青空を、手で擦る
難しいことは言わない。やめた方が良い。
そう言われて、やめた人は何人いるだろうか。
私は私。
あなたはあなた。
時間はまだある。
今日を入れて、あと何日も。
時間が過ぎて、雲が飛んでいって。
私の頬を撫でるまでに下がって来て、おはよう、こんにちは、今日もよく頑張ったね、って。
目を閉じると、
空を飛んでいる。夜中の公園にいる。
見たこともない街中に突っ立っている。
誰かを殺してる。ペンギンが隣にいる。
そいつが訊く。
君は何もしてないが、では、なぜ、ここにこうしておちているんだ?
私は何も知らない。私はただ、バルコニーのベンチに寝転がって、目を閉じて、それから、
忘れた
今日は三回つまずいた。昨日は二回つまずいた。
一昨日は一階でつまずいた。何となくうまくいかないことが嫌だ。
もう一回目を閉じて、口を開けてため息を、
夕暮れの空。チャイム。紫の雲。
立ち上がって、とぼとぼ行って、駐輪場で、自転車に乗る。
薄暗い中で、ペダルに込めて。無音を切り裂く、風の音。
河川敷に出て、堤防の上を、薄暗い中で、ペダルに体重。
三十分は漕いだ。どこにもつかない。
道のりはまだ遠い気がする。道は覚えてるのかな。
風がきつくなる。私の体を押し返して進ませない。
邪魔と叫んで、手で振り払う。風は構わず髪を撫でていく。
ペダルが急に軽くなって、全速力で駆け抜ける。風を置いていく。後ろから追ってくる。左右を壁の草木が、風の正体。私は必死で逃げる。
こいでこいで小出恋で漕いで故意で乞いで漕いだ。
何とか振り切った。息が上がるよりも苦しい。
自転車を一旦降りて、道の端によって、こけた。
寝ころんだまま。
だけど、嫌になって、自転車を起き上がらせた。
跨って漕ぐと、進まない。
確認するとペダルが消えていた。
押して歩いて行く。
数十分歩いた。どこにも向かわない。
ここがどこかわからない。
始めのうちは平気で、トコトコ歩いていた。
夜の暗い空気。向こう岸のビル群の明るさ。私の置いていった風。
壁になっている草木。揺れてさざめく音。
後ろから声がする、
隣から足音が聞こえる、
前から何かが見つめてる、気がする。
恐くなって走った。闇の中を走った。前か後ろかも分からず走った。
自転車を投げ捨てて走った。荷物を落っことして行って、走った。
走った。
何が嫌なのか。何が怖いのか。
紙が端から焦げ付いていく。そんな感じで忘れていく。
風が待ち伏せしてた。私は構わず走った。風の中を走り抜けようとした。急に冷たくなったそれが、私の頬にぶつかっていく。髪を払った。無茶苦茶になって顔に引っ付いた。風なんかじゃ吹き飛ばせそうにない。前髪が重くなって、口の中にある。吐き出すために口を開けた。出した息と同じくらいの空気を吸った。生ぬるい空気。目が見える。街灯が無いわけではない。光源がどれもこれも縦に伸びて、眩しい。目を伏せて走る。髪が塩辛い。でも、もう払いのけもしなかった。早く帰りたい。とにかく早く帰りたい。私の帰るべき場所に帰りたい。私の知っているあの日に帰りたい。帰りたい。とき!!
「……?」
「大丈夫?」
「……?」
「もしかして、寝てたの?」
「……?」
「?」
「……?」
「ほんとに大丈夫?」
「……。」
うなずいた。嘘だ。目の前には友だちの顔があった。
いつの間に寝たんだろう。一度起きたはずなのに。
「一緒にかえろう?」
「……うん。」
階段を降りるとき、なんだかめまいがする。
こんな季節にバルコニーで日にさらされて寝るから、たぶん脱水症だ。
足元が、いやに軽い。それでいて体が重い。自分の重みで自分がひしゃけそう。
もうあんなところで寝るのはやめよう。
空は地平線沿いが緑がかって、太陽が黄金になる時間。
頭の上が、くり抜かれたように青かった。
涼しそう
そう思って、手を伸ばした。
誰かがいつかしたように。