タロット絵師の商い処 後編
一方、ツェフェリは町医者ランドラルフに相談していました。
「なるほどのう。行商人と旅に、か」
「うん……」
ツェフェリの表情は沈んで、瞳は深い緑から、青を経て紫へと変わっていきます。その視線の先では膝のあたりに乗せた手が、きゅっとエプロンを握りしめていました。
ラルフはほほ、と笑い、ツェフェリに言います。
「若い娘がそんなに思い詰めるでない」
「でも、ボク……!」
どうしたらいいか、わからない。サファリの提案は魅力的なものでした。出会ったあの頃に言われたなら、ツェフェリは迷わずついて行ったでしょう。だって願いが叶うんだもの。今だって、そう思っているはず、なのに……何かが歯止めをかけているのです。
その何かがわからなくて、もやもやしているのです。
「ねえ、どうしたら」
言いかけて、そこではたと気づきました。いつも肌身離さず持ち歩いているはずのタロットカードがなかったのです。
ハクア様のところに置いてきてしまったんだ、と気づきました。
「自分で決めなくてはいけませんよ」
タロットたちにそう言われているような気がして、ツェフェリは項垂れました。
「まあまあ、そう難しく考えるでない」
「難しいんですってば!」
慰めようと声をかけたラルフに思わず噛みついてしまい、ツェフェリはしゅん、となってしまいます。大丈夫じゃよ、とラルフは続けました。
「要は、サファリくんといたいか、サルジェくんといたいか、の二択じゃ。そう考えると簡単ではないかの?」
「……へ?」
ここでなぜサルジェ? と思うあたり、ツェフェリはとことん鈍感なのでした。
けれど何か、視界が拓けたような気がします。
「そっか、ボクは」
閃いたそれを口にしかけたところで、バタンと勢いよく扉が開きました。入ってきたのはサルジェです。
「ツェフェリ!」
「サ、サルジェ?」
よほど急いできたのか、息を切らしていて、頬も少し紅潮しています。
息が整うと、サルジェは大きく息を吸い込み、叫びました。
「好きだ!!」
「……? ボクもだよ?」
この期に及んで小首を傾げてそう抜かすツェフェリに、サルジェはそうじゃなくて、といいます。
もどかしげにうめいた末、サルジェはツェフェリの手を取って走り出しました。
「え、なになに?」
「帰るぞ。サファリがタロット広げて待ってる」
ツェフェリはますます訳が分かりません。
嵐のように二人が過ぎ去った後、ラルフはぱたりと扉を閉めて、ほほ、と一笑いし、つぶやきました。
「若いもんはいいのう」
して、ハクア邸。
テーブルにはすでにラバーズブリッジの形が展開されて、その前でサファリとハクアが待っていました。
「ね、ツェフェリ。これから愛の架け橋をやるよ。覚えてる?」
「覚えてるよ。でも、なんで愛の架け橋? しかも誰と誰の?」
「僕と君の」
いった当人以外の全員が固まります。それにかまわず、サファリはツェフェリの手を引き、自分の隣に座らせました。そこで、サルジェと繋いでいた手が離れてしまいます。ツェフェリは無意識なのか、空いた手が名残惜しそうに揺らめきました。
ぐいっ。
「俺も」
サルジェはもう一度、ツェフェリの手をつかみました。
「俺も見る。俺も一緒に」
ツェフェリは目を丸くし、その向こうでサファリがにこやかに頷きました。
三人並び、ハクアが傍らで見守る、という格好になりました。
「展開はしてあるので、解釈を開始します。手前三枚が僕、向こう三枚がツェフェリの、左から過去、現在、未来。そして現在同士を結ぶのが愛の架け橋。その横にあるのが、二人の関係の障害となるもの」
サファリは一通り配置の説明を終えると、まずは自身の過去のカードを開きます。出たのは[愚者]の逆位置。
「僕は君に対して無頓着でした。特別な思い入れや、そういうものはなかった」
ツェフェリがその言葉に、痛ましげに顔を歪めました。サルジェは険しい顔つきでサファリを睨みます。しかしサファリはあくまで淡々と解釈を続けます。次に開いたのはツェフェリの過去です。カードは[恋人]。またしても逆位置です。
「んー、ツェフェリも恋愛感情には至ってなかった、と」
もやもやする脇二人にかまわず、サファリは三枚目、サファリの現在へ。[審判]の正位置。
「決めるのなら、今。ツェフェリとの関係を築いていくのなら今がベストということでしょう。一方、ツェフェリは」
ツェフェリの現在は[節制]の逆位置。
「ツェフェリは今、不安に思っている。きっと、僕の提案のせいだね。ごめん」
淡白ではあるものの誠実な思いが伝わってきて、ツェフェリはただ首を横に振りました。サルジェはじっとそれを見つめます。
五枚目、サファリの未来。そのカードを見た途端、周囲は一斉に息を飲みました。
なんと出たのは成功や幸運を暗示する[運命の輪]──の、逆位置。
サファリはあえて何も言わず、次のカードへ手を伸ばします。ツェフェリの未来。めくられたのは[月]の正位置。
「……ツェフェリは不安を抱いたまま、未来を歩むことになるでしょう」
トーンの変わっていないはずのサファリの声は、重く、その場に響きました。そんな雰囲気など無視するように、サファリは迷わず七枚目──愛の架け橋に手をかけます。
「[星]の逆位置」
サファリは高らかに告げました。
「[星]は希望を象徴するもの。──この恋に、希望はありません」
しん、とあたりが静まり返ります。占い師の目をしたサファリは無表情のまま、最後のカードを取りました。障害を表すカードです。それをまず一人で見、なぜかにやりと笑いました。占いを始めてから、初めて笑ったのです。
「サルジェさん」
サファリはにこやかに、そのカードをサルジェに差し出しました。戸惑うサルジェに見てください、とサファリが促します。
「……あ」
サルジェの挙げた声に、ツェフェリも気になって覗き込みます。そこに描かれていたのは、両者ともによく見慣れた青年の姿でした。
「「[魔術師]」」
つぶやく二人にサファリはこう告げました。
「[魔術師]はタロットカードのナンバーⅠ。始まりのカードです。故に創造力やインスピレーションといったものを表します。ものかきには欠かせないものですね。まあ、それよりもこの[魔術師]には特別な意味がありますが」
わかりますか? とサファリが問うと、二人は顔を見合わせました。
「ボクのアハットくんの声はサルジェにも聞こえる」
「たぶん、俺と一番繋がりが深い」
「ふふふ、大正解です」
サファリは海色の目を細めて笑み、言葉を次ぎました。
「この[魔術師]はサルジェさん自身を表すんです。サルジェさんが、障害ってことです」
完敗です、とサファリはなぜだかとてもうれしそうに言いました。
ツェフェリの脳裏には、ラルフの言葉が蘇ります。
"要は、サファリくんといたいか、サルジェくんといたいかの二択じゃ"
そして、サルジェの言葉も。
"好きだ!!"
ここでようやく、ツェフェリはその意味を悟ります。顔が真っ赤になり、どぎまぎとサルジェを見ました。サルジェはその目をまっすぐ見て、はにかんで言いました。
「好きだよ」
「……はいっ!」
真っ赤な顔のまま、それでも目をそらさずに答えた瞳はこれまでになく美しい色に輝いていました。
ぱちぱちぱち。静かな拍手が起こりました。ハクアです。
「おめでとう」
サファリも笑顔で二人を祝福しました。
数日後、街を去るサファリの前にハクアが立ちはだかりました。サファリのウエストポーチに納まったタロットカードを見やり、口を開きます。
「まずは、ツェフェリの一番の願いを叶えてくれてありがとう、と言っておこうか」
「いえいえ、どういたしまして」
実はポーチに納まるタロットは、あの後、サファリがツェフェリから買い取ったものでした。自分で作ったタロットを売り、使ってもらう。ツェフェリのタロット絵師としての志です。サファリならば使いこなすことも可能でしょう。ツェフェリはこれで、タロット絵師としての大きな一歩を踏み出したことになるのです。
「さて、あとはほぼ罵倒だが、いいか?」
「いいも悪いも、言いたくて来たんでしょう?」
サファリは肩をすくめて、ハクアに先を促しました。
「では、遠慮なく。──この、大ほら吹きめ。なぜあんな回りくどくて面倒くさい真似をしなくてはならなかったんだ。んん?」
本当はあの愛の架け橋は、ツェフェリとサルジェのことを占ったものだったのです。ただし、全く逆の位置で。
故に本来は「ツェフェリは、サルジェを希望をくれた人と尊敬し([月]の逆位置)、現在の修繕師生活も充実していて([節制]の正位置)、このままいけばいい関係を築ける([恋人]の正位置)」で、「サルジェは、ツェフェリと出会ったその時から運命を感じ([運命の輪]の正位置)、告白するタイミングを決めかねていた([審判]の逆位置)けれど、ゆくゆくは前向きに、心のままに歩んでいく([愚者]の正位置)」となっていたのです。
愛の架け橋の[星]も本当は正位置で、希望に満ち溢れているということを示していました。
障害だけは最初から横向きなので変わらず[魔術師]の正位置。これは今回見ての通り、ツェフェリが自分の直感で決めていいのか戸惑っていたことを表していたのです。
「その節は見事なサクラ役、ありがとうございました」
サファリはそういってさらりと流します。ハクアは呆れ果てました。
「大した役者だよ。お前さん、芝居小屋にでも入ったらどうだい?」
「あ、それは楽しそうですね」
「冗談だ。それより、占い師をやったらどうだ? お前の腕は確かなものだ。今回のことでよくわかった。それのほうが食っていけるんじゃないか?」
するとサファリは少し寂しそうに笑います。
「だめです。以前、ツェフェリにも言いましたが、占いに求められているのは正確さではなく、吉兆なんです。だから、場合によっては大きな嘘を吐かなくてはならない。でも、嘘は結局嘘だから、責められるんですけどね。……ツェフェリにタロットを教えたのは、正しかったのかなあ」
最後の独り言のような一言に、ハクアは苦い顔をした後、ふう、と息を吐きました。
「それで、カードを買い取ったのか」
ツェフェリに占いをさせないために。占いで、つらい思いをさせないために。
「僕の嘘は、商い程度がちょうどいいんです」
サファリは笑ってごまかしました。
「なんせ僕はツェフェリの[運命の輪]ですから」
「言うじゃないか」
運命の人と結ばせ、夢の始まりの歯車を回す。──確かに、サファリはツェフェリにとって[運命の輪]なのでしょう。
「それでは、また来ます」
そう言って、サファリは去っていきました。
いずれまた、ツェフェリの作ったタロットを買いに、彼はやってくるのでしょう。
けれど、それはまた別のお話です。
タロット絵師シリーズは、これにて一幕。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。