場から一秒刻みに距離を離していっている。
頭部に馬鹿にするかのような一射を見舞われた走竜の一角に、バチバチと電光が弾けた。
それは攻撃の意志の表れであり、灰白の体表がうっすらと血色に染まるのもまた、この生物の怒りの感情を示している。
走竜の目にはもう攻撃対象となった兎人以外は映っていないだろう。
私は身を隠していた草むらから立ち上がり、新調したばかりの魔導杖を構えてタイミングを計った。
視界の中、私と同じように草むらから立ち上がった盾役の熊人と、普人剣士がそれぞれの得物を手に、次のフェイズに備える姿が目に映る。
怒りの矛先を向けられた射手は、種族の特性を活かした軽やかなステップで見せつけるよう飛び跳ねながら、持ち手の熊人の巨躯と同じほどに大きな盾の後ろへと回った。
犬人に追い立てられ、群れはもう遠くまで離れている。
それに、第29階層最強生物の群れが駆け回った直後のこと。小型獣も中型獣もしばらく狩りの邪魔には入らないだろう。
だったら後は打ち合わせの通り、怒り狂って冷静な判断力を失った走竜が兎人目がけて突進するタイミングを見極め、私は魔法攻撃による足止めを。剛腕の熊人盾役はその力と盾とを使い、足を鈍らせた獲物を完全にその場に留まらせ、剣士は足を止めた走竜に技量を尽くして一撃必殺の攻撃を加える───その流れをただ、実行に移すだけのこと。
大盾を厳つい両腕と身体でささえ、背後に兎人の射手を庇った熊人を斜め後方、私は精神を研ぎ澄ませて走竜へ杖先を向けた。
一秒一秒が間延びして感じられるほど極まった集中のなか、胸の奥にある『魔力門』を開けば、渦巻く力の奔流が出口を求め迸ろうとするのが感じられる。その乱れた流れを意志の力で押しとどめ、整然とした流れに整えた。
大出力のこの魔導杖の性能任せに魔力をぶつけてしまえば、素材部位ごと走竜は消し飛んでしまう。
鱗と爪と一角は四肢欠損すら回復させる治癒溶液の性能を高める触媒素材として、とても貴重。肉にも骨にも内臓の一部にも重要な用途があるから、焦がしたり通電させて変質させるのも絶対にNGだ。
だから、使うのは───風の魔法。
魔法に重要なのは想像力なのだ───と、数多の魔導書はそう説いている。
私はその教えに従って圧縮された不可視の空気の塊による砲撃を脳裏に細密に描き、杖先から練り整えた魔力を呪文と共に放出した。
「……風神の大砲!」
冒険者パーティー『方舟』の魔導士として今この瞬間わたしに求められているのは、あの走竜の脚を鈍らせる役目。
盾を構える熊人を弾き飛ばさんと一歩ごとに速度を上げて迫る巨体めがけ、圧縮空気弾を内包した薄緑色の砲弾が螺旋の尾を引く幻光を纏って低く飛んで行った。
私と標的の間の草原に、瞬きひとつのうちにモーセの十戒みたい身長の半ば程の丈の草が吹き千切られてかき分けられた一本道が形成されてゆく。
呪文のネーミングのせいか、いわゆる風神雷神図屏風の風神様が迷彩柄のパンツ姿でバズーカを放つイメージがふと頭をよぎり、余計な幻光が私の身体を覆ったような気もするけど……ちゃんと魔法は発動したのだから、無問題。
ドン……ッ!
と鈍い響きをたて、盾役の眼前に迫っていた走竜の胸元に魔法が着弾する。
鱗に覆われた胸が砲弾の圧に凹み、片方の前肢が妙な角度に曲がった。魔法の着弾で勢いを殺がれた後肢が、惰性の速度でその巨体をはこぶ。
風神の大砲の衝撃から立ち直り切れず、斜めに傾いだ走竜の顎下目がけ熊人が雄叫びを放ちながら、渾身の力で大盾を地面から空へと打ち上げた。
両手剣を手にひらり跳躍した剣士の眼下、恐るべき膂力によって脳を揺らされた走竜の足が一瞬止まる。
裂ぱくの気合い。鱗に覆われた巨体に着地した剣士の手で行われたのは、不安定な足場をものともせずに走竜の首の付け根、密集する鱗のはざまを分厚い両手剣の切っ先で一気に貫き通すと言う離れ業。
鱗の隙間を縫った切っ先が強靭な筋肉組織を容赦なく切り裂き、頸椎に達し、骨を砕いて脊髄神経へと突き刺さり、突き抜け……そして───死を前に走竜の口から断末魔の声が上がった。
雄叫び。裂ぱく。断末魔。
三つの口から放たれた咆哮は二つを残して永遠に消え、やがて地響きを立て走竜がその巨体を草原の草の中に横たえると、私達のパーティー全員の歓声へと変わる。
「……っ───やったぁあああああ!」
「うぉぉぉおおおぉお!!」
まだ走竜の群れが駆けまわった影響で小型や中型の肉食獣はこの場に近づきはしない。
私達はふだんなら目標となる獲物を倒した後、こんなに周囲を気にせずはしゃぎまわる事はないんだけど、今日ばかりは仕方ない。
このゴルディロックス階層世界の第29階層草原エリアの最強生物走竜を狩る事は、冒険者ギルドが定めるB級冒険者からA級冒険者への昇級条件だったんだから。
私達のパーティーは今回の狩りによって晴れてA級冒険者に……しかも、冒険者登録から歴代最速での昇級達成となるのだ。
竜種の中では最弱とはいえ『竜』である走竜狩りを成功させ、曲がりなりにも『竜殺し』の称号も同時に手に入れたんだから、これを冷静に受け止めるなんて、まだ若い私達には無理な話。
快哉を叫ぶ仲間達と一緒に喜びの声を上げながら、だけど、私メイ・リンヒルは一人、なんとも微妙~な心持ちを胸の裡に隠してそこにあった。
何がどう微妙なのかを説明するのは、ちょっと難しい。
ふつうなら下位とは言え竜種を狩れたのはすごいことだし、実力が伴ったギルドランクの昇級とか、竜殺しの称号も誇らしくて嬉しいのは当然だ。
……もしも自分に『余計な記憶』がなかったなら、私も純粋な気持ちでみんなと喜びを分かち合えていたに違いない。
だけど残念ながら私には余計な記憶が───前世を日本人として生きた記憶があった。
いや、日本人だったのが残念なわけじゃなくて、残念な日本人として生きていた記憶が残念というのか……。
認めたくない事実だけど、私は残念な日本人だった。
前世の記憶はわりと曖昧で穴あきだらけではあるんだけど、覚えている限り私が日本に生きていたあの当時、なんというか世の中がやたらと不安定で、たぶんきっとそういった不安から逃げたい人間が多かったせいだと思うんだけど、現実逃避でファンタジーな内容のゲームとか小説とか映画がやたらと流行っていて、自分自身どっぷりとその風潮に浸り切っていたりした。
これがきっと今の微妙さという名の"いたたまれなさ"の遠因。
子供の頃からそんな文化の洗礼を受けた私は、思春期に入る頃には立派な中二病患者へと進化を遂げてしまっていた。
……愛読書が異世界召喚及び異世界転生系ファンタジーだったと言えば、私が現状に抱く微妙な気持ちの理解へのとっかかりになるんじゃないかと思う。
ファンタジー好きが、ファンタジーな剣と魔法と冒険の世界に生まれ変わって『竜殺し』。
……うん、むずがゆさが近づいて来た気がする。
さらに言えば今生の私は魔導士で、自分が大きな魔力を持っているのを冒険者登録時の魔力測定で知ったと言うネタも、人によってはジワッといたたまれないこの気持ちへの共感を呼ぶかも知れない。
遠回りに言えばいくつもの小ネタが積層状態なのだけど、バシっと核心に触れようと思うなら、当時異世界転生系ラノベやweb小説にドはまりしていた私は、『ファンタジー世界に生まれ変わったらこんな人生を生きたい』と言う妄想ワールドを日々脳内に展開していた事実を白状するべきだろう。
『こんな人生を生きたい』って妄想話の何が痛いって……それの主人公となる来世の私と言うのが、いわゆる『私が考えた最強のキャラクター』以外の何物でも無かったトコロだと思う。
曰く、世界でも希少な強い魔力を持つ魔導士で、若うちにその才能あふれる頭角を現すんだ……とか。
例えば竜退治なんてエピソードもその妄想の中にあったような気がする。
さらに過去世の記憶に曰く、彼女は魔導士でありながら身体能力にも優れているし、強い魔力を持つために(?)老いる事が無いのだそうだ。
それから……容姿についての妄想も痛い。
中二病全盛期の私は、来世の自分を白い肌に白い髪を持つアルビノっぽいカラーリングで妄想していた。
でも瞳の色は赤では無く、右が黄褐色で左が青。中二心をくすぐる言い方にすれば、金目銀目と書いて『ヘテロクロミア』とルビを打つ、いわゆるオッドアイと言う中二御用達な例のアレ。
こういう盛り過ぎな妄想設定というものは、ノリノリで楽しんでいた時期が過ぎてハタと素に返った瞬間に、黒歴史へと華麗に転身するものだ。
今現在黒歴史の恥ずかしさに身もだえている本人がそう言っているんだから、それは間違いない。
もしかしたら耐性のある人にとって私の脳内妄想設定ていど、ちょっと照れちゃう"子供時代の思ひ出"ぐらいの事なのかもしれない。
……ただ、私はこの妄想設定をうっかりと、ノリノリに熱く幼馴染みに語ってしまったと言う非常に嫌ぁ~な記憶があった。
ちなみに、過去世の記憶はうすらぼんやりしている部分も多い癖に、私はこの幼馴染みが私と違って全くサブカルチャーに興味の無い人間だった事だけはしっかりと憶えていた。
いわゆる一般人に対して妄想話を垂れ流し……。
うう……これだけでも既に『恥か死』確定だと言うのに、その幼馴染みと言うのがあろうことか私の初恋の相手だった言うのがもう……。
誰か、あの頃の私を殴ってでもいいから止めて……お願い……。